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退屈日記「息子がパパを応援してくれる時。ぼくはまだ頑張らなきゃと思う」 Posted on 2021/05/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ここのところ、ライブのことでいっぱいいっぱいで、家事とか料理とかが出来ずにいる。
家は玄関までまさに足の踏み場がないくらいちらかり、荒れ放題だし、息子には悪いとは思いながら、もう、3,4日、ずっとポテトサラダばっかり。
この時期にしか収穫されないというノワール・ムチエと呼ばれる、北海道の男爵イモのようなじゃがいもだけど、これで大量にポテトサラダを作り、朝昼晩とサンドにしたり、メインにしたり、美味しいのだけど、さすがに息子は「またこれ」という顔をして、でも、いいやつだから、文句も言わず食べている。
あと、イタリアのイタリアン・ウエディングスープをこれは連載中のダンチューのレシピ用についでに大量に作って、ここ二日くらい、続けて出している。

退屈日記「息子がパパを応援してくれる時。ぼくはまだ頑張らなきゃと思う」



退屈日記「息子がパパを応援してくれる時。ぼくはまだ頑張らなきゃと思う」

「すまんね。ライブが終わるまで我慢してくれ」
「ぜんぜん、問題ないよ。ぼくが習った料理とかでよければ作るよ」
「とりあえず、大丈夫。おなか壊しても困るから」
「かっちーん」
もちろん、かっちーーーん、とは言わないけど、そういう顔をして、たしかに、と納得していた。野郎二人での生活もはやいものでもう8年が経つ。この子にはいろいろな意味で迷惑をかけたけど、協力しあって、今日まで乗り越えてきた。
「でも、明日、ほら、快晴みたいだね、風もなさそうだし、23度って、けっこう暑いよ」
「そうだね。頭が回らなくて、まだ衣装とか決めてない」
「パパ、衣装なんていらないって。明日が晴れで、コロナに誰も罹らないで、配信ライブがこのような時代にできるんだから、それだけでもう十分。逆に、Tシャツでやれば? 普段のままでいいんじゃない?」
「そうだね」
「今のそのままのパパを見せたらいいじゃん。ぼくはパパは自分が思っているよりも、普段のかっこつけないジャージ姿のパパとかがいいと思うんだけど、そういう普段着でカメラの前に立てば、なんか皆さん、泣けてくると思うよ」
「さすがに、ジャージはないでしょ」
「冗談だけど、かっこつけないでやってよ、という意味。ぼくは明日、ステファニーと川岸から応援する」
「え? ステファニーとまだつきあってるの?」
わ、口が滑った。息子に睨まれた。

退屈日記「息子がパパを応援してくれる時。ぼくはまだ頑張らなきゃと思う」



「パパの助言のおかげで、友だちとして仲良くやってる。いいでしょ? 彼女が見たいっていうんだ」
「いいよ。じゃあ、手を振るから、場所が決まったらメッセージ送ってくれよ」
ぼくらはポテトサラダを食べながら、話し合った。
実は、息子には見せたかったのだ。
45歳も年齢差がある。自分が頑張ってる姿をできるだけ見せておきたい、というのは父親としてのエゴだろうか? 
でも、もう20年後にはさすがに無理なことなので、この子の記憶の中に、いつまでも若々しい父親という姿を焼き付けておきたいのだ。
ぼくはもちろん、料理をしている姿も覚えておいてもらいたいけど、映画を撮影したり、ライブをやったり、仲間たちと元気に動き回ってる父親を息子に覚えておいてもらいたいから、本当であれば、船に乗せて、手伝わせたかったのだけど、スタッフさんに、人数制限があるから今回はダメです、と言われた。
コロナ禍なので、乗船できる人数も決まっている。
そしたら、川岸から見るというので、ちょっと実はうれしかった。
父親というのは、いつまでたっても父親なのだと思う。
何か一つでもバトンを渡せればと思ってがんばってしまう。
息子の中にいったいどんな父親が記憶されているのかは、ぼくが生きてる間にはちょっと分からないことだけど、大事なことは、その記憶を大切に持ってもらえることだ。
この8年が、彼にとって人生の支えになるのであれば、それで十分である。
明日はがんばろう。

退屈日記「息子がパパを応援してくれる時。ぼくはまだ頑張らなきゃと思う」

明日のライブが終われば、元の日常が戻ってくる。
とりあえず、けじめをつけたく、今は集中している。
ポテトサラダは、今日の昼飯までの分がまだある。コロッケにでもするか!



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