JINSEI STORIES
滞仏日記「パパがいない今週末、彼女とそのお母さんを招きたいと息子が言いだし」 Posted on 2021/04/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨日の夜、息子からワッツアップに写真が送られてきた。
「これって何で食べるの?」
とメッセージが添えられてあった。写真はフライパンで焼いてるあげ豆腐だ。フランスの有機系スーパー、ビオセボン、ナチュラリアなどであげ豆腐は売ってる。
フライパンで焼いている絵で感動したので、引っ越し作業で忙しく、質問に答えるのを忘れ、ワオ、すげー、とだけ送り返しておいた。
息子くん、相当悩んだのだろう。夜中に、すごい写真が届いた。
インドカレーを作り、あげ豆腐をカツカレーみたいにして食べたみたいである。ぼくはびっくりした。
辻家であげ豆腐は定番中の定番、食卓での登場率も高い。
おろし生姜と醤油で食べてきたから、いちいち言わなくてもわかるだろうと思っていたので、もちろん、醤油で食べないとならないこともないのだけど、あげ豆腐にバターチキンカレーって、発想が外国人過ぎる。
しかし、褒めることが大事なので、ありかもね、とメッセージを送っておいた。寝ようかな、としているところに、
「ところで、いつ帰ってくるの?」
と再びメッセージが・・・。深夜、一時過ぎのことである。
「大統領はイースター期間中の移動は大目に見るとのことだから、月曜かな。実は、ガスの給湯器や電気の配電がうまくいかなくてそれが解決するまで戻れそうにないんだよ。いいかい?」
「OK。ただね、週末、彼女がお母さんとパリのクリニックに来ることになったんだけど、聞いたら、そこ、うちのすぐ近くなんだ。だから、クリニックの後に、うちに寄ってもらって、ぼくがご飯を作ってふるまってもいいかな? 昨日、作ったあげ豆腐カレーがおいしかったから、あれをごちそうしようと思って」
ぬあんだって~。
「ちょっと待て。いつ?」
「日曜日かな」
「明日、連絡する。今は寝かかってたところだから、即答できない」
「OK。明日でいいよ」
これには、悩んだ。
ゆるやかとはいえ、ロックダウン期間中である。
3週間も家の中でじっとしてないとならない若い恋人たちには酷な制限だと思う。
しかし、ぼくがいないタイミングでガールフレンドとそのお母さんを家に招いて、あげ豆腐カレーを食わせるだなんて、あげ豆腐+カレー、あまりに斬新すぎて、想像が出来ない。
そこで翌朝、今日のことだけど、冷静な判断を仰ぐために、ママ友のレテシアに相談をした。
「どう思う?」
「ひとなり、それはどうかしらね。おかあさん付きって言っとけばあなたが安心すると思ってるだけかもよ。そもそも、嘘かもしれないし」
「えええ? さすがに、そこまで複雑な嘘つかないと思うな」
「本当だったとしても、どうかな」
「でも、頭からダメって言ったら、先方のお母さん、気分悪くさせないかな。来る気になっていたかもしれないし」
「じゃあ、政府のせいにしましょう」
「政府!?」
「調べたら、外で会うのはいいけど、他人の家にあがっちゃいけないんだって、このロックダウン中・・・。だから、もし、感染が怖くて、家にあげたくないなら、三人で外で会えばいいんじゃないの? 日本のお弁当を彼に作らせて」
「なるほど。さすが、レテシア。そう言ってみる」
ということで、息子に「外でピクニックにしなさい」とメッセージを送った。
「6人以内なら、会ってもいいらしい。アルコールは禁止されているけど、お弁当食べるくらいなら、問題ない。家はね、感染も怖いし、パパがいない時に人を招くのはやっぱり認めるわけにはいかないから、いいかな?」
夕方、息子から「おけ」と戻ってきた。やれやれ。
「どうしたんです?」
ぼくが浮かない顔をしているので、内装業者のジェロジェロが、聞いてきた。簡単に経緯を説明すると、
「いいんじゃないですか? ぜんぜん、家に招いて、平気だと思うけど。それに、お母さんも一緒なんでしょ? 年配のその人が気を付ければいいことだから、子供をそこまで締め付けたら、生きる気力がそがれてしまいませんか? 人類はコロナと長い付き合いをしてかないとならないのだから、気を付けながらも、ある程度、気を抜いてやっていかないと、身が持たないすよ。ムッシュ」
ジェロームの意見も一理あった。
フランス全土へのロックダウン拡大を明日に控え、ぼくは相変わらず、田舎のアパルトマンの引っ越し作業に追われていた。
思えば、田舎で暮らそうと思いはじめた去年の今頃、フランスは全土で厳格なロックダウンのさなかにあった。
去年の今頃は社会全体がピリピリピリピリ、戦々恐々としていた。いまだに、戦々恐々だけど、・・・やれやれ。
いつも前向きに生きてきたぼくだが、さすがにあの時はダメかもしれない、と思うほどの過酷な日々の中、息子の未来を考えると絶望的な日常にいた。
そして、あの頃から、ぼくは段階的に田舎への移転を決意するようになっていく。
そして、ちょうど一年後の今日、気が付けばぼくは田舎に新しい拠点を持つに至った。
この行動力には、我ながら、凄いな、と驚いている。
物件を探し、契約をし、日本から送金し、内装会社のジェロジェロに工事を依頼し、足繫く通って、新天地の生活を、今日、スタートさせることが出来た、のだから。
「昨日の件だけどね」
とジェロームが帰った後、ぼくは新居の図書館(仕事場のつもりで作ったのだけど狭すぎて仕事は無理そうだったから、「哲学の一畳間」と名付け、書庫にした)の椅子に腰かけ、遠くに夕日が沈む海を見つめながら、
「あげ豆腐弁当を作って、三人で公園でピクニックにしてね」
と送っておいたのだ。新しい家の写真を添えて、・・・。
そしたら、珍しくあいつから反応が戻ってきた。
「おめでとう。やったね」
「ああ、ここはパパの家だよ。小さいけど、自分の家だ」
「行くのが楽しみだ。彼女の家の別荘も同じ地域にあるらしいから、今度、一緒に行かない? 彼女のお父さんに、君のパパと遊びに来てね、って言われてるんだ」
マジか・・・、ぼくはちょっと後ろめたかった。
こっちは招けないのに、お招きを受けていいものか・・・、日本人的には悩む、・・・。
「おっけー。どちらにしても、みんながワクチンを打って、コロナが落ち着いたら一度みんなで会いましょう、と伝えておいて」
息子からの返事はまだない。いろいろと面倒くさい世の中である。
ともかく、ぼくは今夜、この新居で初寝をする。
いったい、この新天地でどんな夢を見るのであろう。
つづく。