JINSEI STORIES
退屈日記「明日へ、明日へつなげるためにみんな生きてるんだよ」 Posted on 2021/05/31 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ライブが終わった後、スタッフの一人が、
「辻さん、また明日へ、がはじまりますね、辻さんの明日へが」
と言った。
ぼくは楽器を片付けながら、いい言葉だな、と思った。
ぼくの故郷のという曲のサビの部分が、明日へ、明日へ、届け、というフレーズなのだ。
ぼくはライブが終わったけど、もう次の旅に出始めている。
ぼくはなんで、終わった、と思うのが嫌なんだろうね。笑。
うちの息子は「さよなら」が嫌いで人が帰るときはいなくなる。笑。
モンテベロー号が接岸し、みんなで船を降りる時にはすでに、明日へ、となっていた。
一つのことがこうやって、終わって、終わることで、そこから、また次が始まっているのである。
それが実は人生というものなのだ。
そうだ、それが人生である。
たしかに、3回オーチャードホールのライブが中止になって、苦しかった。
でも、昨日のライブでぼくはやっと、終えることが出来た。
肩の荷を下ろせた。なので、
ここから、またはじまるのだ。
昨日のあの映像を今朝、起きてちょっとアーカイブで、眺めた。
春の季節のどまんなか、セーヌ川の両岸を歩く日曜日のパリ市民のど真ん中でZOOとか歌っているこのミュージシャンたちの光景があった。
長い感染症とのこの戦い、まだ終わらない戦いの中にありながら、人間がそれこそ、再び日常を取り戻そうとする希望の一部を、ぼくらは、描けたのじゃないか、と思った。
もちろん、簡単なことじゃない。
でも、フランスだけで10万人以上の方がなくなった恐ろしい時代の中にあっても、我々の人間性は誰にも支配されないのだ、という根源的自由への希求をぼくらは演奏することが出来たと思っている。
在パリ日本人の方がぼくらが過去から未来へと向かう姿を動画で納めてくれている。二枚あって、最初が現在へと向かうモンテベロー号、そして、二枚目が、現在から未来へと向かう姿である。「明日へ、明日へ、届け」とぼくらは歌っている。
ぼくらがこの厳しい時代から一日でも早く抜け出せることを願ってやまない。
ぼくは人類がコロナを乗り越えられると信じている。信じている前提で生きている。それが、明日へ、の意味でもある。
※ 撮影 Takami Robert