JINSEI STORIES
滞仏日記「田舎のG7,言葉が通じず逃げ回った父ちゃんの巻」 Posted on 2021/06/14 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、もの凄い夏日、朝から、フランスの田舎はゆであがるような暑さだ。
窓外から人々の笑い声が聞こえてきた。あれ? カイザー髭のところかな?
ぼくは声に導かれ、寝室の窓を開けて下を覗くと、な、なんと、2階の住人、フィリップ殿下とエリザベス女王にそっくりなご夫妻が、お仲間たち、数人を集めて、でっかいパラソルで太陽を遮りながら、優雅に、お茶をしていた。
土曜日から田舎入りしたのであろう。
週末、田舎に大勢のパリジャンが集まる。この辺はリゾート地ではないが、日本だと逗子みたいな長閑な田舎なので、静かな世界を求めて、賑わうこともある。
フランスの建物は階によって天井の高さが違う。
うちの建物で一番天井が低いのが、我が家で、当時の設計図によると、2メートル50センチ超という感じだ。
カイザー髭のところが3メートルというところだが、フィリップ殿下のところは外から見た感じだと、うちとカイザー家とをあわせた高さ以上はあるので、6メートル近い高さがあることになる。
一度、扉があいていて、中が見えたけど、天井からベルサイユ宮殿クラスのシャンデリアがぶら下がっていた。
思わず、ひるんだ、父ちゃん。
しかも、殿下の家には左右に側防塔のような、なんと表現すればいいのだろう、突き出した円筒形の側塔の小部屋が付帯しているのだ。
だから、外見だけ見ると、小さなお城みたいに見える。
多分、当時、160年前、この建物には、この地域の領主が住んでいたと思われる。
ちなみに、我が家はその領主に仕えるメイドさんたちが暮らしていたエリアで、多分、いくつもの小さな部屋に区切られ、共同生活をしていたに違いない。
だから、柱にしても、壁の素材にしても、殿下のアパルトマンとうちとでは質が異なるのじゃないか、と思う。
カイザーの家でも「すげー」と思った父ちゃん、ひけめを感じてならないが、今朝、階段で、フィリップ殿下に呼び止められてしまった。
「やあ。日本の友よ」
「イタリアと英国とドイツの友人たちが来ているんですが、よければ、一緒にティーでもどうですか?」
フィリップ殿下はなぜか、英語で、ぼくにそう告げた。
たぶん、ぼくの仏語がひどすぎて、英語の方がましだろうと勝手に判断した結果であろう。実は父ちゃん、英語も仏語レベルしか話せない。
しかし、一応、ロッカーだから英語話せないのに、英語の雰囲気だすのはめっちゃうまいのである。
巻き舌にして、別に意味のない接続詞とかをずらっと並べて、肩をすくめて、ウインクしたりして、ごまかすと、喋れる人みたいになる。
それが仇になることがよくある。殿下はぼくが英語人だと思ったようで、ずっと英語で語りかける。
困ったぞ、父ちゃんである。
そういえば、昨日、我が家にやってきた友人のアリスが、
「ひとなり、ちょっと質問があるの。言いにくいことだけど、ミュージシャンって耳がいいじゃない。でも、なんであなたのフランス語の発音はそんなにひどいの?」
と言った。
言いにくいことをはっきり口にするのがフランスのマダムのダメなところで、ぼくは笑ってごまかしたけど、その横で、ブリュノは、寝たふりをした。
きっと、この人は誰にでもこういうことを言ってもめ事を起こしてきた人なのだろう。
しかし、言わせてもらうと、フランス人の英語はかなり酷い訛りで、これは本当に人のことを言えないレベルなのである。
仏語の発音と英語の発音があまりに違い過ぎて、英語がかっこ悪いのだ。負け惜しみじゃない。在仏日本人に聞いてもらえばわかる。(それでも、ぼくの英語よりはましというものだが・・・えへへ)
確かに、それは仏人の弱点でもある。なので、ぼくはたいして英語が話せないけど、雰囲気美人だから、流暢な雰囲気をつくれてしまうので、ごまかしてきたのだけど、フィリップの英語は完璧だった。マジ、すげーーー。
やれやれ。
かくして、ぼくはちらっと彼らのティーパーティに顔をだすことになるのだけど、そこにいたのは、なんと本物の英国人紳士淑女、そしてドイツ人とイタリア人という国際派、
「ええ? あなた、日本人なんだ。作家なの? すごいね」
とドイツ人が流暢な英語で言った。
「日本、大好き。日本のどちらですか?」と英国人紳士・・・。
まではよかったのだけど、
「G7に来てましたよね、日本の首相。マクロン大統領と会談してましたね。日本はオリンピックやるんでしょ? あなたの意見聞かせてほしいです」
とイタリア人に英語でまくしたてられ、ぼくはたじたじになった。
しかし、ここで負けては日本の恥なので、ポーカーフェイスを浮かべて、たぶん、ミスタービーンのような感じになっていたと思うけど、片頬を引きずらせながら、肩をすくめて、あーイエス、あくしゃりー、とか話しを伸ばしながら、かかととつま先を少しずつ前後に移動させながら、後ろに下がって逃げ出すような感じで、言葉少なめに、
「いい会議でしたね。みんなで力あわせてね」
とごまかした。
何なら、一目散に逃げだす機会を探しながら・・・ひやひや・・・
「力をあわせてね、やはり中国との関係が今回も争点になりましたが、日本は同じアジアで台湾問題とか、あなたの母国では、どう議論されているんですか?」
とうるさい英国人が次々聞いてくるので、冷や汗流しながら、あー、あくしゃりー、とか、言って肩をすくめてみせた、父ちゃん。がんばれーーー。
「あーいえす、ばっと、べーりーでぃっふぃかるとぷろぶれむ、いえす、あいてぃんくざっと、あーいえす、ソーリー、まいいんぐりっしゅいずのっとぐっど~」
とか言ってるところへ、殿下がフルーツをもってやってきて、話題が、そっちになったスキに、父ちゃんはそこから、清水の舞台に飛び込むように、スッと消えてやったのだった。はい、消えました。へろへろ・・・
ともかく、自分の家に逃げ帰り、しばらく呆然としてしまった、父ちゃん。
地球カレッジがあったので、そこから90分、フィンランドと日本とをつないで、司会進行をやり、本当にくたくたになって、寝室に逃げ込んだら、フィリップ殿下たち、赤いパラソルの下で、アフタヌーンティーを愉しんでいた。わ、目が合った。
殿下がぼくに気が付いて、
「サンドイッチでも食べに来ませんか? G7の話しの続きをしましょう」
と誘われたのだけど、ぼくは
「ちょっと国際会議があるので、いけません」
と謝って、再び、消えた。はい、またもや、消えました。
ぼくは冷蔵庫をあけ、茶そばを茹で、昨日漬けた白菜の一夜漬けと卵焼きと残りものの鯛を一人で、建物の反対側の窓際で、一人、寂しく食べたのだった。落ち着くー。日本万歳。
殿下たちの笑い声が、夕方まで楽しそうに続いた。
彼らは魚屋から取り寄せた魚介プレートを酒の肴につまみながら、夜、そのままシャンパンパーティへと突入していたのである。
ということで、田舎のG7もなかなか手ごわかった、というお話しでした。
えへへ。
つづく。