JINSEI STORIES
退屈日記「息子がいない夜に、ぼくはオデオンの交差点でナンパを試みるが!?」 Posted on 2021/07/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子は同級生の家でやるクラスのお別れパーティに出かけて行った。
高校二年生が終わったのだ。ちょっとくらい羽目を外しても、これはとめられない。
戻ってきたら、毎日、PCR検査をやる。
さて、独りぼっちの父ちゃん、ご飯作りから解放され、今日は思わぬ夏休みとなった。
ならば、父ちゃんもたまには気分転換しようじゃないか、ということで外食をすることにした。
そうだ、子供たちがパーティやってるなら、クラスメイトのママ友たちも暇に違いない、と思いこみ、レテシアとかオディールとかパトリシアに「はーい、暇ならディナーしませんか?」とワッツアップ送ったのだけど、考えてみたら、ご主人と2人きりのデートのチャンス日じゃん、ということで全員から、良い夜をねー、との返信。ぎゃふん。
1人確定。←独身はこういう時、寂しい感じがします。
ということで、そうだ、ぼくは孤独を愛する作家だった、と自分に言い聞かせ直し、おしゃれなジャケットを着て、ハットをかぶり、マフラーを巻いて、颯爽とオデオン地区の夜の街へと繰り出したのである。
えへへ。←負け惜しみです。さて、どうしたものか。
もしかしたら、ぼくと同じような孤独なマダムが1人駅前のベンチで黄昏ているかもしれない。
そっとその横に腰を落ち着けて、さりげなく、声をかけて、孤独を愛する者同士、意気投合をして、気の利いたカフェにのテラス席で、思わぬ出会いから素晴らしい愛に発展をして、父ちゃん、20才くらい若返って、ブリンブリンな6月最後の夜になるのか、すわ、と思ったのだけど、駅前のベンチに90才くらいのご高齢の元美人さんが、1人背中を丸め黄昏て座っていたので、そのまま、失礼のないように、前を通過した父ちゃんであった。←ごめんなさい。
オデオンの交差点を見回すと、おお、見事に熟年カップルばかりで、腕組んで歩いていて、羨ましかー、と思った父ちゃん。
しかし、まあ、他人と比べない、と自分自身に言い聞かせて、レストランを探すことに。←「他人と決して比較しないでください」という今日のツイートはその時に考えたものである。ご参考までに・・・。
あ、そうだ。トゥンさんのところに癒されに行こう、と思い立ち、ぼくはプリンセス通りへと足を向けたのであった。
ベトナム人のトゥンさんが経営するレストラン「パランカン」は在仏20年でもっとも足繫く通ったベトナム料理店。
ベトナムの方々の本当に優しいこと。
日本人とも、中国人とも、韓国人とも違う。優雅さではアジア一じゃないかな、と思わせる、ベトナム人、ここは彼らに身も心も舌先も胃袋をぜんぶ預けるべきだろうと、決めた父ちゃん、不意に心が軽くなった。
ベトナムはかつてフランスが宗主国で繋がりが深く、フランス文化の影響を受けているし、貴族の方々が戦前に多くフランスに移民をしたので、フランスで生きるベトナム人に元貴族の家系が多く、たとえば息子の親友アレクサンドルのお母さん、リサもその末裔。
お父さんはフランスで有名な外科医で、おじいちゃんはベトナムの政治家だった。それだけで一つの映画が作れそうな一族なのである。
リサのような人たちが結構いる。そういうことが影響しているのか、フランスにいるベトナム人は囁くように語り、行動も実に礼儀があり、楚々としている。
何より優しいし、純朴で、知性もあり、もう、寂しい時には彼らにすがるのが一番、何より、ご飯が日本人の口にあう。
ぼくはお腹がすいていたので、まず、小さなポーションの上げ春巻き(ネム)を前菜に。
メインにシトロネルで炒めた鶏肉ともち米を。ぼくはこれを合わせて鳥丼にするのだけど、もち米の感触とアマダレのなんともいえないハーモニーに悶絶。
最後に欲張ってハーフポーションのフォーまで頂き、ああ、満腹だ、終わった。
給仕長のスティーヴンを呼びよめ、トゥンさんに会いたいと言ったら、新しい店の方にいるとのこと。
代わりにシェフのスンさんが出てきて、おいしかったね? と謎の日本語で挨拶をしてくれた。
親日なレストランである。
実は、スティーブンも優しいけど、トゥンさんは若い頃、日本に留学していたようで、日本語もペラペラだ。
その日本語が実に懐かしい昭和な感じで、和むのである。
息子のいない夜を優しく包み込んでくれた「パランカン」の皆さん、本当にありがとう。素晴らしい夜になりました。
皆さん、パリにお越しの際は、アジアが恋しくなったら、ぜひ、お立ち寄りください。
Le Palanquin
12 Rue Princesse, 75006 Paris