JINSEI STORIES
退屈日記「コロナ禍でもエッフェル塔はすっくと立ちあがり、人々を励ます」 Posted on 2021/03/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ちょっと新しい自撮り棒が届いたので、練習を兼ねて、エッフェル塔まで散歩に出かけた。うちからエッフェル塔までは歩いて25分くらいだろうか。ちょうどいい散歩コースである。シングルファザーになる前までエッフェル塔のすぐ袂で暮らしていた。バチカンが大家のアパルトマンが心地よく、ベランダが二つもあって、ぼくの仕事場の窓をあけると、エッフェル塔がどんと聳えており、10年以上そこに住んでいた。乳母車のことをプーセットと呼ぶのだけど、そこにチビ助を載せて、商店街でよく買い物をしたものだ。その商店街も歩いたけど、懐かしい記憶に目元が緩んだ。いい思い出ばかり思い出す。
でも、人生というのは予期できぬものだから、仕方がないけど、いろいろとあって、ぼくは引っ越しをして今は違う商店街の常連になり、息子は乳母車には入れないくらい巨人になった。笑。でも、人間が、時代が、どんどん移り変わっても、エッフェル塔さんは変わらない。だから、ぼくはきっと変わらないものを求めて、エッフェル塔を見上げに行く、来る、のだろう。人生の節目節目でぼくはエッフェル塔に、いや、このかわらぬ街並みに励まされてきたように思う。在仏19年だものね。
今、エッフェル塔はお色直しをしている。だから、エッフェル塔の三分の一くらいは膜で覆われていて、鉄骨が見えない。工事のことは去年からニュースになっていたけど、今でも危険を伴うすごい塗装工事だとは思うけど、そもそもこのエッフェル塔、着工は1887年の1月なのである。(完成は1889年3月) おいおいおい、134年も前のことかぁ。日本は何時代???
その時代のフランス人はここにどうやってこんな塔を建てたのだろう。建てようと思ったのだろう。でも、建ててしまえたフランスの当時の技術力の高さに感心する。このエッフェル塔の鉄骨の複雑さ、もちろん、これくらい鉄骨を組まないと支えられなかったのだろうけど、ぼくは世界中のどの鉄塔よりやっぱり美しいと思う。あと、このローブのようなスタイルは抜群なのだ。
晴天だったので、大勢の地元民でエッフェル塔の袂の公園、シャンドマルスは賑わっていた。この辺に住んでいた頃、ぼくもよく家族や友人らとここでピクニックをした。さわやかな春の風が流れていく。ぼくは黙って、今日もまた、エッフェル塔を見上げるのだった。