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退屈日記「失敗を陳謝した河野大臣から思う政治家のあるべき姿について」 Posted on 2021/05/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、高齢者向けの新型コロナワクチン接種で自治体に予約が殺到し混乱を招いていることをうけ、河野太郎行政改革相が「これは完全にぼくの失敗です」と謝罪したという記事を読んだ。
実は河野さんは少し前に、記者の質問を全部スルーしている動画がツイッターで流れていて、どうしちゃったんだろう、とちょっと嫌な気分になった、こともあった。こういうやり方が日本の政治の悪いところだ、と残念にも思っていたのだ。
というのは、実は個人的な話しだけど、ぼくは長年、河野太郎という人を個人的に応援してきたから、である。
誤解してほしくないけど、ぼくはどの政党が政権を担当しても、国民の多くが平等と自由の中で幸福に生きられるなら、この政党じゃないといけないという考えを持ったことがなく、むしろ大事なのは政治家個人だと思ってきた。



十年ほど前、ぼくは京都の大学で「人間塾」という私塾をやっていた。
50名くらいの受講生と車座になってタブーもなく議論しあい、議論の中から自分たちの未来を導きだすという、言わば勉強会で、数年続いた。
その時、ぼくは河野太郎さんに「参加してもらえませんか?」と大学を介して打診。自民党の中にありながら、自民党とは違う動きをとる彼の政治的スタンスが面白い、と思ってダメ元で声をかけたら、あっけなく、来てくださることになった。
比叡山のふもとの大学だったので、京都駅から遠かったが、彼は電車とバスを乗り継いで、汗びっしょりになりながら、人間塾がある山の中腹までやってきて、ぼくと膝を付け合わせて2時間以上、問答をやったのである。
ぼくは結構困らせるような質問を浴びせたが、いやな顔ひとつされなかった。
議論はいい意味で白熱し、ぼくはすっかり河野さんの話術、行動力、そして人々を巻き込む姿に、何か今までにない政治家の登場を感じたのだけど、だからその直後、女性週刊誌に「河野総理大臣待望論」のような記事まで書いたのである。
河野さんが防衛大臣などをやるずっとずっと以前のことであった。
ともかく、この人はぼくに何かを残していった。



その後の河野さんは防衛大臣になり、諸外国と渡り合ってきた。
日本にいる皆さんの方がこの辺の経緯はよく知っているのだけど、ぼくは遠くから河野さんを見守ってきたが、どこかの記者会見で全部の記者の質問に「はい、次の人」とだけ答えるなかなか痺れる映像があって、どうしちゃったんですか、そういう政治家になってほしくないなぁ、と少しだけがっかりしたことがあった。
比叡山の中腹まで汗をかいてあがってきてくれた河野太郎でいてほしい、と思ったものだった。でも、どうしても許せないことがあったのかもしれない。その辺は本人に聞かないとわからないので、細かいことは言わないでおきたい。
話が長くなったが、なぜ、この文章を書いているのかと言うと、「これは完全にぼくの失敗です」という言葉を聞けて嬉しかったからである。もちろん、多くの人に迷惑や混乱が及んだので、謝罪は当然であろうと思うが、この謝罪をできない政治家があまりに多すぎることにもっと大きな問題が横たわっている。



ぼくが政治を志す人にお伝えしたい言葉がある。
「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」という有名な言葉だ。中国の思想家である孔子が残した、儒教の基本的政治観である。
「天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである」
この日記でも何度も書いてきたことだが、孔子が何を言っているのかというと、その一つは、自分の行いを正すことのできない者に国は治められない、ということに尽きる。自分の行いをきちんと正せて、次に自分を取り囲む家庭、つまり家族を大事にし、それが出来た人間が人々の痛みや希望を理解できるわけで、その達成者が最終的に世界を平和に導くのだ、ということだと思っている。



率直に謝罪をしたことの中に、あの日、人間塾で日本の未来について語った河野さんが、いたような気がした。
もちろん、ミスはミスだから、そこは大至急正していかないとならないのだけど、今まで、日本の政治家で、自分の失敗です、とはっきり言えた人がいったいどれほどいただろうか?
政治家ではないけど、たとえばコロナ政策に「私たちは失敗をした」と率直に語ったスウェーデンのカール16世グスタフ国王などを思い出した。
なかなか政治家や国のリーダーで失敗を認めて、仕切り直して、改善しようとする人がいなかったので、ぼくは河野さんらしさがある、と思った。
河野さんは今年の1月18日から接種担当大臣をされているので、まだ在任期間も短い中での苦闘もあるだろう。
バトンを渡された中で、彼の責務は大きい。
今は彼の行動力に期待をし、この日本の国難を導いてほしい、と思う。



ネットで読んだ彼の発言でなるほど、と思ったのは「ワクチンの接種を担当してみて思ったのが(日本は)非常事態に弱い。平時と同じルールでワクチンの承認をするとか、このコロナをきっかけに行政も変わらなきゃいけないところだと思う。本当ならば政治がここはリスクを取る。日本人の治験をやらなくても、行くぞっていうのができるような仕組みにしないといけなかった」と語ったところに彼が政治家として、頭をすぐさま切り替えようとする姿勢を見た。
反論はあるかと思うけど、人のせいにせず、何よりも失敗を認められる人間じゃないと政治は任せられない。
今の日本の政治で一番足りないのはそこだ。

※ 配信、一時間後の追記。
皆さんのコメント(ツイッターでの)、を読みました。ごもっともです。
この記事に反論もかなりあり、河野さんへの厳しい意見もあります、なるほど、と思いました。言葉だけ、という人の意見もあり、辻さんが有名だから(ぼくはただの父ちゃんです)、と書かれている方もいて、でも、ぼくに見抜けなかったのかもしれないけれど、必要以上の期待をせず、まぁ、河野太郎さんの行動を政治思想に関係なく、見ていきたいと思うのは国民として間違えじゃないでしょう。ぼくは河野さんの関係者でもなんでもない。個人的つながりは一切ない。でも、政治家を全部否定していくと、フランスもそうだけど、国が立ち行かなくなる。選択肢が狭まれた現状でも、日本人や世界の方々が必要とする政治家の出現は必要です。河野さんにも、もしかすると政権の中枢に入った者にしかわからないジレンマや苦悩、あるいはもしかするとおごりもあるかもしれない。人間ですから。しかし、ぼくが会った時の印象ですけど、お父さんのことを心から尊敬されていました。ぼくらは一定の理解と厳しい批評眼を忘れないことが大事で、真の政治家が生まれなければ日本は危険だと思いますよ。コロナ後の世界の中で、日本はかなり厳しくなると思う今日現在、何人かのまじめな政治家、与党も野党も含め、います。その方々が国民の未来を左右するのは事実でしょう。否定だけじゃなく、どの政党であろうと、日本の未来のために頑張る人が現れる可能性を狭めない選択肢をもちたいです。最後は、その人の人間力になるでしょう。国民は選挙権があるので、厳しい目で応援をすればいいんです。

退屈日記「失敗を陳謝した河野大臣から思う政治家のあるべき姿について」



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