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滞仏日記「パリ一番のマカロン、教えてほしいと息子に頼まれた父ちゃん」 Posted on 2021/02/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、ドアをノックする者がいた。
寝ぼけ眼を擦りながら、時計を見ると、8時30分であった。あら、寝坊だ。ドアの隙間から息子が顔をのぞかせてきた。
「あの、マカロンなんだけど、どこのが一番いいか教えてくれる?」
「マクロン? どうした? ロックダウンか?」
ぼくは第三次ロックダウンが始まる夢を見ていたので、マカロンがマクロンに聞こえてしまったのである。
「違うよ。マカロン」
「マカロン? なんだ、マカロンか」
だんだん、視界がはっきりとしてきた。ドアから顔を覗かせているのは、黒マスクのバイデン大統領ではなく、17歳の息子だった。
「なんで?」
「昨日、日曜日で買えなかったから、今日、買って、渡すんだよね」
ちょっと撮影がハードだったので、身体の節々が痛く、多分、免疫力が低下しているのであろう、調子が出ない。痛みのある身体の節々をさすりながら、
「誰に?」
と聞いてみた。
「彼女に」
そこだけ日本語であった。ジョノカ? おお! 父ちゃん、一気に、目が覚めた。

滞仏日記「パリ一番のマカロン、教えてほしいと息子に頼まれた父ちゃん」



「そうか、バレンタインだったから、何かプレゼントするんだな?」
「うん」
「で、マカロンをあげるんだね?」
「うん」
「それはいいアイデアだ。いろいろとあるけど、今日、渡すのか?」
「うん」
「何時に?」
「お昼に待ち合わせた。だから、午前中に買えたら、間に合う」
甘いもの大好きな父ちゃん、これは息子の期待に応えてあげられる、チャンスだ。一生懸命頭を振り絞った。
「マカロン、やはり最高峰はピエール・エルメだよ。圧倒的に、ピエールのマカロンはうまいよ。イスパハンのマカロンとか絶品だ」

滞仏日記「パリ一番のマカロン、教えてほしいと息子に頼まれた父ちゃん」

「うーん、もうちょっと普通で、若い女性に受けるものがいいな」
「可愛いところではアンジェリーナがいいんじゃないか? 箱もポエティックで可愛いし」
「そうだね、アンジェリーナか。美味しいよね」
「パパが最近、好きなのはユーゴ・エ・ビクトールがおすすめだよ。技術力がある。パティシエが凝り性で、それがアジに現れている」
「うーん」
息子君、悩みだした。
「王道でいくなら、ラデュレとかもいい。なんか、コロナで営業がうまくいかず売却のうわさがあるけど、でも、伝統的に美味しい会社だし、頑張ってほしいね。話題性なら、シリル・リニャックかな。他との違いを出すなら、日本人のサダハル・アオキは抹茶味とか、黒ゴマとか、フランス人には珍しがられるし、やっぱ定評あるよ」
「ああ、青木さん、いいね」
息子君、店舗情報を調べて、アンジェリーナが9時から開店していることを突き止めた。
「アンジェリーナにする。箱が可愛いし。ここのモンブラン美味しいから」



ぼくは起きて、コーヒーを淹れ(最近、ネスプレッソのペルーにハマってる。マジ、美味い)、コーヒーを一口、口に含んだ瞬間、あっと思いだした。
昨日、うちのスタッフさんに差し入れケーキを貰ってたんだ!
ベランダにだしたままにしていたことをすっかり忘れていた。慌てて、窓を開け、袋を引っ張り出した。パリ左岸で活躍する一つ星レストラン「ES」のパティシエール、MARIKOさんが予約販売をしているケーキが、今、在仏日本人を中心に話題騒然なのだ。
それにしても、ここの「抹茶と黒蜜のシュークリーム」は絶品過ぎた。
抹茶クリームも上と下で二層になっているようで、中心に黒蜜が入っている。シューの皮はビスケット・シューで、サクサク。
ESのモンブランはシェフの本城さんがマルシェで自ら調達した栗から作るという執念の味。業務用栗ペーストとは違い、かなり、美味しい。その分、大量には作れないんだとか。
個人的にはスポンジがもう少ししっとりしている方が好きなんだけど、でも、優しさ溢れる抹茶のシュークリームはパリでも随一だと思った。
まず、ちょっと見てくだされ。

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滞仏日記「パリ一番のマカロン、教えてほしいと息子に頼まれた父ちゃん」

※この黒蜜ーーーーー。サクサク、シュー、に抹茶の生クリーム、ああ、興奮する。



ビスケット・シューのサクサク感は感動もの。そして、抹茶の生クリームかなぁ、口の中で蕩ける。下層に抹茶のカスタードかなぁ、風味が広がる。
バランス抜群で、中心にたっぷりと仕込まれた黒蜜がマジ、やばかった。フランス人に「受ける」に違いない。
自分だけのものにしておきたいから、あまり宣伝したくないけれど、これは本当に美味しかった。
と、気がつくと、モンブランも平らげ、バニラ・シューにまでフォークを突き刺していた父ちゃん。
一人で三つって、超甘党過ぎるね。笑。息子の分まで食べちゃった!!! 



そこに息子が帰ってきた。
「お、どうだった?」
「それがね、アンジェリーナやってなくて、セーヌ渡って、ラデュレまで行ってきた」
と見せられたラデュレの薄緑の袋を大事そうに抱えた息子くん。この子の恋の過程をずっと見続けてきた父ちゃん、応援する気持ちしかない。
「いいじゃん、いいじゃん、彼女、これは嬉しいよ。じゃあ。昼はいらないのね?」
「うん、マック買って、公園で語り合う」
おおおおおおおおおおおおお、語り合う、青春じゃあ。
まもなく、息子が着替えて、BTSさんみたいな感じになって出けていくのを、父ちゃんは笑顔で、しかも、手を振って、見送るのだった。えへへ。

そして、夜間外出禁止令制限時間の18時に戻ってきた息子、満面の笑みでひとこと、
「めちゃ喜んでくれたよ」
だってさぁ、きゃぁーーーーーーーー、羨ましいぞーーーー、こんちくしょーめ。

(加筆)
そのあとの夕飯の時に、いつになく機嫌のいい息子くん、
「なんていう子なの?」
「どんな子なの?」
「写真見せて」
というリクエストに、自ら、率先してこたえてくれたのである。
「うわああああ、可愛い」
お人形さんのような子で、ウイリアムや、アレクサンドルや、トマくんに「一人だけバレンタインやってずるい」と怒られたエピソードとか、聞かされて、超恥ずかしかった、父ちゃん…。
でも、こんな顔が出来るまでに成長したんだな、と思ったら、父ちゃん、また泣けてきた。
ぐすん。よかったね。



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