JINSEI STORIES
妖怪日記「フランスの田舎なんかにアパルトマンを買っちゃいけない。妖怪がいる」 Posted on 2021/05/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子の動きがかなり怪しいので、やはり19時までにはパリに戻るようにしようと決めた。
一応、セーヌ川クルーズライブが迫っているので、予定の13曲を全部歌ってから帰ることにした。
家具が何も入ってないので、声がよく響くし、スタジオのように動きもつけられるので気持ちがいい。
朝っぱらから結構、本格的な通しリハーサルとなった。
下の妖怪たち、失礼、住人の皆さんからクレームが来るまでは、その距離感とか音量感とかわからないから、本番さながらで演奏をやることにした。
叱られたらやめればいいだけのことである。
今回、エディット・ピアフの名曲、「ラ・ヴィアン・ローズ(バラ色の人生)」を予定しているので、それを演奏している時のことだった。
父ちゃんが、大声で歌っていると、間奏のところで、オルガンのソロが入ってきた。おお、いいねー、なかなかうまいじゃん。と笑顔になった、父ちゃん、ん・・・。
不意に、え??? と思って身の毛がよだった。オルガンのソロ????
目の前の白い壁が、すーっと暗くなった。またぁ・・・
気のせいかと思い、ちょっと音量を下げてギターを弾いてみると、すごいロングトーンのオルガンが窓ガラスを震わせはじめたのだ。微かに聞こえるとかのレベルじゃない、地響きのように・・・
ぎゃあああああああ。
ギターを弾くのをやめて、身を縮めてしまった。妖怪のせいだ、と思った。おどろおどろしい、オルガン! めっちゃ、ビブラートがかかった、不気味なオルガンなのだ。教会のパイプオルガンのような、しかし、・・・
紛れもないオルガンだ。それも大音量で!!!
ぼくはギターを置き、耳を澄ませた。これは幻聴じゃない。
本当にオルガンなのである。ぼくは恐る恐る、階段を下りて、音の出所を確かめることにした。
どうやら、階下のカイザー髭のアパルトマンから聞こえてくる。
ドアをあけて、階段の踊り場から隣家の両開き扉を見た。不意に音がやんだ。
やんだ!!! 2,3,4,5,6、秒・・・
すると次の瞬間、扉がちょっと開いて、そこからカイザー髭のつるんが飛び出したのである。出たーーーーーーーーーーー。
「ぼ、ぼんじゅーる」と掠れた声でぼくは言った。
「ええと、も、もしかして、オルガン、弾いてました?」
「君、なんでやめたんだ。せっかく盛り上がっていたのに」
「盛り上がる? いや、そうじゃなくて、誰がオルガン弾いてたんすか?ハウル?」
「ハウル? ハウルとはなんだ?」
「あ、いや、宮崎、違う、ええと、サンドリンヌさんが弾いていたの?」
「わしじゃ」
「わしーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
カイザー髭が扉を観音開きにし、ちょっと君に見せたいものがある、と言い出した。
中に入るように、と手招きされた。手招き? 入るの? 中に? いまかい? 怖い。
「いや、いきなりは失礼ですから、こんな格好ですし。スリッパだし」
「構わない。それは問題じゃない。そうだ、ぜんぜん、問題じゃない。さあ、入りなさい」
ここは逆らわない方がいいと思って観念した、ちょうどその瞬間、開いた扉の合間から、ハウルの荒れ地の魔女が顔を出したのである。
あの、!(^^)!だ。魔女・・・ぎゃあああああああああああああああああああ、となった。
怖いんだよ、サンドリンヌ!!!
とにかく、飛び出しそうな心臓を手で押さえながら、ぼくはカイザー髭の家に入ることになった。この度胸、ほめてほしい。
「実は昔、このトイレから君の家に直接入ることが出来た。しかし、現代、この館は複数人に切り売りされたから、ここはコンダネ(封鎖)され、鉄の壁で分離されている。昔、大勢のメイドさんが働いていてね。ここから上にのぼってたのさ」
今はトイレになっている小部屋をぼくに説明するカイザー髭、その向こう側からじっとぼくを値踏みするように見つめるハウルの魔女。目が合った、似すぎてる、ダメだ、笑っちゃいそうだ。怖いのに、笑いそうになる、だれか、助けて・・・。
「じゃあ、こっちへ、ここが風呂で、妻がガラス張りにしたい、というものだから」
玄関を入って真正面に、つまり家の中心にガラス張りの風呂が出現した。真っ白なバスタブ。なんと、4つの黄金の足で支えられている。ここで入浴をするハウルの魔女を想像してしまい、気絶しそうになった。
「この風呂場を囲むガラス壁だけは業者にやらせたけど、あとはすべて、サンドリンヌと二人でやったんだ。どうじゃ、凄いだろ」
ガラス風呂の左手に広い食堂、右手にリビングがあった。
風呂場の向こう側が廊下になっていて、ぐるっと一周することが出来る。
つまり、部屋の真ん中にガラス張りの風呂がでんと鎮座していることになる、怖すぎる。
そこで入浴するハウルの魔女、もしかして、カイザー髭と二人で浸かったりするのかしら? 超、眩暈。
その時、ハウルが、微笑んだ。
しかし、それはそれはものすごく綺麗なアパルトマンなのである。
お見せ出来ないのが残念だけど、色の使い方も上手で、辛子色系で統一された、フランス風というより、ニューヨークあたりの現代アート美術館みたいな色彩感覚。
壁にすごく大きな絵が飾ってあった。金色の髪の毛が爆発した女性の、これ、も、もしかして、ハウルの自画像?
