JINSEI STORIES
滞仏日記「ひゃあああ、ぼくのアパルトマンがスタートレックの船内みたいに!」 Posted on 2021/03/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、2月最後の日曜日、パリは快晴で、明日から3月、しかも冬休みが終わり、学校などがはじまるとあって、最後の休日を楽しもうと人々が公園やセーヌ河畔に押し寄せ、物凄い人出となった。
もしかすると部分的ロックダウンがおこるかもしれない、という噂も出ているので、とにかく今のうちに太陽を浴びておこうという気持ちもわからないわけではないけれど、…。
何か月も閉めていた高級カフェ・バーの前を通ると、テラス席にクレープのスタンドが出来ており、行列が続いていた。
その店は普通の定食が30ユーロ、4千円弱もする高級店なのに、庶民的なクレープ屋を出さないとならないくらい、逆を言えば、このコロナ禍、手がないのである。
クレープの値段は知らないが、とりあえず、いつものギャルソンたちがTシャツ姿でクレープ焼いてる姿に、がんばれ、と思わず言葉が飛び出してしまった。
もちろん、うちの子が家でじっとしているはずがない。朝の7時には家を出ていった。まぁ、こうなったら勉強しろと怒鳴りつけても効果はない。
彼女と楽しい青春の一日を過ごすことは大目に見よう。
明日からまた学校がはじまるので、会えなくなるのだから。(18時まで学校、18時以降が外出禁止なので…遊ぶ時間はない)
地球カレッジの配信準備をしていると、建築家のジェロジェロから写真が送られてきた。ん? なに、これ…。
10分後に、オンライン講座が始まろうとしているその慌ただしいタイミングで、超衝撃的な写真が届いてしまう。
「こ、これは、一体、何?」
ぼくは慌てて、ジェロジェロにSMSを送った。
「なにって、ムッシュ~、これは塗装の下地塗りが終わったところの写真ですよー」
「え?? どこの? 」
「どこって、ムッシュの部屋の」
「うちの? 今、君に工事を頼んでるぼくの田舎のアパルトマンの柱がこんなになっちゃったってのかい?」
「かっこいいでしょー?」
ジェロジェロから送られてきた写真は、ちなみに、これである。
しかし、ぼくが買ったアパルトマンは、120年前に建てられた歴史的建造物に指定された物件で、前の家主のご夫妻はここを当時の空気感そのまま、大事に、いかして、生活していたのである。
その田舎の雰囲気がとっても好きで、そこを購入したのだ。
ちなみに、これが最初にこの物件を見た時の写真である。両方を比較してもらいたい。
「辻さん、あと5分で本番です。スタンバイお願いしまーす」
スタッフさんの声が飛び交った。
ぼくは慌てて、ジェロジェロに電話をかけることになる。早めに一言言っておきたかったからだ。
「ジェロジェロ。元気?」
「イエス、すごくいい感じで、進んだよ。見てよ、その写真、気に入ってもらえるでしょ?」
「ジェロジェロ、これ、全然、変わっちゃったじゃない。ぼくは田舎生活をしたかったから、今、ちょっと気持ちが落ち着かないんだ」
「ええええー? ムッシュ、どういうこと?」
「だってね。田舎で生活したいのに、これ、東京のマンションみたいな作りになってるし」
「ぜんぜん、東京に負けてないでしょ?」
「いやいやいや、ジェロジェロ、ぼくは大都会に疲れたから、田舎暮らししたくて、このアパルトマンを買ったんだ。元の柱の写真をこれから送るから、見てよ。あの歴史的な木造建築の柱の感じがすっごく好きだった。なのに、今は、なんか、なんての、映画スタートレックのエンタープライズ号の船内みたいじゃないか。スポック船長とすれ違いそうな宇宙空間になっている。ぼくにはちょっとモダン過ぎるんだ」
「辻さん、映像が切り替わります。スタンバイ、お願いします!!! もう始まっちゃいますよ~」
スタッフさんが怒鳴った。
「ジェロジェロ、仕事があるんで、一度切るけど、これ、もうどうにもならないの?」
「ムッシュ、なるほど。ちょっと工事責任者のビクトーと相談してみます」
ビクト―というのはチェチェン人の工事責任者で、真面目ないい子なのだけど、若いからやはりモダン=みんな喜ぶ、と思っても仕方がない。
ぼくは電話を切り、カメラの前に立った。無事、オンライン講座はスタートしたけれど、頭の中にはずっとあのモダンな柱の絵がちらついて離れなかった。
やれやれ。
フランスの田舎で内装の仕事を一手に引き受けているジェロジェロのプライドを傷つけたくはない。
でも、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買ったアパルトマン。
後半の人生をそこで静かに暮らしたくて買った家だ。
自分の好きな世界に統一したい。
ここで、我慢したら、ぼくはお金を捨てることになる。
満足する家で暮らしたい。
パリからそこまで何時間もかかるので、飛んできたいけどいけないから、ある程度は彼らに任せることになってしまった結果がこれだった。
でも、田舎でスタートレックは嫌だぁぁぁ。スポック辻は嫌だぁぁぁ。
しかし、柱は、家全体で、13、4本もある。きっと、全ての柱が板で覆われ、塗装が施されてしまったのであろう。板と柱の間にはセメントが流し込まれているはず。
現実的に、あの柱をもとの歴史的なぼろぼろの柱に戻すことなんかできるわけがない。
出来るとしたらどうやって??? ああああ、もうダメだ、スポック船長決定じゃないか!
オンラインの配信が終わり、お疲れ様をしてみんなと別れた後、ぼくは車の中でこのことを思い出し、ため息が溢れ出た。
電話でちゃんとぼくの気持ちが伝えられるかわからなかったので、ぼくは仏語の長い手紙を認めることになる。
「親愛なるジェロジェロ。
今日は、君がせっかく頑張って作ってくれた柱の装飾に対して、小言を言ってすまん。君らの素早く素晴らしい仕事ぶりに本当に敬意をもっているのです。なのに、その出鼻をくじくようなことを言って本当にごめんなさい。ぼくの仏語の未熟さのせいで、きっと君に誤解を与えてしまったのだと思う。でも、パリにはない、君の生まれ故郷の素晴らしい建築物の歴史や風土をぼくは愛しているし、そこをパリや東京の部屋にはしたくない気持ちも理解してください。ぼくはあなたの故郷の伝統的な建築物の中で、作品作りを紡ぎたい。そして、そこから日本やフランスの読者に感動してもらえるような作品を書いてみたい。その古い柱を見つめながら、遠くに君の先祖の海を眺めながら…。なので、もし可能なら、一本でも、二本でも、元に戻すことが出来るなら、その歴史のモミュメントとして、復元してもらうことを切に希望します。それがどんなに大変なことか、ぼくは理解しているつもりだけど、もし可能ならば、お願いします。Hitonari TSUJI 」
つづく。