JINSEI STORIES
滞仏日記「5歳の男の子を餓死させる鬼みたいな大人たちに怒り収まらず」 Posted on 2021/03/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日、たまたま、文庫「真夜中の子供」の発売日で、この作品は児童虐待の話しで、酷い虐待を受ける少年(蓮司、レンジ)を、博多の人々の人情が救うという物語なのだけど、ところが今日、たまたま、ネットニュースに、同じ福岡で、5歳の男の子が餓死したという衝撃的なニュースがあって、ここがパリなので、断片的にしか情報が伝わらず、その事件のことを調べても、何度読んでもよくわからない、ちょっと理解しにくい、「洗脳」事件っぽい要素のある話しで、しかし、結論は5歳のお母さん思いの子が大人たちの鬼のような仕業で殺されたということにはかわりなく、開いた口がふさがらず、かわりに閉じた目から涙が出た。
本当に許せない。
可愛い子供を放置し、しかも、食べさせないで、殺す。
人間として、鬼すぎる。言い訳は出来ない。周囲の大人たちも同じだ。
それにしても、ネットニュースを読んだだけでは、事件の本質がよくわからない。
これは警察などがこれから調べて然るべき判決が出るのだろうけど、徹底的に調査をして、本質を闇から光りのもとへ引きずり出してほしい。
いずれにしても、餓死という人間の本質を奪われるやり方で殺されたこの5歳の子のことを想像すると怒りと涙がおさまらない。
何か食べさせてあげたかった。
自分が近くにいたら、助けたかった。
うちで保護したかった。
美味しいものをこの子のために作りたかった。
本当に、作りたかった。
そして、思う存分、美味しいものを、ケーキでも、カレーでも、天丼でも、焼き肉でも、おいなりさんでも、なんでも、なんでも、食べて貰いたかった…。
…
こんないい子を死なせた、しかも餓死で、殺したあとで「ごめんね」とかぜんぜん、なに、言ってんだ、ばかやろう。…命は戻らないよ。
今日は、朝からずっと怒りよりも、心が痛くて、悲しくて仕方がなかった。
舞台が同じ福岡ということで、博多の人情はどうした?
「真夜中の子供」の主人公、蓮司とあまりにもダブり、今もずっと手と心が震えている。
「真夜中の子供」を何が何でも映画化したかったのは、そのフィルムの中に、蓮司を生かしたかったからだ。でも、映画製作会社は経営危機だそうで、コロナだし、残念でならない…。
日本から届くニュースは、この10年、子供への虐待が本当に多くて、フランスでももちろん、虐待はあるけど、虐待がありそうだ、と思ったら、隣近所がすぐに駆け寄り、動くのがフランスのいいところで、他人のことにはめったに口を挟まないクールな国民性だけど、子供の様子がおかしい時は、この国の連中は本当におせっかいになるし、命がけで、自分の子とか他人の子とか関係なく、ちょっかいを出してくる。
それである日、虐待を受けた少年の物語を書かなきゃと思い立った。
多くの人に、虐待がどんなに悲しいことかを伝えたかったし、それを救えるのは大人たち全体の責任なんだ、と思った。
博多の祇園山笠に参加するようになり、中州の人たちの人情深さをみて、子供たちに山笠を指導する大人たちの素晴らしさの中に、この問題の解決策があると気が付き、本にした。
でも、その同じ福岡でこの事件が起きた。残念で仕方ない。
福岡の人たちは本当に情が深いんだ。ぼくは知っている。だから、こんな事件が起きて、残念で仕方ない。
子育てはたしかに苦しいこともある。24時間、子供の面倒を見ないとならないのは、つらい。
自分の自由は奪われる。とくに心が弱い人は、洗脳だかなんだかわかないけど、鬼にスキを与えてしまう。
でも、どんなに鬼が言い寄っても、近づいても、人間の本質まで差し出しちゃだめだ。
命がけで、子供を守らないと。
誰の子とか関係ない、子供は人類の宝物だ。
幼い子を守るのは人間の本能なんだ。
ぼくだって、何度も、家事や育児を放棄したいと思った。
でも、実際に放棄なんてできない。子供の寝顔を見たら、これは自分の仕事だ、と思う。
泣いてる子を見たら、思う。
とくにお腹を空かせた子がいたら、食べさせたいと思うでしょ?
それは損得とか、そういうのじゃなく、人間の心なんだよ。
鬼や悪魔とは、そこが違うのだ、と信じたい。
今日は食べ物が喉を通らない。そんな悲しい一日であった。
5年しか生きれんかったその子に、ごめんなさい。