「これはサンドリンヌが描いた。その通り、自画像だよ。いい感じだろ。妻は昔アートスクールに通っていたのだよ」
「へー、そうなんですね。あの、オルガンなんですけど・・・」
「慌てるな。まだビジットは終わってない」
「ビジット? 内見?」
「そうだ、君にわしらの家を全て見せたい」
な、なんでだよーーー
それから、寝室まで見せられた。驚いたことに、天蓋付きの巨大なベッドが、ルイ王朝風の薄桃色のベッドカバーがかけられたド派手なベッドが、目の前に出現し・・・。ここで、二人は寝ているのかぁーーーーーーーーー。
父ちゃん、気絶してもいいですか?
と、その時、ぼくはベッドの横にあるケンウッドのシンセサイザーを目撃したのだった。さっきのラ・ヴィアン・ローズのオルガンソロはここから?
「その通りじゃ。わしが弾いた。どうだった? 素晴らしかったろ?」
「・・・」
「私は若いころ、アコーディオン奏者だった」
そう言って、演奏をはじめたのだけど、手が震えている。高齢だから、仕方ないが、鍵盤を叩く指が左右に震えて、それが不思議なビブラートの効果を出している。弾いてる。カイザー髭はミュージシャンだった!!!!!
「70年代、バンドもやっていた。ちょっと待ってろ。ディスクがあるから」
そういうと、カイザー髭は隣室に出ていった。ハウルの魔女と二人きりになった。ふふふ、と微笑んでいる。
「あの人、バンドやっていたんよ、だから、あなたと気が合うわよ」
「ま、まじですか?」
「ネットで調べた。あなたYouTubeにラ・ヴィアン・ローズをアップしていたでしょ? あの人、あれを発見して手ぐすねひいていたの。いつかあなたとセッションしたいってよ。いい話しでしょ?」
せっしょーーーーーーーーーん。いい話しなものかぁーーーーーーーー。
「いいですね」と言うしかなかった。
そこに、髭が帰ってき、CDをぼくに突き付けた。
おお、3人組のおじさんたちのバンド、しかも、これは自主製作版だ。表紙はコピー。
嫌な予感がしたけど、髭がそのCDをステレオに入れた。
70年代風ダンスホールのミュージックが流れ始める。ハウルが微笑んで、カイザーさんの肩に頭を添えて、何か、な、おお、腰をふりはじめたぁ。
助けて、妖怪の館で、辻仁成の歴史が燃え尽きようとしている。ぼくは捕まった。
「実は、息子がじょのか連れ込んでるかもしれないので、パリに帰らないとならないんですけど・・・」
しかし、髭はぼくの話しなど聞いちゃくれない。
「次の曲はジョニー・アリデイのカヴァーなんだけど、ちょっと歌がよくないだろ。君の方がいいね。セッションやろうか」
「いや、あの、パリに今日帰るので」
「そうか、残念だね、次の曲はクリストフの曲だけど、それだけ、聞いていきなさい」
みると、髭の右腕が、ハウルの左の腰に回っていた。ハウルの腰が微かに揺れている・・・
つづく。
作家の言い訳。皆さんはこれをぼくが盛って書いているとお思いでしょう。残念ながら創作はありません。実話で、実在します。写真をお見せしたいですが、いきなりのビジットでカメラ撮るのはさすがに失礼ですから、次回のビジットの時に、ちゃんと許可をとって、掲載させてもらいます。問題はハウルの魔女さんの掲載なんですけど、似すぎているので、それが彼女の心を傷つけることになるならば、いけませんから・・。あの、ハウルの荒れ地の魔女さんも、元は美人じゃないですか? ぼくはサンドリンヌもすごい美人だと思うのです。なので、皆さんが冷やかしでその写真を見るなら、掲載したくありません。妖怪日記はまだはじまったばかりですけど、あまりに非日常的な経験なので、ぼくとしてはフランスの田舎のもう一つの魅力を、在仏日本人作家として、少しずつ、お伝えできればと思っています。現実が小説よりも奇々怪々であることを、お伝えしていきたいですね。