JINSEI STORIES
滞仏日記「息子が帰ってきた。ぼくらは焼肉を食べながら、未来について語り合う」 Posted on 2021/07/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、じゃじゃーん、フランスは革命記念日である。
戦闘機や空軍機が飛んだり、花火が打ち上げられたり、コロナ禍ではあるけど、どんな時も毎年この日はほのぼのと盛大なのである。爆音響き渡る、パリ上空・・・。
そんな中、息子が旅先から帰ってきた。
ドアが開いたので、飛んで行った。笑顔で、どうだった、と訊くと、マスクをつけた息子が、うん、よかったよ、と言った。
息子が荷物を置き、マスクを外して、洗面所に手を洗いに行った。後ろからついていく父ちゃん。←うざい。
「どう、よかったの? 楽しかったか?」
「うん」
「毎日、何していたの? だいたい何食べてた?」
「ピザかな」
「料理しなかったの?」←うざ。
「ウイリアムが、一度朝ごはんにオムレツ作ったけど、それだけ」
「寂しいスタンドバイミーだな」
息子が苦笑した。幼稚園からずっと一緒の、ウイリアム、アレクサンドル、トマ、息子の仲良しオタク四人組なのである。
手洗いが終わった息子がキッチンに移動したので、ついていく超うざい父ちゃん。
「で、どこか行ったの?」
「どこもいかない。あ、一度、近くの町まで30分かけて行ったんだけど。着いた途端、アレクサンドルが、つまらない、と言い出し、そのまま帰った」
「マジか、それこそ、つまんない青春だな。根暗な四人組め」
しかし、ぼくはこの子たちのことはよく知っていて、いい子たちなのだ。
勉強もちゃんとやるし、何より過激じゃなく、礼儀正しい。
ぼくが不在の時に息子が家に連れてきた先輩たちはちょっとやんちゃな連中なのである。
ぼくが大事にしていたアンティークの飛行機の玩具が壊されていたのを最近、発見した。壊した誰かが、本棚の下に隠していた。
だから、ウイリアムたちと遊んでくれることを親としては望んでいるのだけど、息子はどちらかというと色気の強い今時の仲間の方へとシフトしている。
息子がコーラをコップに入れて、食堂へと向かったので、ぼくもコーラをグラスに入れて、追いかけた。
「なぁ、どうやって寝たの? ベッド、4つもないだろ?」
テーブルで息子は携帯を眺めながら、コーラを飲んでいる。
うざい父ちゃんはその前に陣取り、コーラを舐めながら、質問を続けた。
「ベッドは2つ」
「え? じゃあ、残りの2人はどこで寝たの?」
「1つのベッドに2人ずつ寝た」
「マジか」
「うん、トマがね、俺は暑がりだからTシャツ脱ぐかもしれないからな、とか言うんだ。ちょっとね、脱がれたらいやだった」
「脱がなかったのか?」
「うん、そこまで暑くならなかったからね」
息子がコーラを飲み干して立ち上がったので、父ちゃんも飲み干して、追いかけた。
「で、それから、他になんか事件とかなかったのか?」
息子が自分の部屋の前で立ち止まり、ぼくを急いで振り返った。
「ないよ!」
「そうか、そりゃ、つまらん旅行だったな」
「でも、楽しかったよ。いい思い出になった」
「お土産はないのか?」
息子は、あるわけないでしょ? と笑った。ぼくは手を差し出した。
「お金、残ったろ、返せ」
え? という顔をした。どひゃっという困惑の顔・・・。笑。
「150ユーロ渡した。毎日、ピザ食べたとしても、50ユーロは残ってるはずだ」
「40」
「嘘だ、50」
「ほんと、40しか残ってない」
息子が途端、必死になった。お金が必要なのだ。
「OK、じゃあ、40をテーブルに置いとけよ」
「うん」
息子は自分の部屋へと消えた。
子育ての終盤、これから最終コーナーに入るぼくが、今、息子に教えなきゃならないのはお金のことだ。お金の価値観とか、お金とどう向き合っていくかである。
夕飯は行きつけの韓国レストランへ行った。
もっと、息子といろいろと話さなければならないことがあり、家飯にすると、さっさと食べて、ご馳走様、で早退されてしまうから、こういう時は外食に限るのだ。
馴染みの店なので、息子が逃げ出せない奥まった席をあけてもらった。
息子は豚肉の辛味噌炒めを、ぼくはプルコギを頼んだ。
「で、進学についてだけど、メールだとちゃんと話せないから、ここで話し合おう」
と切り出したら、明らかに、いやな顔をされた。
SMSとかワッツアップの会話だと、誤解も生じる。いつも、大事なことをSMSでちゃちゃっと済まされるので、やはり、対面で話すのが一番なのだ。うざがられるのは分かっているけど、今が一番大事な時だ。
「大学はどうするの?」
「まだわからない。悩んでいる。でも、今の成績じゃ、厳しいのは分かってるよ」
「パパは昔、ピアノ教室に通っていたことがあったんだけど、半年くらいで面倒くさくなって行かなくなったんだよ。ところが大人になって、バンドをやるようになって、もしも、今、ピアノが弾けたらなぁ、と後悔をして、自分でやめたくせに、母さんに、なんで縛り付けてでも続けさせてくれなかったの、と文句を言ったことがあった。それは、お門違いだろ? 結局、あの時、こうしておけばよかったって、思うものなんだよ、人間は」
「・・・・」
露骨にいやな顔をしている。
そこに、豚肉の辛味噌炒めとプルコギが到着。息子は逃げるように食べ始めた。
「きっと、こういうことを話しても、うざいと思われるだけで、君にはわかってもらえないかもしれないけれど、・・・。勉強って、音楽とかと一緒で、やりたくない人間はいくら勉強しても頭に入らない。それを必要とする年齢になって、はじめて学びたいとなる。辞意j分からやりたいと思わない限り、勉強ってのは身にならない」
息子はもくもくと食べ続けている。
「パパは思うんだけど、レベルの高い大学を目指すのはやめて、好きな世界の学校に行ったら、どうだ? 音響でも、舞台芸術でもいいし、モチベーションの高くなるところで、将来、その世界で生きていけるものにシフトしたら? ストレスを抱えて背伸びをしていいところ目指すより、好きな世界をきわめて、そこで頑張れば? 好きなことなら、大変でも苦しくならないだろ? お前はまじめだし、やれば結果が出るよ。楽しい人生を生きたらどうだろう。嫌味で言ってるんじゃないんだよ。日本のことわざに、「好きこそものの上手なれ」というのがあってね、上手って、上手になるの上手だよ。「人間は好きな事には熱心になるし、工夫を凝らすので上達が早い」という意味だ。わかるだろ?パパは、お前が日本人だから、フランスで生きていく上で大事なことは学歴や成績だろうと最初は思った。でも、もしかしたら、それはパパの間違いで、好きな世界を極めて、生きていく方が、君にとっては幸せなことかもしれないなって、最近、気が付いたんだよ」
息子は話しを訊いてないような勢いで、ご飯を食べている。ぼくはビールを飲んでから、続けた。
「うまいか?」
「うん」
「パパが言いたいことは分かるか?」
「うん。少し、時間を頂戴よ」
「OK。考えてみてくれ。まだ、軌道修正はできる」
息子は食べ終わると、立ち上がり、先に帰っているね、と言い残して出ていった。ぼくはビールをお替りした。