JINSEI STORIES
滞仏日記「田舎で生きること、パリで生きること」 Posted on 2021/03/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、朝、早朝にホテルのロビーでジェロジェロと会った。
「ボンジュール、ムッシュ。昨日はごめんなさい。ビクト―と話し出来たみたいですね」
「うん、ビクト―がやってくれそうだったけど、本当に大丈夫かな?」
「彼らは出来ないことを出来るとは言いません。必ず、やると思いますよ」
「でも、あれ、柱を板で塞いで、中にコンクリートを流し込んでるでしょ? 無理に剥がしたら120年も前の木だから、ボロボロにならない?」
「たぶん、遺跡の発掘みたいな、根気のいる作業になるはずだけど、ぼくは、きっとやれると思います」
「マジか、そりゃ大変だね」
この時、ぼくはまたしても絶望的になった。なぜなら、柱は全部で13~14本はあるのだ。
「ジェロジェロ、君の経験から、いくつくらい柱を戻せると思う?」
ジェロジェロは腕組みをして、考え込んだが、可能な限りはやるでしょう、と濁した。
「可能な限り?」
「確約は出来ないですけど、ぼくはあいつらを信じてます。チェチェンからこの国にやって来て、言葉も話せない連中でしたけど、でも、有言実行で今まで一度も期待が裏切られたことがない。ただ、ムッシュ、それが気に入らないとなって、またもとに戻してくれと言うのは無理です。いいですね、だから、ちょっと二人で話し合いをしましょう」
ぼくらは柱の写真を見ながら、話し合った。
ジェロジェロが言うには、柱が元のように戻ったら、壁の色はグレーにしてはどうか、との提案を受けた。
120年前の柱には茶色いペンキが塗られているけど、そのままではさすがにおかしい。歴史を残しつつも、その柱には新しい色を塗るべきだ、というのがジェロジェロの提案だった。
壁の塗料はぼくがルロア・メルランという素材のデパートで悩みに悩んで決めたジンク・ホワイトだった。
その色に寄り添えるグレーをあてたい、とジェロジェロが言った。
「木目は生かすのだけど、やはり統一感はあった方がいいですよ。ムッシュ」
ということで、途中経過の写真を送ってもらい、細かく確認しあうことが決まった。
ジェロジェロ、先祖はイタリア人なのだ。彼が棟梁みたいな存在なのである。2メートルくらいある大男だけど、人々を引き付ける貫禄と優しい目を持っている。
ともかく、遠かったけれど、ここまで来てよかった。
ぼくはチェックアウトし、パリへと戻ることになる。途中のサービス・エリアで朝ごはんを食べた。朝の9時くらいであった。
12時半に、NHKのドキュメンタリー撮影があって、それまでには必ずパリに着いてないとならない。ぼくはカメラのピエールに「今、パリから350キロくらいの地点でお茶しているぜー」と写真を送ってやった。
「へ? 12時半からの撮影どうするの? 」
「間に合うよう、安全運転で戻るよ。だけど、先に、スタッフとセッティングとかしておいて貰える? 飛び込む形になるだろうから」
もう20年近く通い詰めた顔馴染みの肉屋での撮影だった。すでに、行きつけのパン屋、八百屋、マルシェなどの撮影を終わらせている。(日記には書いてないけど、だいたい、毎日撮影しているのだ。これが3か月続く…、笑)
ところで、この撮影が決まった直後に、ぼくはピエールのことを「女ったらしで恋人がいて、奥さんとは別居している」と書いたけど、どうもこれが事実ではなかったので、ちょっと訂正をしなければならない。
共通の友人のリコがこっそりと教えてくれた。ピエールは奥さんとは離れたくなかったのだけど、ふられてしまい、家を出た (追い出された?) のが、どうやら真実らしい。奥さんは大富豪のお嬢さんで、南仏に大きな屋敷を持っている。
彼がぼくに見せてくれた綺麗な女性の写真をリコが笑いながら、あれが奥さんだよ、と教えてくれた。
なんでそんな嘘をつくのさ、とぼくが訊き返すと、フランスの男って、かっこ悪いと言われるのが一番の恥だから、悪ぶってみせたんだと思う、とリコが言った。
娘たちは、家を追い出されたピエールのことをちょっと馬鹿にしている。上の子はぼくらの見ている前で父親を罵倒したし、どうも、ピエールは、そういうかっこ悪いところをぼくには見せたくなかったようだ。
やれやれ、フランスの男、めんどうくせ―、と思った。
別に、ふられて家を追い出されて小さなアパートで暮らしていてもいいじゃん、と思うのだけど、フランスの男には男なりの、つまらない意地があるのかなぁ。
ピエールは家族を取り戻したいのだけど、どうやら奥さんの方にはすでに素敵な彼氏がいるらしい、…。なんだよ、全然話が違うじゃん!
肉屋に顔を出すと、すでに、撮影隊はスタンバイできていた。往復800キロを行って帰ってきたせいで、ちょっとふらふらの父ちゃんであった。
「ツジー、最高、最高」
ピエールの口癖は、最高、最高(super!)である。感動屋さんでなんでもかんでも、スーペー、スーペー(最高)、と大騒ぎする。
今日はなんで騒いでいるかというと彼に貸したソニーのカメラ(ZV―1)の性能が良すぎて、感動したらしい。笑。
撮影の初日、彼が友人から借りてきたスタビライザーという動画撮影を安定させるための巨大な装置は、あまりに重くて、しかも、ピエールは使い慣れてないらしく、優秀な機械なのだけど、ふりまわしきれず、右往左往していた。
だいたい、彼のカメラは機種がすでに古く、そのせいでブツブツ文句ばかり言っていたのだけど、このソニー君、実に、コンパクトで性能もよく、重たいスタビライザーも必要なく、ピエールをこの上なく喜ばせていた。
ぼくの横でしきりに感動しているピエールを見ていたら、あまりにも子供っぽい人なので、なんだか、いとしくなった。
家族をなんとか再生させようとする彼の姿に、ちょっと昔の自分が重なった。国が違っても、悩むところは一緒なのである。
夕方、家に戻ってギターを弾いていたら、ビクト―からSMSが飛び込んできた。もちろん、片言のフランス語なのだけど、だいたい、このようなメッセージであった。
「今、柱を一つ、元に戻す作業をしているところだけど、まずは結論から言いましょう、多分、全部の柱をもとに戻せそうですよ。根気のいる作業だけど、ムッシュが心地よく、この土地で新生活を送れるように頑張ります。それから、差し入れのパン、美味しかった。みんな、また喰いたいそうです。チェチェンのライオンより」
ぼくは、もちろんだよ、と返しておいた。
「次回も美味しいパリの総菜パンを差し入れるからね。君たちの努力に心からの感謝を込めて。日本のペンギンより」