JINSEI STORIES
滞仏日記「来年9月から別々の生活もありうる父ちゃんと息子のバラード」 Posted on 2021/05/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、肉すいうどんを作って、息子と二人で食べた。めっちゃ、うまかった。最高である。
で、食後、息子の手を借りて、片付けをやった。
2拠点生活がはじまり、パリのオフィス兼住居を整理することにしたのだ。
今日は息子にバイト代、5ユーロを払って、手伝い&荷物運びをやらせた。重いものは持ってもらう、ギターが弾けなくなるとやばいので!
というのは、ついに、ここの腰の重い大家が本格的に水漏れ工事を始めるのである。「2年間、ほったらかしにされてきた水漏れ、壁は崩壊し、いつまでも湿度が100%はおかしい」とぼくは大家と生意気な管理会社に対し手紙を送りつけておいた。今までは仏語メール(スタッフさんに頼んで)だったけど、ぜんぜん、対応しないので、今回ぼくは英語で抗議をした。フランス人は実は英語に弱い。マジです。英語だとなぜか遜ってくる。以下がその文面である。酷い英文は笑い飛ばしてくだされ・・・。
Dear Mr
Today, I tell you directly, not from my staff.
Please allow me to speak to you in English.
I have been patient for two years without complaining since the water leak happened.
There was an electric leakage for a while, so it was dangerous.
But you never solved this problem and
I am still left behind. But for the last two years, I’ve been living in a house with collapsed walls.
How would you feel if you were me?
Do you think Japanese people are patient?
I keep paying the same amount every month.
Please forgive my impolite remarks.
Best regards,
Hitonari TSUJI
(原文ママ)
※田舎の家に仕掛けてある、遠距離監視カメラ。24時間、録画される。昨日、深夜に覗いたら、なんか、声が聞こえた気がしたのだけど、・・・あまり余計な詮索はしないことにした。
酷い英語だ。間違いだらけであることはわかってるけど、もう送っちゃったもんねー。
期待せずに送ったら、な、なんと大家から直接謝罪メッセージが届いたのである。
とにかく、フランス人と喧嘩したり、文句言ったり、抗議する時は、英語に限る。
「あなたには本当にたくさんの迷惑をおかけしました。あなたが辛抱強く待っていてくれているのに、私たちは長年問題を改善できなかった。来月の家賃は受け取るわけにはいきません。そして、保険会社に任せていると時間がかかりすぎるので、私たちが責任をもって、大至急工事をいたします」
大家の返事は仏語だったけど、あのケチな大家さんが、一月分の家賃をとらない、というのだから、勝利を感じる。
別に一月分の家賃がうれしいわけじゃない。当然の主張が通じたことがうれしかった。
そして、このメッセージが送られてきてすぐに、保険会社ではなく、大家が自費で雇った工事人が現状をチェックに来たのである。なるべく早く、直す、とのことであった。
(この工事人、日本が大好きな空手の先生なのだ。毎年、二回は日本に行くらしい。チェックしている間、ずっと、日本のことを話していた)
ともかく、工事が始まる前に、家を整理しておこうということになり、今日は息子の力を借りて片付けをやった。
何せ、ライブハウスがやれるほどの音楽機材(アンプ4台、シンセ、ギター6台。スタンドやいろいろ)があり、その上、書類が山ほど、旅行用トランクが10個くらいあるので、半分を地下に移動させた。
入口のところに小さな事務所(半分機材置き場)が付いているので、そこを中心に片付けた。
ここは水漏れしていないけど、2拠点生活がはじまるので、仕事道具も半分は田舎に移動することになる。よっこらしょ。
※肉すいうどんには、当然、鳥の炊き込みご飯がついてくる。うひゃああ・・・・最高であーる。
下は、砂肝!!!
「パパ、ものが多すぎるね。こんなに必要? ぼくは大学、地方かもしれないし。そしたら、パリには誰も住まなくなるね」
「だな。じゃあ、大学次第で、ここを解約して、小さなアパルトマンにしようか。もったいないからね」
「うん、そろそろ、考えてもいいかもね。パパは本当に田舎生活大丈夫なの?」
ぼくは悩んだ。妖怪たちのことはまだちゃんと息子に話してない。悪い人たちじゃないのだけど、ようはパリみたいに若者がいない。個性的な高齢者たちばかりだ。
「まだ、決断できない。ただ、空気がいいんだよ。ほら、パパは不眠症だったじゃん、何十年も。アルコールか導眠剤がないと眠れなかったのに、田舎だと太陽が落ちたら自然と寝落ちしている。太陽が昇るまでノンストップで寝てるんだ。変頭痛も消えた」
「都会は電磁波がすごいからね。パパはあわないんだよ。それにパリは今、5Gになったから、パパの頭はとくに繊細だし、目に見えない脳へのストレスはあるのかもしれないね。でも、不自由じゃないの? 贅沢できないでしょ?」
「いや、それが今時の田舎って、なんでもあるんだよ。アマゾンもその日に配達してくれるし、ほしいものはすぐに手に入る。泥棒少ないし、車少ないし、安全だし、空気がきれいだし、馬とか羊とかカモメとかいるし、星が見えるし、電磁波はない。排気ガスもない。確かに三ッ星レストランとか、ナイトクラブとかないけど、パパには必要ないからね」
「だね。パパ、贅沢しないものね、シャンパン以外」
「どこでも買えるよ。日本酒だって、今は田舎でも買える時代だ」
「じゃあ、いいじゃん、パリじゃなくても」
ぼくの仕事机の引き出しから、息子が昔、書いた絵とか彼が作った図工の玩具とかが出てきた。
わあ、懐かしい、と言い出し、大きな息子がそれを掴んで見つめた。
この子が子供の頃に大好きだった、ミニカー、駒、鉛筆、手帳、ウルトラマン、などのガラクタがいっぱいで出来た。
「なんでこんなものとってるの?」
「いやあ、なんでって、捨てきれないからな」
「捨ててやろうか?」
「ダメだ。これはお前が可愛かった頃のパパの思い出だから。いつか、君に子供が出来たら、これをみせてやりたい」
息子はじっとそのがらくたを見つめていた。その一つを掴んだ。彼は幼い頃の記憶をまさぐっているのであろう。
辛い時期もあったけど、でも、幸せの方がたくさんあった。
その、幸せだった頃を、忘れてほしくない。ぼくにとって、それらはどれもガラクタではなかった。宝物であった。
つづく。