JINSEI STORIES
滞仏日記「カイザー髭とハウルの魔女に寝起きを襲われた父ちゃんの巻」 Posted on 2021/06/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、朝の九時に一度、玄関の呼び鈴が鳴った。
管理人もいないし、外玄関はここの住人しか入れない仕組みであり、もちろん、インターフォンもない。
呼び鈴はぼくのアパルトマンの玄関先にしかない。
考えられるのは、下の階のカイザー髭さんであろう。もしくは奥さんのハウルの魔女か、あるいは、館の裏手の地下室で一人暮らす、一階フランケンの息子こと、プルースト君ということになる。
でも、昨日の状況から判断をすると、カイザー髭じゃないか。
だとしたら、話すことはないし、朝の九時って、怖すぎる。で、身を潜ませて、ベッドでコーヒーを飲んでいたら、十時に再び、呼び鈴が鳴った。
し、しつこい。ぼくは、忍び足で階段のところまで行き、耳をすませた。
「いないのかなぁ。いるはずなんだが」
とカイザーの声があからさまに聞こえてくる。ゲっ。
「寝てるんじゃないかしら、日本人は朝遅いのかしらねー」
とハウルの魔女の声が聞こえてきた。
だいたい、そんな内容だけど、怖すぎる。
普通のフランス人は日本人以上にプライバシーを大事にするので、過去、パリでこのようなチョッカイをされたことがない。
彼らがパリジャンじゃないのは知っているけど、それにしても、ちょっと行き過ぎじゃないのか、・・・。ぼくは居留守を使った。
ところがである。
その直後、ぼくの携帯が振動をした。ぶるる、ぶるる。電話だ。
カイザー髭もぼくの電話番号を知っているので、げげげげ、と思ったけど、息子からかもしれないので、用心をしながら、覗くと知らない番号が・・・。
しかし、ここから50キロくらいの隣の県の市街局番である。え? なんだ?
出ないということもできたけど、警察とか役所からだといけないので、玄関から離れたサロンの窓際にそそくさと移動し、電話に出てみた。
声を潜め、カイザーらに聞かれないよう、小さな声で、あろー、と言った。(フランス語で、もしもし、のこと)
「あろー? あろあろ?」
「あの、ムッシュ・ツジー?」
あ、だれだろう? 知らない声・・・
「ウイー、ぼくです」
「今、下にいるんですけど、ソファを届けにきました。ここに置いていけばいいですね?」
「ちょっと待ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」
おっと、すっかり忘れていた。今日だった。家具が何もないので、ネットでソファを買ったのだった。
「置いていくって? うちは5階なんだけど」
「え? そういう指示は出てないですよ。そこに届けろとしか」
「ちょっと待て、すぐに降りる。ぼくひとりじゃ上まで運べない。ちょっと、お願い。待ってちょーーー」
とにかく、館の玄関にソファを置いて行かれてはどうしようもないので、家具屋めー、ちゃんと上まで届けるって約束しただろうがぁ、と独り言ぶつぶつ言いながら、でも、カイザーの家の前は忍び足で、・・・駆け降りていった。
若い運送屋が大きな箱を二つ地面において立っていた。これ、運べるわけないでしょ?
「ちわーす」
彼らは家具屋の書類をぼくに突きつけた。
「ほら、見て下さいよ、ムッシュ。建物の前まで運ぶという契約なんです」
と背の高い方が言った。2メートルくらいある。その横の子はマッチョだ。プロレスラーみたいながっしりした体躯であった。いかにも、運送屋さん!!!
ここで、彼らを怒らせても誰も特にはならない。
「ぼくは若く見えるかもしれないけど、61歳なんだ。一万キロ離れた日本からやってきた。息子を一人で育ててきた。シングルファザーのギタリストなんだ。この間、セーヌ川でライブもやった。マジだよ、見てみるかい、これだ」
ぼくはインスタにあげた映像をちらっと見せた。困った顔をしている2人・・・。
「何を言いたいかというとだね、ギタリストは指が命なんだよ。でも、61歳のぼくは言わば、君らのお父さんやお母さんと同世代だと思う。いや、もっと上だろ?」
「ぼくの父は56歳です」
「ほら。そんな年齢のぼくが、ギターが弾けなくなると、どうなる? このソファは重い。これを一人で5階まで持ち上げて、ぼくが死んだら、17歳の息子がパリで路頭に迷うなんだ。君たちの助けが必要だ、お願い。チップをはずむから上まで上げてくれないか?」
2人はお互いの顔を見合わせた。
「はずみます」
「わ、わかりました」
ということで2人が大きな箱を二つ、5階まであげてくれた。自分であげることを考えたら、チップで済んで、よかった、と安堵しながら、2人の後をついて登る父ちゃん。
しかし、うちの階段が狭くて、そこから上にはあがらなかった。マジか!
