JINSEI STORIES
退屈日記「ぼくが走り続ける理由。なぜ、走るとリセット出来るのか」 Posted on 2021/05/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今朝、起きたら筋肉痛だった。
昨日、ミスターサンデー出演後、落ち込んだことは日記に書いた通りだけど、このまま気分が変わらないで一日を終えるのはいかん、と思ったぼくはジャージに着替え、外に飛び出した。
18時を過ぎていた。(夜間外出制限下だから19時までには家に戻らないとならない)いつものコースをだらだら走っていると、19時を回ってしまうので、結構な速度で走ったら、今日、筋肉痛で、脇腹が痛い。えへへ。
でも、筋肉痛がまだ翌日出るということは若い、とちょっと嬉しくもある。
正しい走り方かどうか、わからないけれど、ぼくはランニングの中盤、「この野郎」と怒りを爆発させながら走っている。
普段、自分の中になにがしか我慢しているものがあるのだ。
目に見えない粒子のような怒り、と呼んでいる。
普段は気づかないのだけど、走ると出てくる。
走って半生を振り返る中で、人にああいうこと言われたとか、ああいうことされたという過去の嫌な記憶が、なんでか、蘇るのである。笑。
その怒りを絞りだしているんだと思う、走ることで過去の自分を。
で、走りながらぼくは、「この野郎、てめー」とか声に出しながら、その邪気のような悪い記憶を脳天からばらまいて、走っていくのである。こわ、
すると、家の前についた時には、すっきりしている。
これが正しい走り方かどうかは謎だけど、怒りを吐き出すと、人間何も残っていない。
家のドアをあけて部屋に入る時はリセット完了という感じになっている。
ぜひ、やってみてもらいたい、気持ちが楽になります。やらないか、www
ぼくは集団活動が苦手なので、野球チームに入ったり、ゴルフとか絶対無理なタイプ。
だから走るのは自分にあっている。
誰にも迷惑をかけないで、自分と対峙出来て、身体も丈夫になるのだから、こんなに素晴らしいことはない。
家を飛び出すときは、無になっているけど、1キロくらい走っていると、どこからともなく黒い煙が立ち上ってきて、悶々としはじめる。
吐き出す息と同時に、てめー、ふざけんなー、とやるのだ。
たまにボクサーみたいに、ジャブを放ちながら走るので、すれ違うランナーの人たちに、変な目で見られる。笑。
でも、今日、もうぼくのランニングを長年見続けてきた男が、ぼくにむかって、
「ボンジュール、サムラ~イ!」
と手を振ってくれた。
ホームレスのお爺さんだ。この辺では狂暴と恐れられている人だけど、・・・
そうか、この人はぼくが、てめー、この野郎、と怒りを爆発させながら走っているのを長年見ていたのだ。ぜったいどこかから誰かが見ているからね、と昨日ツイートしたけど、ほら、いたでしょ?
気づいたぼくは手を振った。
「ブラボー」
とお爺さんは大きな声ですれ違いざまに叫んでくれた。人生の応援団ここにあり!
「めるしー」
ぼくの怒りは笑顔へと変わった。