JINSEI STORIES
滞仏日記「夢が萎む父ちゃんを夢が膨らむ息子くんが引きずり上げた春の日」 Posted on 2021/03/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子に嘘をつかれた、と思い込んで気落ちしていたぼくだが、今日は朝から辛いことや悲しいことにも抗体ができ、乗り越えていけばその分、強くなるんだ、と自分に言い聞かせて起きた。
まばゆい3月の光であった。
でも、調子が出ない。
息子が嘘つくことも分かって、年齢的にも当たり前だよ、といろいろと諭されつつ乗り越えようとしているのだけど、嫌な時に嫌なことは重なるもので、いかんいかん、自分らしくない、と思いながら昼食の準備をするためにキッチンで準備をしていたら、息子が笑顔でやってきた。
昼飯を食べに学校から戻ってきたのである。
「パパ、いい?」
ぼくはレタスのサラダを作っていた。
「なに?」
「アドバイス貰いたいんだけど」
「アドバイス?」
「新しい曲が出来たんだ」
お前のせいで気持ちが塞いでいるというのに、と思ったが、いいよ、と言った。
息子は笑顔で自分の部屋に戻り、小型スピーカーを持って戻ってきた。
「新しいグループのメンバーになったんだ」
「ふーん」
「でも、今までのとはちょっと違って、ぼくはボーカルなんだよ」
「へー」
と言いながらも、心の中では、音楽ばっかりやりやがって、と思っている。
来年、大学なのに、部屋から聞こえてくるのは音楽と彼女の声だけだ。ったく。
「十人組のバンドなんだ。メンバーはスイス、アメリカ、カナダ、ギアナ、イタリア、フランスのあちこち、パリはぼくだけなんだ」
「なんだ、それ」
「プロのミュージシャンが集めた」
「オーディションで受かったの? 」
「仲間なんだ。ネットでつながって、音楽を交換している。今回の曲はメンバーが作った。ぼくは歌に徹してるんだ」
スピーカーから音楽が流れだした。心地よいリズム、そして、息子の歌声だ。
今まではラップだった。でも、これはかなりメロディアスでしかもダンサブルなナンバーだった。踊りたくなるし、かなりハイレベルの音楽だというのがわかった。
「いいね」
息子が喜んでいる。まだ、17歳のあどけない顔をしている。ぼくはたれ目だけど、この子は切れ長で、背も高くて、がっしりとしている。
「でも、勉強もしないとな」
「一番になったんだ」
そういうと息子は携帯を取り出し、成績をちらっと見せた。どこまで信用していいのか、わからない、と思って笑顔が萎んだ。
「クラスで一番なんだから、音楽をやる権利がある」
ぼくは鼻で笑い、サラダ作りに戻った。
息子は自分たちのグループがどんなに可能性があるか語りだした。ぼくがサラダを作ってる間中、自慢が続いた。
「ファンが5000人もいるんだ。登録している」
「へー、すごいね。プロになるの?」
「ぼく以外はみんな半分プロだよ。お金を稼いでいる」
ぼくはサラダをそのままにして、息子と向き合った。
ったく、笑顔だった。
文句を言うつもりだったが、その笑みのせいで、言葉が続かなかった。
笑顔の息子の目がキラキラと輝いていた。まだ、曲は続いていた。
「いい声だね。それに覚えやすいメロディだ。リズムもかっこいい」
文句のかわりに、褒めてしまった。
「ああ」
「やっぱ、血だな。親の声を受け継いでる」
息子がうれしそうに笑った。まんざらでもないのかな。
お前は歌手になって生きていけると思ってるのか? と言葉が出かけたけど、やめた。
大学はどうするんだ、馬鹿野郎、と出かかったけど、やめた。
ちゃらちゃらしやがって、と言いかけてそれを飲み込んでしまった。
なんで、お前は嘘をつくんだ、と言いかけ、これは、やめた。笑。
かわりに、
「なんでも、そうだけど、中途半端にはやるな。やるなら最高を目指せよ」
とぼくは言った。
息子は、うん、と素直に頷いていた。
息子と二人でご飯を食べた。
食べ終わったら、あいつは勉強をしてから一時間後、学校に戻って行った。
ぼくは再び一人になり、食器を洗った。
でも、洗いながら、なにか、食べる前とは気持ちが変わっていることに気が付いた。
午前中は暗かったのに、午後は耳に焼き付いたリズムが身体を揺さぶってくる。
コロナ禍のこんな悲しくて苦しくて辛い時代に、息子は夢を見つけ、イキイキと生きている。
外出制限や繰り返されるロックダウンの中で、未来も閉ざされかけているというのに、希望を持って前進している。
そこには嘘がなく、屈託がなく、明るいのだ。
これは本当にすごいことである。
ぼくら大人はとてもじゃないけど、明るい未来など見つけることが出来ずにいる。
なのに、あの子たちは、その10人の子たちは、ネットで知り合いグループを作って、少なくとも何十年も音楽をやってきたぼくをノックアウトした。
敵う敵わないの話しじゃなく、羨ましいくらいの眩しさなのである。これが若さだ!
勉強しろ、いい大学にいけ、と言い続けてきたけど、約束された未来も今の時代は怪しい。
まずは今を生きることが大事で、人間には、まず、今を乗り越えるための喜びが必要で、それをあの子たちは持っている。
大人が心配しているのをよそに、彼らは彼らなりに、この劣悪な制限下でも繋がって、幸福を見つけようとしているし、実際見つけているんじゃないのか!
大人が介在して作った音楽じゃないのに、十分に新しいし、面白いし、元気の出る音楽だった。
その未来をぼくが塞ぐことはもうできない、と思った。
片付けが終わると、ぼくはジャケットを羽織って、春の足音が近づく外に飛び出した。
光りがまばゆかった。
17年前に、息子が生まれたアパルトマンまで歩くことにした。
街の景色はぜんぜん変わっていなかった。でも、あいつは青年になった。
不思議である。ぼくは苦笑した。
こんな時代なのに、ぼくは微笑んでいた。
あの子には物おじしないでとことんやってもらいたい、と思った。
もちろん、勉強もしてほしいけど、好きなことをとことん後悔しないようにやってほしい、と心から思った。
それがあるだけでも、今は幸せなのだから…。