JINSEI STORIES
ヴェネツィア日記「人間はみんな人生を渡る。ぼくは大河を渡し舟で渡る」 Posted on 2021/07/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、一日中、歩き続けたので、だんだん、ヴェネツィアの土地勘というものが出来てきた。
頭の中に、だいたいのヴェネツィアの地図が出来あがってきた。ここを曲がり、ここをこう行けば、ここに早く到着する、ということまで分かってきた。
これは作家の習性というか、能力というか・・・。
で、パリに帰る前にもう一度、あの具だくさんのサンドが食べたいと思い、向かうことになった。
で、だいたいの行き方はわかったのだけど、「早く行きたいなら渡し舟(トラゲットー)があるよ」とホテルの人が教えてくれた。
カナルグランデを渡るには方法が二つあり、大きな橋、たとえば、アカデミア橋やリアルト橋を渡る方法と、もう一つ、トラゲットーという渡し舟、いや、渡しゴンドラというべきか、に乗って対岸に渡る方法がある。
ぼくはまだ一度もこの渡しゴンドラに乗ったことがなかった。
歩きの場合、ぐるっと回らないとならないのだけど、渡しゴンドラで渡るとあっという間に到着できる、ということまで、分かってきた。
ところが、この渡しゴンドラ、の船着き場を探すのに、けっこう、苦労した。
狭い路地をぐるぐると周り、人々に、トラゲットーに行きたい、と必死で伝え、結局、井戸端会議をしていたご年配のお爺さんが、ぼくをそこまで連れて行ってくれたのだ!
イタリア人、優しい~。
小さな桟橋が、・・・3メートルくらいの桟橋があるだけ。観光客には見つけるのは難しいかもしれない。
看板はあるけど、そこまで行くのに一メートル幅くらいしかないような路地を心細くなりながらもとことこ歩かないとならないのだから・・・。
「そこ、わかる? 突き当りに船着き場があるよ」
お爺さんが、指さした。最高の笑顔だ。
「グラッツェ・ミーレ」
誰もいない。
本当にここなの? ぼくは不安になってきた。
しかし、目を凝らすと、対岸に、ちょっと大きめのゴンドラが見えた。
あ、あれかなぁ・・・
そこに3人くらいが乗った。出発を待っているように見える。しかし、カナルグランデを通過する船が結構多い。しかも、大きな船が通行していて、こ、怖そう。
五分くらいすると、ゴンドラが動きだした。やっぱり、あれだ! ここでいいんだ。
通行するでかい船を縫うようにゴンドラが渡ってくる。命がけかもしれない、笑。
3人の乗客が下り、ぼくが乗る。出発しようとしていると、おじさんがやってきたので、なんとゴンドラはバックして、おじさんを乗せた・・・イタリア人、親切・・・。(おじさんと言っても、ぼくより、年下に違いない。笑)
人間はみんな、こちらの岸から向こう側の岸まで渡るのが、つまり、一生なのだ、とその時、思った。
この川の流れに抗いながら、渡り切ることが人生なのだ、とゴンドラの中で、川面を間近に見つめながら思った父ちゃんなのであった。
大河を渡るゴンドラの中で、悟ったり・・・。
きっと、ぼくの新作小説の中で、ここをトラゲットーで渡る場面が出てくるのだろうな、と想像をした。いい経験であった。
サンドウィッチ屋に行くと、若い店員さんがぼくを覚えていて、
「あれ? シニョール」
と言った。
「だってね、ここのサンドは世界一だから」
とぼくがいうと、たぶん、その子のお父さんだろう、シェフが笑顔になった。
で、ぼくが頼んだのは、ツナとラデッキオのサンド、それから、ローストビーフとトマトのサンドも、もう一度・・・。水みたいに、すっと胃袋に落ちていくので、す、すごい。美味しかった。
※こちらが、ツナとラディッキョのサンドです。
※こちらが、ローストビーフサンド。
お腹がいっぱいになったぼくは、アカデミア橋へと向かった。
帰りは橋を渡って戻ることになる。エウジェニオ・ミオッツィ(Eugenio Miozzi)によって設計された木製の橋なのだ。
リアルト橋とは違う柔らかさと暖かさがあった。
そして、ここからの見晴らしは絶景であった。
ある程度、土地勘が出来たので、もう、頭の中で物語が動きだしている。小説家というのは、実に不思議な職業なのである。
さて、これから、パリに戻ります。