JINSEI STORIES
自分流塾「運気を必ずあげる父ちゃんの運気アップ習慣」 Posted on 2022/02/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、運気をあげたい、とみんな口にするが、よくわかないものである、運気とは・・・。
なんとなくだけど、「俺は運がない男なんだ」と言い続けている人って、その言い続けていることで「運」が近づきにくい環境を作っているように思うことがある。
運がないと認めてしまうから、運に見放されることもあると思う。
だから、絶対に、自分から「運がない人間」と認めてはいけない。
まずこれが第一点。
運がいい人って、ラッキーしか最初から見てないというのか、興味がない。
「俺は運がいいんだ。大丈夫」とつねにどんな時もポジティブにとらえている人が多い、気がする。
ぼくの知り合いに、倒産をして酷い状態の時にも、「絶対、大丈夫。何となる。俺って運がいいんだ」と誤解し続け、いや、言い続けて、本当に、復活を手に入れた男がいた。何人かいた。
彼らを見ていると、運に見放されないぞという強い執念があって、少しでも運気が上がりそうならば、隙あらば、の勢いでラッキーを目指して生きていた、あれはマジ、見習うべきだと思ったものだ。
そもそも、うまくいかないのを全部、周囲や世の中のせいにして、世の中が悪い、と言い続けているだけの人に、運が舞い込んだって話し、聞いたことがないのだ。
どんな逆境でも、絶対、大丈夫と自分を信じてやり続けている人は、つまり、自らの力で運を引き寄せ、運を開いているような気がする。
こういうことから考えると、「運」というのは神や天任せのものじゃなくて、実際には自分で作っているものじゃないだろうか?
自らが自らの力で「運」を引き寄せている。
よく考えてみてほしい、「運のいい人」というのは行動的な人が多くなかったか、・・・。
じっとしていて、毎年、宝くじが当たっている人にあったことがない、けど、頑張って成功した人ならば、たくさんいる。
「運」という漢字には、「巡り合わせ、定め」という意味がある。
運送屋さんの運と一緒だ。
そう考えると、運は誰かが運んでくるもの、もしくは、自分が運んでいくもの、ということにならないだろうか?
「運命」という言葉があるけど、命を運ぶと書く。
つまり、運命というのは、命を運ぶこと、つまり、人間のことだ。
人間は命を運ぶ運送屋なのだから、その長い活動の中で、いいこともあれば悪いこともある。
でも、前を見て、必死で命を運ぶことが大事で、楽しく運ぶことも大事で、せっせせっせと一生懸命運んでいると、いつか、いい結果に巡り合えるのじゃないか、と思うのである。
それが運を引き寄せる次に大事なコツであろう。
「不運」に慣れないこと。
大丈夫、絶対やれるからと運気を引き寄せて、この与えられた人生を精一杯、愉しみましょう!