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滞仏日記「息子と人生談義だ、天下一の海苔弁だ。お前は自力でソリューション」 Posted on 2021/04/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「パパ、大失敗をした」
「どうした?」
「いや、三日前、アンナの誕生日だった」
アンナというのは、画学生で、息子の大親友の女友だちなのだけど、息子に恋人が出来る前まではこの子の声が毎日のように息子の部屋から響いていた。
ぼくは何度か会ったことがある。いかにもフランスのマドモアゼルという感じで、可愛くておませで、芸術論とかぶっちゃう子なのだ。
暫くのあいだ、ぼくはアンナが息子のガールフレンドだと思いこんでいたのだけど、そのことを問うと、そんなわけないじゃん。妹のような友だちだよ、と笑われた。
「君、誕生日にアンナからTシャツ貰ってなかったっけ? 」
「だから、叱られた。友だち失くすよって、脅された」
ぼくは笑った。
「コピンヌ(恋人)とばかり仲良くしているからだね」
「うん。他の友だちからも言われてる。お前、最近付き合い悪いって」
「恋人が出来るとだいたいそうなる。でも、アンナは親友だろ? 誕生日忘れるのは酷いね。なんか、プレゼントしなきゃ」
「何がいいかな?」
「バラの花だよ。バラだ」
「だせー」
野郎二人の食卓というのを想像してみて頂きたい。ボサっとした背の高い息子とぼくは丸いテーブルの角っこに陣取って、もう何年もこうやってほとんど二人きりで食事をしてきた。
たいていは会話無しだが、たまに話しが弾む夜もある。話しが弾む夜というのはたいてい、息子に問題が生じている時なのである。

滞仏日記「息子と人生談義だ、天下一の海苔弁だ。お前は自力でソリューション」

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「生きる気力が出ない」
「なんで?」
「パソコンが動かない」
「だから、部屋を片付けないから埃がつまったんだよ。パパの責任じゃない」
「分かってる。でも、ぼくにとってパソコンもない、学校もない、遊びに出歩けない。失われた高校生活だからさ、気力も出ない。ずっとベッドで寝てるしかない」
「勉強しろよ」
「学校が閉鎖中なのに? 先生もいないのに、何を勉強するの?」
「来年、大学入試じゃん。もうすぐ大学生なのに」
「大学だってどうなるかわからない。未来もない。お先真っ暗なんだ。ぼくに何が出来るの? パソコンがあれば、仲間と繋がってられるけど、・・・動かないし」
2年前、改造型フィックスパソコンならば、部品が壊れてもそこだけ取り換えれば全部買い替える必要もないから経済的だと息子が言い張るので、ぼくは彼の誕生日にデスクトップパソコンを買ってあげた。
ところが少し前から調子が悪く、ついに、数日前に壊れた。
今は、ぼくのiPadを使って、最低限の、たとえばZOOM授業などを凌いでいる。でも、それだと音楽仲間と繋がれないのだ。
ごはんが出来たぞ、と言いに行くと、ベッドで夏のライオンみたいにだらっと横たわって、うん、と覇気のない声、・・・。



「デスクトップなら自分で直せるって豪語してたじゃないか?」
「それがやり方が分からない。弄ってたら、ますます動かなくなった。あの中にはこれまで何年もかけて作ったデータが入ってるのに、それが全部消えてしまうかもしれない」

こういう時、親はどうしたらいいだろう。
保証書を探したら、3か月前に切れていた。
「ぜんぜん、どこが問題か、わからないの?」
「掃除機で埃は全部吸い取った。ネットで問題個所も調べたけど、バッテリーかもしれない。でも、バッテリー自体、本体から外せない。複雑でわからないんだ」
やれやれ。



新しいのを簡単に買ってやることが解決策だろうか? いいや違う。なんでもすぐに買い与えていたら、この子はダメな大人になる。
突き放すのも親の仕事だ。でも、音楽が生き甲斐のこの子からパソコンを取り上げたら、しかも、コロナ禍で学校は閉鎖中だし、希望がなくなったらどうなる? そっちの方が大問題じゃないか。
さあ、どうする?
ぼくは正直に、問題点をぶつけてみることにした。
「パソコンが必要だろう? 君の時代にパソコンがないと何もできない。学校の宿題さえできなくなる。じゃあ、どうする? 君のソリューションを言ってみろ」
「うーん。まず、この会社に電話して、相談してみる。修理で直せるなら、パソコンを送って、修理代の見積もりを出してもらう。貯金で直せるなら、払ってでも直す。問題は高額な修理代だった場合だけど・・・」
そこで息子は黙ってしまった。
「何日くらい修理に時間がかかるか分からないな」
「うん。それも電話で聞いてみるしかない」
「データは取り出せるの?」
「いや、パソコンの電源がすぐに落ちるから、難しいかもしれない。直って戻ってくるのを待つか、諦めるか・・・」
どちらにしてもハードルが高そうだった。
「暫く音楽活動は出来なくなるね」
「仕方ないね」
「新しいパソコンを買ってやることもできるけど、まだ2年しか使ってないパソコンで、修理が可能というから買ったのに、ハードディスクもバッテリーも抜きだせないじゃ、どうしようもないな。買い替えることがソリューションというのはよくない。そうは、思わないか?」
「その通り。ぼくのミスだから、パパには頼れない」
彼にとって一番の悩みは、これまで何年も費やして作ってきた楽曲のデータを失うことだろう。



それらは息子が歩いてきたこれまでの道のりであり、生き甲斐であり、仲間との思い出、財産、宝物なのだった。
パソコンを買い替えることよりも、きっとこの子が取り戻したいのはデータのはず。
ぼくらは食事に手も付けず、どうやったらパソコンを復旧できるか、議論しあった。
でも、このやりとりは、大人になるために、とっても大事なステップでもあった。うやむやには出来ないし、なんとか、生きる希望を取り戻してやりたい。
「まずは、この会社と相談するしかない。明日、月曜日だから、すぐに電話をかけてみたらいい。いいか、来年、君は18歳になる。こういう問題が次々に人生に降りかかってくる。もう、未成年じゃなくなるので、(フランスは18歳から成人である)、君は自分で物事を解決していかないとならない。わかるよね? パパが新しいパソコンを買うのが解決策にはならない、ということだ。自分で解決しなきゃ。いいな? 出来るか?」
「もちろん。やるよ」
「OK、じゃあ、そこで、どうしても解決できない時がきたら、パパに頼ってくれ。力になる」
息子は俯いて、小さく頷くのだった。
「冷めてしまったけど、今日は弁当だから、大丈夫だ。懐かしいだろ、日本の海苔弁を再現してみた。美味いぞ、さぁ、喰おう!」

滞仏日記「息子と人生談義だ、天下一の海苔弁だ。お前は自力でソリューション」



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※、お知らせ。5月30日に予定していた辻仁成、オーチャードホールでのライブが新型コロナの世界的感染拡大により中止が決定しました。詳細並びに払い戻しのお手続きについては、4/12(月)AM10:00(日本時間)より、チケットをお求め頂いた各PG、ホットスタッフホームページ等で詳しく発表となります。

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