JINSEI STORIES
滞仏日記「辻仁成的カフェ論」 Posted on 2021/05/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ライブに向けてバタバタしていた。ちょっと落ち着こうと思って、午後、馴染みのカフェに顔を出した。
ポール、ジャンジャック、セドリック、ブリュノ、いつものメンバーがそろっていた。
ぼくを見つけるなり、満面の笑みを浮かべてくれた。和む。
もちろん、営業はテラス席のみだけど、それでも大満足である。
常連たちが、いつもの席に陣取って、ビールを飲んだり、カフェオレ飲んだり、食事をしたり、ああ、懐かしい光景がここにも戻っている。
ぼくはうれしくなって、昼間からワインを頼んでしまった。最後にコーヒーで、きりっとしめるのが辻仁成スタイル!
ぼくは端っこの目立たない席に陣取ったのだけど、主要なギャルソンたちが順繰りとあいさつに来てくれた。そうでなくっちゃね。
で、みんな懐かしがってくれたのだ。なにせ、7か月ぶりだから・・・。
ぼくにとってカフェというのはコーヒーを飲んだり、打ち合わせをしたり、食事をするためだけの場所じゃない。
人によっては本を読んだり、仕事をする場所ではあるのだけど、・・・。
ぼくにとってカフェは、今日一日に意味を与えてくれる場所なのだ。
カフェで仕事はしない。ぼんやりする、魂を泳がせるというか、これが適切な言葉が見当たらないのだけど、そうだな、精神の充足を求める場所とでもいうのだろうか。
静かに満ちていく感じになるところ、である。
パリジャンにとっては、重要な逃げ場所でもある。
だから、ギャルソンたちはそれをわかってくれるやつらがいる店じゃないとならない。
観光地に行くと、有名なカフェがあるのだけど、そういうところのギャルソンはスノッブで、ぼくにはちょっと残念・・・。
これがおフランスみたいな態度をとる若いのがたまにいて、そういう店は大体、ほかのギャルソンも似たり寄ったりで、ぼくには合わない。
そういうスノッブなギャルソンが好きな人もいるだろうから、別にどうぞって、感じ。
たまたま今日は忙しくてぼく担当のギャルソン、ポールさんが食事に入ってしまって、・・・(必ず担当がつく。担当が違うと応対してくれない場合もあるので注意。注文をした人を探して、お会計をすること。これはルールだからしょうがないけど、でも、別の人でも対応してくれるカフェもあるから、たとえばぼくが行くカフェは、そういう店)で、遠くにセドリックが暇そうにしていたので、にやにや見ていたら、視線を感じたのか、ぼくに気が付いた。
そしたら、素早く指を持ち上げウインクをすると、もちろん、という顔をして、さっとレジに直行する・・・。
あの、スマートな身のこなしに、めっちゃ文化を感じる。
あの人懐っこいいつものギャルソンたちに会いにカフェに行くということ。だから、家に帰るみたいに落ち着くことが出来る。
「今日は晴れて最高だね。カフェが再開されて、祝福されてるみたいだ」
とぼくが言うと、セドリックは、
「いやいや、先週はどしゃぶりで、幸先の悪いスタートでしたよ。まだ油断禁物ってことじゃないすか」
と優しい愚痴をこぼす。先行き見えないコロナに即座にひっかけて戻す冗談のセンスが光る。
「でも、こうやって働けることがうれしい。やっぱり、いいっすね」
「いいねー、こうやってここに来るとみんなに会える、雨でも会えるんだから・・・」
チップはあげ過ぎてもいけないけど、小銭を切らしてる時は慌てる。
ようは心付けだから、ぼくは好きな人にはおとしていく。その日の気分で。
なぜかというと、コーヒーはうちで自分で挽いた方がおいしく出来る。
でも、家にギャルソンはいない。あ、いるか、息子が。笑。
つまり、ぼくは充足を求めるために行くので、コーヒー代は材料費くらいにしか思ってない。
で、普通は、おつりの中のさらに小銭をちょっと残せばいいのだけど(フランス人は残さない人も多いので)その辺はほんとうに相手によるのかな、自分がどうしたいか、その時の気持ちに従えばいいのである。
そうだ、カフェは自分の気持ちに従う場所なのである。
どこの席に座るのか、何を飲みたいか、いつまでそこに陣取るか、そして、いくらチップを置いていくか・・・すべて、自由。
あと、ギャルソンを呼び止める時は、必ず、ボンジュール、からはじめよう。
セドリックだったかな、ぼくがすごく急いでいた時があって、いきなりカフェを頼んだら、
「ムッシュ、どんなにバタバタしていても、ボンジュール、忘れちゃダメですよ」
とたしなめられたことがあった。
こういうことを思い出させてくれる彼らの日常感がまた素晴らしいのだ。
いい店というのは、ボンジュールが飛び交っている。通りの反対にいても、聞こえてくる。
だからここの店なんて、無限の「ボンジュール」ループが起こってる。オス鳥のさえずり?
ボンジュールが聞こえてくる店は、そのカルチエ(地区)で一番愛されている店ということになるので、パリに観光に来た場合、ギャルソンを見て決めたらいい。
で、こういうカフェがパリ中にあると思ってもらえるといい。
自分が暮らす地区にある、一番お気に入りのカフェで、自分だけの時間を過ごすことが、パリジャンにとっては一番の喜びなのである。
※、手にシップが、すいません。ライブに向けて、いつもの腱鞘炎中です。これが、職業病なんです。えへへ。
だから、この一年、カフェに行くことができなかったことがストレスだった。
カフェがあるかないか、これはパリという街にとって、最も大事なことなのである。
ロンドンにパブがなければはじまらないのと一緒。ローマにはバール。バールってカフェなんだけど、立ち飲みのカフェみたいな、タッチアンドゴー的な場所で、もちろん、寛げるけど、たぶん、パリのカフェとは全然違うのかな。
つまり、寛ぎ方が国によって、欧州といえど、まったく違うのである。
ぼくの行きつけのカフェはどこも(数軒ある)そのギャルソンたちの空気感が素晴らしい。
だから、ぼくはいつもかなりのリスペクトをもって、そこへ逃げ込むのだ。裏切られたことはない。充足する。
そして、店から出るとき、ぼくは再び、作家、辻仁成になっているのである。えへん。