JINSEI STORIES
リサイクル日記「しくじってもいい、でも、諦めるな。とぼくは息子に言い続けた」 Posted on 2023/01/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、もう何年も前から、ツイートや、ずっとこの日記でも書き続けてきたことだけど、ぼくは死にたくなると、自分に、囁く言葉がある。
死にたいとか消えたいと思ってもいい、でも、死んだらダメだ、である。
これはぼくが若い人や苦しむ仲間たちに良く言う言葉でもある。
ぼくだって何度も、死にたい、と思った。
もうダメだ、消えたい、と思ったことは一度や二度じゃない。
その時に、ぼく自身を励ます言葉として、
「死にたいとか消えたいと思ってもいい、でも、死んだらダメ」
という言葉を思いついた。20年も、30年も前のことである。
いくら思ってもいいし、口にしてもいいけど、本当に死ぬのはダメだよ、ということになる。
思ってもいいんだ、ということでぼくは楽になった。
でも、と続いて、生きよう、とすることで、ぼくの思考はプラスへ向かうことが出来た。
この法則はその後、ぼくの生き方を大きく変えることになった。
「~してもいい。でも」の法則とぼくは名付けた。
人間というのは頭ごなしに言われると反発をする生き物なのである。
しかし、いいんだよ、そう思っても、でもね、実際にそうしちゃいけないんだ、と言われると、なるほど、と気がつくことのできる動物でもある。
たとえば、「失敗したっていいじゃない。でも、また頑張ればいいんだ」
要はこういうことだ。
「泣いたっていい。でも、また頑張れ」
「しくじってもいい、でも、やり続けよう」
「負けたっていい、でも、諦める必要はない」
「倒れてもいい、でも、すぐに起き上がれ」
これらは実際に息子に言い続けてきたことばたちだ。
「出来ないのはあたりまえだよ。でも、必ず出来るようになる」
ということだ。
ぼく自身、この法則で人生を乗り越えてきたし、ぼくの息子も今は逞しくなった。
だって、最初から出来る人間なんかいないし、人間とはずっと悩む生き物なのだから。
ぼくは結構、波乱万丈な人生だった。
それはやはり自分が招いてしまったことなのだ。
でも、それで卑屈になり、人生を放棄してしまわなかった。
全てを失って死にたいと思った日に、ぼくはぼくに言い続けた。
「ヒトナリ、死にたいって思ってもいいんだよ。それは当たり前のことだから。消えたいと自暴自棄になることもあるよ、それが普通だからだよ。でも、死ぬのはダメだ」
ダメな理由などいちいち言葉にする必要はない。
~してもいい、でも、ダメだ、だけで十分である。
それ以上の理由はぼくにも分からない。
落ち込んで倒れてもいい、でも、すぐに起き上がれ、とぼくは息子に言い続けてきたけど、彼はこの言葉の力で立ち直って今も頑張っている。
そこになぜならこうだからだ、という言葉は不随したことがない。
つまり、生きること、立ち上がることが人間の本能だからである。