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滞仏日記「またしてもあの手ごわい隣人に道を塞がれ、ぼくのイライラマックス」 Posted on 2021/05/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、フランスは7か月ぶりにカフェ、レストラン、そして商店や美術館などが再開となった。
これは本当に待ちわびたことだ。
ぼくは車を飛ばし、40分ほど離れたこの地域では一番大きな街までお茶しに出かけた。
どの店員たちもイキイキしていた。
ぼくの担当の若いギャルソンは、、
「黙っていても自然とスキップになっちゃうんだ、わかるだろ? ぼくらは働きたかった。こうやって、あなたたちに飲み物や料理を出せることがうれしくてしょうがない。わかるだろ。生き甲斐だ。人間、ずっと家の中なんかでじっとしてられないんだ」
と、テラス席の全員に聞こえるように言い放っていた。
みんな、笑顔でそれを聞いていた。中には小さく拍手する者もいた。
みんな待ちわびていた。カフェはフランスの文化だ。フランス人の社交場であり、人生を語る場所なのだ。
別の若いギャルソンはステーキの皿を抱えて店内から颯爽と出てくると、テラス席の客らの中心でターンをしながら、
「うちの名物、ステーキ&フリットだよー」
といった。嬉しくてしょうがないのが、伝わってくる。
フライドポテトの香ばしい香りが鼻腔をそそのかしてくる。ううう、たまらない。

滞仏日記「またしてもあの手ごわい隣人に道を塞がれ、ぼくのイライラマックス」



商店があいたので、インテリアの店で仕事机を買った。
ちょっと重かったので、店員さんに手伝ってもらい、車まで運んだ。
ずっとお金を使うチャンスがなかったので、何か自分のために買いたかったのだ。
車を館の前の歩道に乗り上げてとめ、そこから、あの手この手で、運んだ。
さてと、5階までこれを一人であげないとならない・・・。
持ち上げると、ギクッと、腰にきた。
もうすぐ「セーヌ川クルーズライブ」なのに、ここでぎっくり腰になったら、どうするんや、と天の声が聞こえた。たしかに。
ぼくは用心しながら、少しずつゆっくりと運びあげることにした。
「ムッシュ・ツジー。凄いのを買ったね」
3階の踊り場を通過したあたりで、どこからか、声が降ってきた。この声はカイザー髭こと、ムッシュ・ベルナールだ。戻ってきたのだ。
ぼくは階段の途中で立ち止まり、顔を上げた。手すりを掴んで、上の階から、つるんと反った髭面がぼくを見下ろしている。
「そうなんです。今日から商店があいたから、衝動買いしちゃって」
「ああ、でも、君は作家だから、机は必要だよ。それは悪くない買い物だよ」
階段をあがろうとすると、カイザーさんの横から、ハウルの動く城の、あの荒地の魔女にくりそつなマダム・サンドリンヌが顔を出した。
うわあああああ、似てる。手が滑って、机が一瞬、落ちそうになった。
数日ぶりに見たが、やはりインパクト、半端ない! 本物そっくり、・・・。

滞仏日記「またしてもあの手ごわい隣人に道を塞がれ、ぼくのイライラマックス」



「あのね、ムッシュ・ツジー。いつまでいるの? 週末に管理組合の顔合わせをやりたいの、出て貰える? 」
「いつですか? 週末はパリです」
「金曜日よ。一階と三階の人たちもいるから、ちょうどいいじゃない」
金曜日はここにいるつもりだったが、顔合わせはかなり面倒なので、
「ああ、残念。金曜日の朝には帰らないとならないんで」
と嘘をついた。
「まぁ、それは、残念だわ。みんなあなたに興味があるのよ、日本の作家で、ミュージシャン・・・」
聞いといてよかった、とぼくは胸をなでおろした。すると、カイザーさんが、
「じゃあ、明日にしよう」
と言い出した。
ええええ、明日? のんびりできないじゃん。
「明日は無理よ、みんな揃うのが金曜の夜なんだから」
ふー、よかった。手がしびれてきた。やばい。早くあげなきゃ・・・。
「あの、荷物運びあげていいですか? 車を外に泊めたままだし・・・」
階段の踊り場を塞ぐ、髭とハウルを見上げながら、言った。



