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妖怪日記「新たな難問!田舎の新居の隣人たちが凄すぎた。どうする、父ちゃん?」 Posted on 2021/05/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、フランスは今日から連休に突入したので、田舎にも人が溢れている。
ぼくのアパルトマンが入っている建物も普段なら誰もいないのだけど、今日、下の階の窓が、あ、開いていた・・・。いる、あ、あの夫婦が・・・。
田舎で暮らしだしたのはいいけど、ぼくの懸念はこの建物の隣人たちのことであった。
というのは、前にも書いたが、この新居の下のアパルトマンの方が、ちょっと面倒くさそうなのである。
鼻の下にカイザー髭(左右にぴんと伸びたナポレオン時代の絵とかに出てくる軍人的な髭)をたくわえ、恰幅がよく、いつもどんな時も赤い蝶ネクタイをしているような、めっちゃ小うるさい校長先生のような人物なのだ。
眼光鋭く、ステッキでものを指さしたりするような感じ、のお方が住んでいて、奥さんはええと、ハウルの動く城に出てくる魔女のようなおばあさんで、それが、あの荒地の魔女に瓜二つで、いや、冗談抜きに、まじ、ハウルのおばあさんなのである。

妖怪日記「新たな難問!田舎の新居の隣人たちが凄すぎた。どうする、父ちゃん?」



サンドリンヌさんというらしい。ベルナールとサンドリンヌ夫妻、いい人なんだろうけど、しょっちゅう、ぼくの携帯に小言メッセージが届くのである・・・。
最初は水漏れで、工事中にジェロームところの工事人がちょっとねじを緩めてしまい、水が漏れたのが、はじまりであった・・・。
その件でがんがんメッセージが入りだし、もっともジェロームがちゃんと水を止めたので、大揉めにはならなかったのだけど、その後も、何かあるとカイザー髭からメッセージが送られてくるようになった。
カイザーさんだけならまだしも、同じ内容のメッセージが、なぜかハウルのおばあさんからも届く。ほわい? 二重で同じ内容のメッセージが時間差でぼくに届く、・・・どういう夫婦なのだろう、とちょっとぼくは不安になった。
「工事人たちに、もっときれいに建物内を移動してもらえないか、言ってもらえますか? とにかく、階段とか廊下が汚されると、落ち着かないんだよ、ムッシュ・ツジー」
とカイザー髭からメッセージが届いた20分後、
「あんたのところの工事人たちはみんないい子たちなんだけど、汚いのよ。だから、階段が汚れて、せっかくゆっくり過ごそうと思っているのに、心が落ち着かないのよ」
という小言がハウルさんから届くのである。

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地球カレッジ

すぐにジェロームにメッセージを転送して、掃除人を派遣してもらって、上から下まで拭き掃除をしてもらったのだけど、何せ、ジェロームたちは仕事が粗い。そこで、カイザーさんから、ハウル魔女さんから、まだ汚い、とメッセージが届いたので、仕方ないから、3月も、4月も、ぼくは掃除をするためだけに田舎まで車を飛ばしたことがあった。
その後も、工事はいつ終わるんだ、とか、あの工事人たちは建物に入る前に靴を履き替えることが出来ないかしら、とか、建物の前にトラックを止めるな、とか、かなりの苦情が届くようになったのである。
カイザーさんからのメッセージの直後に、ハウルのおばあさんからも、同じ内容のメッセージが届くので、ぼくはノイローゼになりそうだった、こともある・・・怖い。

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で、今日、カキフライが食べたくなって、隣町のマルシェでカキを買って帰り、階段を上っていると、普段誰もいない階段の踊り場にカイザーさんが立っていて、ぼくをじっと見下ろしているではないか。
鼻の下の髭は左右にぴんと伸びて、しかも、つるんと天井を目指して反り返っているのである。こ、怖い。
丸めがねの中心に鋭い眼光がきらり、ううう、怖い。
で、カイザーさん、ぼくをじっと見下ろしたまま、やあ、と言った。
「わ、ベルナールさん、お久しぶりです」
「もう、住んでるの?」
「ええ。工事も無事に住んで、今月から、こっちにいます」
ここには5家族が入っているのだが、1860年の建立以降、ある程度、素性のちゃんとした人たちが入居している、この地域では歴史的コミュニティなのだそうで、つまり、この最上階の屋根裏アパルトマンに誰が入居するのかは、彼ら、旧住人たちにとって超関心事だったのである。
155年も続いたこの建物組合の歴史上、はじめての外国人であり、しかも、日本人の、ぼく、なのだから、カイザーさんたちが警戒するのも理解はできる。
「あの、3月と4月、自分がこの階段と踊り場の掃除をやりました。綺麗じゃなかったですか?」
と一応、先回りをして、言っておいた。
「いや、とっても綺麗だった。君がちゃんとした人間だというのがよく分かったよ。実は、ぼくらはここを誰が買ったかとっても興味をもって見守っていたんだ。で、日本人って聞いて、安心しているし、君で、もっと安心している。日本人は礼儀正しいし、我々は日本が大好きだ。何も問題はない。何もだ。いいかね、問題はない」
カイザーさんはニコっと微笑んでくれた。やれやれ、これは先行きが不安である。
すると、背後のドアがあき、中から魔女さんが顔をだし、
「ああ、あなた、じゃぽね、ぼんじゅーる」
と言ったのである。なんか、上から目線だが、落ち着け、ひとなり。

妖怪日記「新たな難問!田舎の新居の隣人たちが凄すぎた。どうする、父ちゃん?」



ほかの住人たちも皆さん、リタイア組で、きっと成功者なのだろう、でも、今は優雅に老後を生きている方々のようで、実はまだ全員には面通しできてない。二階の人とすれ違ったことがあったけど、この人はフィリップ殿下のような感じで、首にスカーフを巻き付けて、
「ああ、あなたですか、日本人の作家というのは、どのような小説を書いているのですか? 大変興味がありますが、私はプルーストくらいしか読んだことがないので」
と、超面倒くさいことを言いだして、えへへ、と笑ってごまかした父ちゃんであった。

ぼくのアパルトマンは屋根裏部屋だけど、カイザーさんより下の階の人は天井の高いアパルトマンなのだ。
窓も、うちの数倍はでかい。その窓だけ比較しても、ぼくは卑屈な感じになる。この人たちと渡り合っていけるのか、すでに、自信がない。



ともかく、彼らの心配もわかるけど、ぼくだって、面倒くさい人たちに囲まれて生きていくのはごめんなので、どういう人たちがご近所さんなのか、心配だった。
「ところでムッシュ・ツジー。この建物は1860年代にできた由緒ある建物なのです。管理組合には1860年から非常に厳格な規則があります。あなたもそこの一員になってもらいます。そして、暗黙のルールを守ってもらう必要があります。難しいことじゃありません。できますか?」
「なんでしょう?」
「隣人の暮らしを邪魔しない穏やかな生活を心得てもらいたいのです」
「はい、もちろんです」
ぼくはお辞儀をして、自分の家に逃げ込んだ。さぁ、大変だ。歌の練習ができるだろうか?それより、こんな厳しい環境でぼくは生きていけるのだろうか? ハウルの動く城の魔女おばあさんの目を見て吹き出さずにちゃんと話せるだろうか? こ、怖すぎる。今日は歌の練習、やめとこ。

つづく。

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