PANORAMA STORIES
命の生き方〜4年連続幸福度世界一のフィンランド、高齢者の在り方から学ぶ〜 Posted on 2021/12/10 ヒルトゥネン 久美子 通訳、プロジェクト・コーディネーター フィンランド・ヘルシンキ
突然のコロナ禍によって、日常生活の中に様々な制限が加えられ、不自由を強いられました。
今まで当然のこととして享受していたことが遠い世界のことにもなりました。
私も長い間日本に暮らす高齢の両親に会っていません。
考えれば寂しさがこみ上げてきてどうしようもなくなります。
フィンランド国内に暮らしている家族同士でさえ、会えない時期が長く続きました。
人との接触を最小限にすることがコロナ予防の課題でしたから、すべての人がある意味自分の家の壁の中に閉じこもった形になりました。
それなのに、フィンランドは今年もまた「世界一幸福な国」に選ばれました。
フィンランドは高齢者も独立して暮らしています。
子育てが終わったら、巣立った子供も親たちも互いに独立した成人同士です。
互いのファミリーの在り方を尊重します。
孫の育て方に口を出したり、高齢で心配になった時、子供達が自らの生活を犠牲にして親の介護に縛られるということは滅多にありません。
高齢者自身が「子供の世話にはなりたくない」と言います。
それは決して家族間に問題があるからではなく、それぞれの生き方、家族の在り方を尊重したいが為に、互いに介入すべきではないと考えているからです。
日本人の意識からすると少し冷たいような気がするかもしれません。
ですが、実際は程よい距離感を保ちながら、ひょっとすると日本よりも身近な軽い形で頻繁に行き来しているように思います。
10分だけ顔を出して「じゃ〜ね。バイバイ。」も普通な感じです。
顔を見せ合うことが気軽で、規則や形に縛られず自由の中でつながっていることができます。
フィンランドの目標は高齢者ができるだけ長く自宅で暮らせる環境作りです。
そのために自宅介護も含めた様々な公サービスを提供し、自立した高齢者の生活を支援しています。
健康管理や趣味関心による地域アクティビティへの参加、家事や身の回りのサポートなどに加えて、最近は身近に家族やお友達がいない方向けの「お友達制度」など、定期的に一緒に時間を過ごす友達役も登場しています。
高い税金に不満を言う人も多いですが、それがちゃんと使われていることを私たち納税者も注意深く監視しています。
人権や平等という言葉もフィンランドでは重要です。
個々の経済状態や家庭環境にかかわらず全ての人が健康で幸せに生きる権利がある。
自助努力という一見モラル的な言葉を押し付けられ他から見捨てられることにはならず、弱者を含めた全ての人々が堂々と社会に守られる権利があることはとても素敵なことだと思います。
私も自分の支払う税金がこの、あのおばあちゃまの助けになっている、、、と思えることで幸福感と安心を感じることができます。
社会に堂々とお世話になって、可能なかぎり自分を生きる!
自宅での生活が難しくなった時には家族に引き取られるのではなく施設に入ります。
そしてそこが新しい自分の家になります。
新しい家となる施設にランクの差はなく、たとえ、元大臣であっても無職の方であったとしても、皆平等です。
皆が自分の家に最後まで暮らし、そしてそこで命を終えます。
コロナ禍であっても感染がない場合、フィンランドの多くの施設では、終末の時にもいつもと変わらず家族も一緒に見送りました。
命の尊厳、人の人生というものを丁寧に考えれば、その終わり方をどうしてあげたいかは自然とわかるものですね。
コロナの一律の規則が愛する人たちとの時間よりも優先されることはありませんでした。
もともと規則は人を守り幸せにする助けとなるものであって、人を縛り不自由にすることが目的ではないはずです。
フィンランド人は森の民。森の静寂の中で自分と向かい合い、考え、自己決定をする国民です。
物事の本質を見失わず、自由を束縛されることを嫌います。
年老いて一人で暮らすことの決断の中に不便さはあったとしても、不便を超える自由と満足感が与えられるのではないかと思います。
多少の不便は覚悟の上でも自分を生きる選択をするフィンランドの高齢者たち。
その彼らの自由が奪われたコロナの時期は本当にキツかったと思います。
それでも貧しい時代を生き抜いた方々にはフィンランド人特有の「SISU(シス:根性の意味)魂」というものがあります。
また事実を受け入れ諦める柔軟な心も持ち合わせています。
文句ばかり言わないで、「ではどうする?」と少しでも前向きにできることを考えます。
オンライン化された多くのサービスも使いこなすようになり、驚くほど高齢者の方達はソーシャルメディアを活用されるようになりました。
森の民のフィンランド人は周囲にある資源を見渡し、何をどう使って生き抜いていくか、自ら探求する人間力のようなものが備わっているのかもしれません。
※編集部より。右から二人目がヒルトネン・久美子さんです。
自分の人生を自分で選択、決断して生きていく。
それは実はそれほど難しいことではなく、ただ自分の心に正直であればいいのかもしれません。
ふと亡くなった義理の父のことを思い出しました。
連れ合いを亡くした後一人暮らしをし、シニアアクティビティで知り合った素敵な女性と恋に落ち、一年に3〜4回は共にテネリフやギリシャに旅行をし、そして私たち家族の助言を聞かず、冬の滑りやすい時期にも底の磨り減ったお気に入りの靴を履いていた義父。
滑って転倒したことがきっかけで体力が弱っていきました。
最期の頃、義父はず〜っと天井を見ながら一つずつ自分の過去を思い返しているようでした。
そして落ち着いた顔をして人差し指で上の方向を指差し、「自分はそろそろ天の国に行くよ。」と言っているようでした。
自分の生きた人生を受け入れて納得して、天の国に行ったように思います。
皆がそうできるとは限りませんが、私も自分の人生を受け入れ納得して生きたいです。
それがフィンランド人の幸福感につながるのではないでしょうか?
私に与えられた、この特別な命の生き方を丁寧にしたい。
そんなことをフィンランドの高齢者の在り方から学んでいます。
ヒルトゥネン 久美子
「4年連続幸福度世界一のフィンランドから学ぶ、幸福学」
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Posted by ヒルトゥネン 久美子
ヒルトゥネン 久美子
▷記事一覧通訳、プロジェクト・コーディネーター。KH Japan Management Oy 代表。教育と福祉を中心に日本・フィンランド間の交流、研究プロジェクトを多数担当。フィンランドに暮らしていると兎に角、色々考えさせられます。現在の関心事はMy Type of Lifeをどう生きるか、そしてどう人生を終えたいか。この事を日本の皆さんと楽しく、真面目に、一緒に考えていきたいです。