地球カレッジ

「重たそうね。何を買ったの?」
とハウル。
「机を買ったんだよ。彼は作家だから」
「そうよ、そうだったわ。どんな小説書いているの?」
「あの、すいません。そこ、どいてもらえますか? ううう・・・」
ギターが弾けなくなる、と焦ったぼくは、強行突破を試みた。
「まあ、立派な机ね、へー、アカシアの机??」
ハウル、邪魔だ、どけ!
覗き込んできたので、目が合った。ぎゃあああ、似てる、笑いが、・・・やばい、力が出ない、手元がすべる、セーヌ川ライブが、・・・。笑わせるな、ハウルの魔女!
ぼくは階段の途中で身体を前傾にしながら、机を一度抱えなおした。
いかん、このままじゃ、右手がダメになる・・・。
この人たち、まともな話しは通じないので、ぼくは天板でハウルの顔を隠して、そこを上り切ることにした。顔をみたら吹き出して、机を落としそうになる。だから、顔を隠す作戦に出たのだ。
邪魔だ、どけ! ハウル!

滞仏日記「またしてもあの手ごわい隣人に道を塞がれ、ぼくのイライラマックス」



とにかく、必死で駆け上がり、踊り場に一度、机を置き、自分の腕をさするのだった。
「ごくろうさま」
ハウルが笑顔で言った。
「しかし、総会には顔を出してもらう必要がある」
今度は、カイザー髭が横から、口を挟んできた。
「管理組合の会合って、何について話し合うんですか?」
ぼくは大きく肩で息を吸いながら言った。しかし、この二人、なんでいつもマスクを付けてないんだ!
「普通、管理組合というのは建物のことについて語り合う。壁の修繕とか、共有スペースの管理方法とか・・・。しかし、ここの管理組合はファミリアルだから、話し合いは多岐にわたるんだ」
「多岐にわたるって」
「たとえば、毎年、ここでは、春夏秋冬にイベント宴会をやるので、持ち回りで主催者を決めている。主催者はいろいろと考えないとならない」
えええええ、超めんどくせー。そんなのやだよ。聞いてねーし。
「イベント、それ参加しないとならないんですか?」
ええ、そうよ、と嬉しそうにハウルが笑いながら言った。
「でも、ぼくは忙しいから、毎回は無理かもしれません」
二人は不意に暗い顔つきになった。ハウル、・・・怖いよ!
「ダメよ。ここの一員になったのだから、参加しなきゃ、生きにくくなるわよ」
「生きにくいって、どういう風に」
「階段ですれ違うたびに、嫌がらせ受けたりするかもしれないわ」
「誰に!?」
髭とハウルがお互いの顔を覗き込み、悪魔的な微笑みを浮かべたような気がした。
「冗談よ。日本人は冗談も通じないのかしら」
冗談かい!



「でも、あなたのアパルトマンの前の持ち主は、イベントに参加しなかったから、住人たちと不和が生じて、ここを手放すことになったんだからね、覚えておきなさい」
マジか! それ脅しじゃん。
「でも、大丈夫。あなたは絶対参加するわ。うちの人と一緒にバンドやればいいのよ。夏祭りで」
夏祭り! ぼくは眩暈がした。そうだった、カイザー髭は若い頃、アコーディオン奏者であった。
「ディープパープルのハイウエイスターにしよう」
「なにが!?」
「課題曲だよ。ライブの」
勝手に決めんなよ、とぼくは机に手をついて、心の中で叫んだのだった。
下から、クラクションの音がした。田舎の空気を震わすような凄い音であった。ブーブーブー・・・。
カイザー髭が階段の小窓から下を見下ろし、
「君の車、あんなところに停めちゃってるけど、駐禁とられるぞ、警察よばれて」
と言った。
やばい。ぼくは慌てて、階段を駆け下りたのである。

つづく。

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