JINSEI STORIES
滞仏日記「街の哲学者アドリアンが語る、オリンピック後の日本」 Posted on 2021/06/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、午後、パリ在住の演劇評論家、堀切克洋氏とカフェで演劇談義、2時間くらい盛り上がって別れ、気分よく家路についていたら、いつもの教会前に街の哲学者ことアドリアンが葉巻をふかして鎮座していた。
「よお、エクリヴァン(作家)」
「おお、フィロゾフ(哲学者よ)」
といつもの挨拶、ぼくは彼の横に腰を下ろした。
「NHKのドキュメンタリー番組は日本で放映されたのか?」
「あ、観たいか?」
アドリアンが大笑いした。
「どっちでもいいけど、自分のテレビ映りを観てみたい気もするが・・・」
ぼくは笑った。哲学者でもテレビ映りが気になるようだった。
「君の顔が怖い、という意見もあったけど、大半の視聴者さんは動いている君に感動していたみたいで、本当に実在するんだ、というコメントもあった」
「怖い顔? 実在する? なんという甘美なコメントなんだ」
ぼくらは笑いあった。
「ま、評判は上々だったよ。ありがとう」
アドリアンは葉巻をふかした。笑顔が怖い、確かに、怖すぎる。
今までなんでこの顔が平気だったのか、今ひとつ、わかならない。
アドリアンは笑うのをやめ、ぼくの方に身体を向けると、真面目な顔で
「ウガンダの選手団から2人の陽性者が出たんだね、過去にもすでに数人の陽性者が出ていたようだな。国民の皆さんはパニックになってないか?」
と切り出してきた。
彼は読んでいる新聞をぼくに見せた。
「不安に思っている人は多いと思うよ」
「まだ、選手団の入国が始まったばかりなんだろ? あとひと月もある。なのに、いきなりか・・・。ちょっと嫌な感じだね。気づかないで入国させてしまう選手や関係者も出てくる可能性がある。危険な橋を渡ろうとしているね、日本は、・・・大変なことにならなければいいのだけど、ま、しかし、杞憂ならいいのだが・・・」
返事が出来なかった。
ぼくはそもそも4月23日に「東京オリンピックが残念ながら開催できないかも、という理由」という日記を配信している。ちょうど、二か月前のことである。
そこにはこう記した。
~無理に開催をした場合の代償があまりにも大きすぎる。・・・目先のことに囚われ過ぎている、もっと先を見据えないとならない時に。(中略)東京オリンピックを国益や国民の命を守る場合を考えるに、開催しちゃいけないのだ。~
過去記事はこちらから⬇️
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1769/
「しかし、今の動きを見ていると、何か強い決断がなされない限り、開催はもはや止められそうにないな。未来よりも目先の利益を守りたいのだ。そこに経済が深く絡みすぎている。強いリーダーシップがない限り、この問題は解決できないだろう」
「・・・・」
「じゃあ、日本国民はどうするべきか、考えないとならない」
アドリアンは葉巻をふかしながら、続けた。
「君が日本国民で、東京在住ならばどうする?」とぼく。
「これまでのフランスの感染の流れからすると、バカンスなどの後、二週間後から感染拡大が始まっている。選手団は叙情に入国してくるから、じわじわと感染が広がることが想像でき、8月の中旬以降、大きな波が日本を襲う」
「そうだろうね」
「変異株の怖いところは、すぐに陽性者が簡単に見つけ出せないケースも多く、従来株の常識が通じない面がある。東京オリンピックが開催される頃には感染者数が急激に増えだしていないことを祈りたい」
※ DSのパリ最新情報「ベルギーでインド二重変異株のクラスター発生」4月24日の記事を参照されたし。
インドから入った研修生が、空港などの検疫では陽性反応が出ず、12日後に出たという記事である。こういうケースが、オリンピックの期間中に、出てくる可能性は否定できない。
その場合、空港検疫では発見が難しくなる。しかも、選手たちは二週間の隔離がないので、ウイルス保持者が気づかず、まき散らす可能性もある・・・。
過去記事はこちらから⬇️
https://www.designstoriesinc.com/europe/supers-1/
「なので、方法は限られるが」
とアドリアンは言った。
「ワクチンの接種もまだ追いつかないみたいだから、秋までは相当警戒をして、自主的に外出しないような行動をとるしかない。政府が出来ないなら、国民一人一人がお互いを啓発しあい、自力で感染爆発を抑えていくしかない。しかし、これも、言うのは簡単だけど、日本人ならできるかもしれないが、実行するのは相当に難しい。フランス人には無理だ。日本の首相にそれだけのリーダーシップがあれば可能かもしれないが・・・、なので、国民の皆さんは、自分がかからないように、外出を控えることがさしあたっての最善策かな。それしかない」
「そんなんでおさえられるの? もうみんな頑張ってきたからね、限界」
「・・・」
「じゃあ、どうなる」
アドリアンは暗い顔になった。
「しかし、暗い未来ばかりじゃないぞ。ワクチン接種が全国に行き届けば、一時的に感染爆発が起きても、次第に、オリンピックには間に合わないかもしれないが、必ず落ち着いてくる。問題は、感染者数が跳ね上がった時に、日本人がパニックにならないか、医療崩壊も起きる可能性はあるし・・・」
「・・・・」
「日本は人口が一億人を大きく超えるから、ピストンのように次々打っていかないと」
「今日のニュースでワクチン接種が一日百万人に達したとあったよ。ワクチンに関しては頑張ってると思う。ただ、オリンピック開催までに全国民に行き届くのは難しい」
「しかし、それが本当ならグッドニュースだね。前もって、襲い掛かってくる最大の敵をイメージしておき、それぞれが自分の居場所で身を守りながら、接種を急ぎ、防御していけば、きっと、この危機はいつか乗り越えられる。どういう未来がそこに待ち受けているのか、判断は難しいけれど、この経験が、政治の重要性を強く認識する役割になるかもしれないね」
アドリアンは教会を見上げながら、目を細め、葉巻をふかしていた。