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退屈日記「人間は諦めるまでまだ負けたわけじゃない。父ちゃんの哲学」 Posted on 2021/04/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ニュースで小池都知事が「東京には来ないで」と語ったという記事を読んだ。
これはぼくに言われているような気になった。もちろんです、行きません。
だから、オーチャードホールのライブを苦渋の決断で中止したのだ。
どんどん、こうなっていくのが目に見えていた。感染状況から想像はできていた。
小池さんは「買い物は三日に一度」というお願いをしていた。これは効果があるとは思えないけど、一方で、オリンピックはやるみたいだから、もの凄い矛盾がおきている。
この新型コロナがもしもペストだったら、と想像してみた。
新型ペストだったら全ての商店は閉鎖、買い物も行けず、世界中の動きがとまっただろう。
全世界ロックダウンというのが行われたかもしれない。
しかし、新型コロナの厄介でずるいところは、危険度があいまいで、アジア人は重症化しにくく、でも無症状で広まり、意外と後遺症が残るケースもあるなど、線引きが難しい点だ。ある意味ステルスなウイルスだから、閉鎖か開放か判断が揺れ動いているうちに人間関係がどんどん分断させられていく。
その上、オリンピックが控えている。オリンピックさえなければ日本は今頃、ゼロ感染者宣言国になっていたかもしれない。なんともタイミングが悪いことである。



フランスは昨日、これまでの死者が10万人を超えた。※ロックダウンが効いているのか感染者数はぐんと減り始めている。
ぼくは今日からワクチンが打てることになったのだけど、しかし、予約センターに空きがない。
一時間ごとにアプリで、ワクチン会場を探してはみるが、同年代の人たちが殺到しているようだ。
不意に、空きが出るようなので、つねに、待機中。すでに左腕は打つ気満々。すでにほのかに痛い。笑。
会場ごとに接種できるワクチンが異なっており、ぼくはとりあえず、ファイザー社のワクチンを接種してくれる場所を探している。
何が何でも、5月30日はパリから配信ライブをやるつもりなので、早めに打ちたい。
接種は一度でもかなり有効に重症化を防ぐらしい。
一昨日、いつもの突発性難聴で寝込んだぼくだけど、回復したので、この日記をアップしたら、今日も走るつもりだ。
東京でのライブが中止と決まってから、ぼくはセーヌ川周辺を走って、船上ライブが出来るペニッシュ(船)を自力で探しまわっている。
今日も船着き場周辺を走って、手ごろな船が停泊してないか、探す予定。



実は三日前、いい船を見つけたので、写真を撮って帰り、ネットで調べて、船会社を突き止め、メールをした。←、今、ここ。
しかし、自分のこの執念、凄い、と思う。
話しはこれからだけど、予算がない中、そもそも船の値段っていくらなのか、ロックダウン中だけど本当にライブが出来るのか、一万キロ離れた場所からの配信方法、ミュージシャンやスタッフ(音響、カメラ、ローディ、警備人、ほか)探しもあり、ぼくはこれを今、一人で組み立てている。
とあるプロデューサーに「私はそんなこと出来ないと思っています」と言われた。ZOOM会議で。ぼくはこういう発言に燃えるタイプなのだ。
やりもしないで、出来ない、とばかり言うから、可能性が狭まっていく。やれよ、お前が、といつもぼくは自分に言い聞かせている。
パイオニアになるためには、まず、誰もやらないようなことを考えて、そこに飛び込んでいくしかないのだ。俺はやる!



もしも、船の上でライブが出来るなら、その船がセーヌ川を遊覧しながらのライブなら、オーチャードホールでのライブは中止になったけど、負けないくらい凄いことが出来るのじゃないか、と、そうだ、走りながら、熱血父ちゃんは思って頑張っている。
コロナ禍の今、生中継で、セーヌ川の今をぼくの音楽とともに、皆さんにお見せたい。本当に美しい世界が広がっている。そのパリの青空を歴史的街並みを誰もいないセーヌを、届けたい。旅行代理店でさえ、出来ないことをぼくはやるんだ。
セーヌ川に停泊している全ての船をぼくは自分の目で見て、チェックしていくつもりだ。
まだ、希望はある。希望があるうちは、前進をするのが人間なのである。
人間は諦めた時が負ける時だ。だから、ぼくは絶対諦めない。えいえいおー。

退屈日記「人間は諦めるまでまだ負けたわけじゃない。父ちゃんの哲学」



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