「ムッシュ、実は、箱から取り出すことができないんです。ルールがあって、箱をぼくらはあけちゃいけないんです。そして、ぼくらは残念ですけど、ここまでしか協力できないんです。ごめんなさい」
そういって、青年たちはカッターをぼくに手渡した。ぼくが(?)となっていると、
「あけてくれたら、取り出すところまではやって帰ります。ソファ部とバラバラの脚の部品になりますから、大変だけど、あげられるかも、ですね」
と言った。
そ、それでも、助かるので、ぼくは箱を開封した。青年たちが中のソファを取り出し、部品をそこにおいて、いらなくなった段ボールだけは持って帰ってくれたのだった。
しかし、ぼくの家の階段は超狭い。これを一人で持ち上げ、この階段を上るのか、61歳が一人でか、と思ったら、泣きそうになった。
すると、その時、
「手伝おうか?」
とカイザー髭がドアの隙間から顔をだし、笑顔で言ったのである。
「なんか大変そうだね。ぼく暇だから、協力するよ」
と、その時、その後ろから、にゅーーーっと顔を出したのが、ハウルの魔女ーーー。
に、似てる!!! そっくりすぎる。
いかん、笑っちゃいそうだ。ぼくは白目をむいて、めるしー、と笑いをこらえながら言ったのである。三人はなんとなく仲良しー。
か、かくして、午前11時、ぼくはな、なんと、カイザー髭の力を借りて、ソファを自分のアパルトマンの中へと引っ張り上げる展開になったのである。
想像だにしなかった展開である。でも、現実、ソファが階段を移動していった・・・。
狭い階段だった。そこをターンさせながら、しかし、ソファを壁にあてないで、上手に、回転させながら、運ばないとならない。
70代半ばくらいだろう、カイザー髭には重労働のはずだったが、嫌な顔一つしないで、持ち上げてくれた。しかも、彼は自ら、下、つまり、持ち上げる方を担当してくれたのである。
「はい、ストップ!!!!! ぶつかるわよーーーー」
ハウルの魔女が階段上のメザニンから上半身を乗り出して、指揮官さながら、誘導してくれた。
「ストップ! ダメ、左にすっちゃうわよーーーー」
「ダメ、ストップ!!!! もう少しゆっくりとォーーーー」
見上げると、ハウルの魔女があの顔で、指さしながら、誘導しているのだ。
い、いかん、笑ってしまう。これは、凄い光景である。
笑っちゃ失礼だが、ハウルが本気出してる。そのやさしさに、ぼくは感動して、笑っているのである。本当です。
「ストップ!!!!!!!!」
ということで、アパルトマンに到着したソファ、組み立てたら、こんな感じになったので、ご報告まで、ご覧頂きたい。
素敵な生地で、壁や床にもあっている。
ソファの前にはアフガニスタンのキリムというハンドメイドの絨毯を敷いた。
カーサ・ツジータスな世界観じゃないか!!
次第にできてきた、ぼくのアパルトマン!!! ひゃっほー。あ~、素敵だぁ。
ところがである。な、なんと、そのソファに最初に座ったのが、カイザー髭で、その隣にちょこんとかわいらしく腰を落ち着けたのが、ハウルの魔女であった。
「ゲ・・・」
しかし、手伝ってくれたのに、ここで追い返すような日本男児であってはならない。ぼくは京都一保堂のほうじ茶を出すことになる。
「まー、美味しい」
とハウルの魔女が微笑んでくれたので、ぼくはへなへなっと崩れ落ちてしまうのだった。
長居するんかぁ~・・・あんたらぁ・・・
つづく。