JINSEI STORIES
滞仏日記「世界は本当に狭いと思った」 Posted on 2021/03/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、精神を保ちにくい時代だが、そういう時はやはり外を気が済むまで歩くのがいい。
今日のパリは雲一つない快晴で、気温も14度と心地よく、まさに散歩日和であった。
コロナ疲れを癒すのは歩くのが一番であった。
みんな歩いていた。そして、みんなベンチに座って、日光浴をしていた。
コロナなんて嘘じゃないか、と思うような喉かさであった。
ぼくも公園のベンチに座り、日向ぼっこをしていた。
目を閉じて、瞼の裏側で太陽を浴びていた。
実はぼくは日記では書けない心配事がある。
いつか説明するけど、今はまだ考えがまとまってなくて、うかつに書けないことがある。
でも、それが今年は一番ぼくのこころをかき回している。
そういう心配事があるので、心が変調をきたし、体調を崩したのだと思う。
でも、身体は元気なので、こうやって外に出ると気持ちが落ち着く。
口をぽかんと開き、だらーんとしていたら、
「すいません」
と声をかけられた。慌てて、ぼくは座り直した。
おじさんが立っていた。小太りで、目の下にくまが出来ていた。
「おやすみのところ、ごめんなさい。ちょっと私も座りたいのだけど、反対側のベンチに座ってもいいですか?」
この公園のベンチは真ん中に背もたれがあり、座るところが二つあった。
「ええ、もちろんです」
ぼくはそう告げると、ちょっと端へと寄った。背中合わせってのはなんとなくちょっと気持ち悪い。
ソーシャルディスタンスを保たないとならないので、二人の距離が一メートルになるように、離れたのである。
おじさんはぼくの後ろのベンチに座り、反対側の空を見上げた。
つまり、ぼくらは背中合わせになった感じで座る恰好となった。
いいですよ、とは言ったものの、背後に人がいて、それも男性で、遠くの空を見ているのが、ちょっとなんか落ち着かなかった。だから、歩こうかな、と思っていると、不意におじさんが、
「見て、ほら、あの建物の上に、月が」
と指さした。
「月? ああ、本当だ」
おじさん、まじまじとぼくの顔を見る。そして、
「もしかして、あなた、日本の人?」
と言い出した。
「ええ、そうです。わかります?」
「いや、でも、なんとなく、分かるんです。私は何人に見えます?」
ぼくは驚いた。そういう聞かれ方は初めてだったからだ。でも、何人に見えるか、と訊くくらいだから、フランス人ではないんだろうな、と思った。
「アクセントはないですね。きれいなフランス語です。何人なんだろ?」
「ええ、フランス人だから当然ですね」
一瞬、おじさんの方を振り返った。おじさんもこっちを見て、ニコッと微笑んだ。やばい。やっぱり、ここは立ち去った方がいいだろうと思ったら、
「いやな時代ですよね。まさか、こんな時代になるとは思いもしなかった。あなたはなんで感染者の少ない日本にいないんですか? 東京の感染者は今、300人くらいでしょ?」
と正確な数字を繰り出してきたので、不意に、立ち去りにくくなった。
「こっちに住んでるからです。仕事がある時だけ日本に戻る。年に3,4回くらいかな。でも、今は帰りづらいから仕事の依頼も断ったりしています」
「そうなりますよね。感染者の桁が違うからね」
「ま、早くコロナが風邪みたいになればいいんですけど」
「ワクチン次第ですね」
「ですね」
そう言って、ぼくが立ち上がろうとしたら、あ、そう言えば、とおじさんが振り返って、
「昔、一時期、下北沢に住んでました。小田急線って知ってますか?」
と言い出したのだ。これにはびっくり。ぼくは思わず座り直してしまう。
「知ってるも何も、下北に、ずっと住んでましたから」
「え? いつ?」
「ええと、20年前までは下北でしたよ。90年代」
「あ、じゃあ、私とかぶるな」
おじさんがこっちを向いたので、仕方なく、身体をおじさんの方に向けることになる。
「これは奇遇ですね。南口? 北口?」
「ぼくは南口」
「ああ、私は北側、一番街商店街の方。近いですね」
「なんで?」
「なんで? それは私が聞きたい。私は仕事で3年間、住んでましたが、いいところだった」
ぼくは言葉が続かなかった。頭の中に、懐かしい下北沢の風景が浮かんだからだ。同じ頃に住んでいたのが確かなら、ぼくらはすれ違ってたかもしれない。
「じゃあ、おでんの宮鍵(みやかぎ)って知ってます?」
一番街商店街と言えば、この店だ思い出し、聞いてみた。昔、ぼくが所属していたソニーレコードの人のお父さんだったか親戚の人がやっていた。
「ああ、よく通ってました。あの店、もうないですよ」
「え? そうなんだ。そうか、20年経ってますものね。おでん、美味かったですよね」
おじさんが携帯を取り出し、グーグルマップで宮鍵の写真を見せた。「閉店のお知らせ」という紙が貼られている。64年も続いたのですけど…、という文面が読めた。
「ほんとだ」
おじさんと目が合った。マスクをしているので顔はわからない。でも、この人とぼくは今、下北沢の話しをパリのロックダウン下でしている。
「もしかしたら、同じ頃、隣同士で飲んでたかも」
「きっとね」
「あなた、日本語は? 話せる?」
「ちょっとね。でも、3年だからたいして喋れません。あなたは上手ですね」
「ぼくは19年も住んでるからね、少しは」
世界は狭いなぁ、と笑いあった。その時、携帯が鳴って、そのおじさんが慌てて出た。奥さんなのか、女性の声が聞こえてきた。
口早に二言三言話しをしておじさんは電話を切った。
「せっかく、知り合ったのに、子供をあそこの学校まで今すぐ迎えに行かないとなりません」
と言って、そのおじさんが立ちあがったので、ぼくも立ち上がった。
名刺を貰ったけど、ぼくは名刺を持ったことがない。かたい仕事のようだった。
「大丈夫、この辺でうろうろしていますから、きっとまたご縁があるでしょう」
おじさんはそう告げると、日本式のお辞儀をして、公園を突っ切って歩きだした。
もしかしたら、おじさんと言ってるけど、ぼくより、年下かもしれない、と思った。