JINSEI STORIES
滞仏日記「父ちゃんの田舎隔離生活、植物を室内に配置して孤独を紛らわす」 Posted on 2021/05/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、田舎に舞い戻った父ちゃん、コロナに罹らないよう最大限、気を付けている。
ワクチンは接種したが、接種しても感染しないわけではない。
重症化はしにくくなるだけで、感染すれば二週間後に迫ったライブに影響が出る。
息子は学校が始まっているし、彼が学校から無症状でウイルスを家に持ち込むかもしれない。
息子にもそのことを説明し、最大限の注意をしてもらい、ぼくはぼくで、田舎隔離生活を現在おくっているのである。
このあたりは感染者が非常にすくない。たぶん、日本の田舎とかわらない陽性率じゃないか。
それでも、人と接することは避け、人のいない場所を散歩したり、太陽を浴びながら、走ったりしている。
とにかく、5月30日のセーヌ川ライブまで何が何でもコロナに罹るわけにはいかないのだ。これはミッションだ。
ぼくの体調次第で全てが台無しになってしまう。
ぼくのパリの家の一部は事務所になっているので、編集部のスタッフが出入りすることもある。これも、しばらく禁止。
地球カレッジなども、一人で配信をやっている。
とにかく、感染するわけにはいかないのである。
今日は、海沿いの村をひたすら歩いた。
すると小さな花屋さんを見つけた。田舎にも花屋があることにちょっと驚いたけど、これがとってもセンスがいいのだ。
中に入ると、緑あふれる田舎にも花屋さんが必要なわけがわかった。ほとんどが鉢植えの植物ばかりであった。
前回の地球カレッジでやった「テラリウム」とか「寄せ植え」の授業が役立った。絵にかいたような感じのいいマダムが店主だった。
ぼくは、可愛い鉢植えですね、と言ったら、マダムは眼鏡の奥の優しい目をさらに優しく撓らせながら、ええ、そうでしょ、と言った。
「テラリウムなんかもやってるんですね。これ、全部、マダムがやったんですか?」
「ええ、そうよ。こういうのが好きなの。宇宙があるでしょ?」
「素晴らしい。寄せ植えがとっても素敵です」
「ありがとう。嬉しいわ。あなた、日本人?」
ぼくが、そうです、と言うと、日本人は生け花とか、お花にすごく詳しいから、と言い出した。気が合った。そこに、とっても可愛いサボテンの鉢植えがあった。
「サボテン。大好きなんですけど、ぼく、何度も枯らしちゃって」
と白状をした。
「これ、飾りたいけど、枯らしちゃうのが・・・」
「パリから来ているの? どのくらいの頻度で?」
「結構、いますよ。今のところ、週末だけパリです」
「じゃあ、大丈夫よ。サボテンは二週間に一度、水をちょっとあげればいいんだから」
ということでぼくはまだソファさえもない部屋にサボテンの鉢植えを二つ(もう一つはなんだろう。多肉植物であることには間違いないけれど、聞き忘れちゃった)置いてみた。
それが、あまりにも可愛らしく、素敵だった。
植物がこんなに人間を癒してくれるのだ、と思って嬉しくなった。孤独というわけじゃなかったけれど、名前を付けたくなった。
息子に写真を送ってやった。
ぼくが一人暮らしをはじめたのは、大学一年生の時だ。
その頃、ぼくは東京の豪徳寺というところに住んでいた。そこには何もなくて、だから、寂しいから、はじめて鉢植えのサボテンを買った。
花が咲くというのを誰かに聞いて育てたのだけど、結局、枯らしてしまう。
その後、幡ヶ谷とか渋谷本町とか方南町とか下北沢とかあちこちで一人暮らしをしたけれど、その都度、サボテンを買っては枯らしてしまったのである。
今度こそ、枯らしちゃだめだ、と決意して、買うことになる。
昔、ECHOESが解散してソロになった直後のソロアルバムに「サボテンの心」という歌が入っている。
刺々しい人間をサボテンに置き換え、人が近づかないのは孤独のせいじゃなく、君が棘を生やしているからだ、と歌った。だから、花を咲かせてごらん、と歌った。
今日は、その歌をずっと口ずさんだ。
ライブの選曲には入ってないのだけど、サボテンを眺めながら歌うとギスギスしていた気持ちが緩んだ。
自分の歌で、目元もゆるんだ。音楽は素晴らしいなぁ、と思った。
ぼくは風呂場の小さな窓のところにサボテンを置いた。もう一つのブリック鉢に入れられた謎の植物はキッチンに置いた。和んだ。
優しい気持ちになれる。明日も、誰かに声をかけてみようと思った。この鉢植えの植物のように、ぼくも誰かを和ませたい、と思った。