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ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」 Posted on 2021/07/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝起きたら、息子から、メッセージが入っていた。
「英語の家庭教師の先生を探したい」
お、と思った。これは、これまでにない、変化である。
やはり、自分からやる気を出してもらわないと、ぼくが一人、教育熱心になっても、どうにもならないことなのだ。
今まで、一度も、このような提案がなかったので、悪くない提案だった。
さすがに、このままじゃ、将来が不安なのかもしれない。
気が付いたことは評価しなければ・・・。昨日、ちょっと突き放したのは、あれはあれで正解だったのかもしれない。
しかし、ぼくはぜんぜん、安心していない。
家庭教師の先生を頼んだからと言って、自分が頑張らないと、結果は出ない。
「マジでやるなら、探してもいいけど。ちゃんとやる気あんのかね」

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



目の前に、なんか悩んでいる父ちゃんみたいな銅像があり、その頭に息子みたいな偉そうなカモメがのっていた。やれやれ。ぼくは今、こういう状態かもな、と考えたら、吹き出してしまった。
ヴェネツィア大学で午前中、イタリア人の翻訳家と会い、簡単な打ち合わせをやった後、再び、ヴェネツィア市内の散策をした。
狭い路地の突き当りに、うっすらと光る、リアルト橋は爽やかな青色が美しかった。ああ、懐かしいなぁ。と思った。
携帯を取り出し、撮影をしていると、デビュー時からの知り合い、某出版社の編集者さんからのメール。
「冷静と情熱のあいだ」みたいな本が作れたら、本当に嬉しいです、みたいな内容だった。

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



リアルト橋を上った。一段一段、踏みしめながら、登った。
「江國さんと辻さんの物語をもう一度読みたいです。あれから長い月日がたち、皆さん、それぞれに年齢を重ねました。読者の皆さんは待っていると思うのです」
ぼくはリアルト橋の上で、考えた。
まさか、20年前のぼくは、今のこのぼくのことを想像できただろうか?
息子のことでこんなに毎日、大変な思いをしているだなんて、想像もしなかっただろう。
あの頃のぼくには書けない違う世界の主人公がここにいた。
遠くを見ながら、なぜか江國香織さんに、今ぼくが見ている世界を送りたくなった。ぼくらが書いた作品はフィレンツェとミラノが舞台だったけど、20年経って、こんな世界になり、そしてぼくはひとり、カナルグランデを見ろしている。

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



「続編ではなく、再会も、必要ないけど、人間の成長と終わりを見つめる人生の本を作りたいね。ぼくは今、ヴェネツィアにいます。くろやぎ」
というようなメールを、リアルト橋の上から送った。
江國香織さんは「しろやぎ」、ぼくは「くろやぎ」と最近は呼び合っている。送りあった手紙を食べちゃうヤギ??
というのは、2人はこれまでメールが何度も届かなくなり、笑、話がずっとこの20年繋がらず、笑、先日、人を介してやっと再会、といってもぼくがやってるオンラインサロンに出てもらったのだけど、電子の中での再会であった。
その時、思い切って一緒に本を作ろうと持ちかけたら、イエス、を貰えたのだ。でも、その後も、メールが・・・。でも、今回は届く気がした。

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



「パパ、英語が強くなれば、フランス語を挽回できるかもしれない、と思った」
今度は息子からメッセージが入ってきた。
一つ、言いたいことがある。
子育てとか育児とか教育とか、そういうものは、本当に面倒くさい。
ぼくは小学校からこの子をずっと育ててきたけど、思い通りにはなってないし、反抗もされるし、無視されたり、嘘もつかれたし、こういうメールも届く、その都度、一喜一憂してきたけど、自分の人生さえも、ちょっと脇にどけて、やらないとならないことがあまりにも多くて、最近、ちょっと疲れがたまってきた。
正直、面倒なことはそれだけじゃなく、生きているうちの90%くらいは今、ぼくを傷め付けるてくる。
もちろん、死なないけど、軽く、面倒くせーなー、やめたい、と思うことはいっぱいある。本当だったら、定年退職の年齢なのだ。でも、小説家やミュージシャンに退職はないし、子育てに、終わりはない。
カフェに入り、野菜のグリルを頼んだ。これとビールで昼は済ませることにした。だんだん、食べること自体が得意じゃなくなってきた。

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」

地球カレッジ

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



すると、そこに、江國さんからメッセージが飛び込んできたのだ。
「ベネチアにいるの?いいなあ、いいなあ、いいなあ」
ぼくは画面を見つめながら、くすっと微笑んだ。
この人、どんな人生を生きているんだろう。「冷静と情熱のあいだ」を書いた後、いったい、20年も何をして生きてきたというのだろう、と思ったのだ。それは、ぼくも一緒だ。本当に、苦笑いがおきる。
一緒にあんな本を作ったのに、プライベートでは一切、繋がってこなかった。
目の前を、観光客とか地元の人とかが過っていく。この人たち、百年後、誰もいない。ぼくもいない。なんのために生きているんだろう、・・・

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



小さな運河が目の前にあり、そこをゴンドラが行き来していた。その写真を一枚、撮影し、江國香織さんに送った。

ヴェネツィア日記「息子から、家庭教師の先生を探したい、と連絡があった」



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