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滞仏日記「息子にガールフレンドを守る術を教えた」 Posted on 2021/01/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、最近、息子の部屋からひっきりなしに女の子の声が聞こえてくる。
どうせ、「あの子だれ?」と訊いても「友だちだけど、なにか?」と言われるに決まっているので、そういう野暮なことは絶対訊かない。
ただ、最近、ドアをよく閉めるようになった。話しを聞かれたくないから、閉めるのだろうけど、スピーカーフォンで会話しているから、ダダ漏れなのである。
まぁ、いいだろう。
息子がぼくよりモテるのは、若いし、当然なのだけど、…血筋かな。えへへ。
周囲の知人とかには、辻さんにそっくりですね、とよく言われる。個人的にはチョー嬉しい。
父ちゃんの若い頃にそっくり。目がきゅっと切れ長で、エキゾチックな感じだから、フランスの若い女の子たちはほっとかないのだろうなぁ。
この写真はぼくが24歳くらいの時のものだけど、これでもう少し黒目が強い感じ。
身長175センチ、逆三角形の体つきで、髪の毛はくりくりなのであーる。

滞仏日記「息子にガールフレンドを守る術を教えた」



で、最近はちょっとお姉さんチックな、知的な子の声が夜中まで部屋から漏れて…。
「あの子だれ?」とは聞けないから、「ちょっとガールフレンドと話すのなら、スピーカーの音、もう少し下げたら? つつぬけだよーん」と言ってみた。
そしたら、
「あ、ごめん。パパ、フランス語分からないから、平気かなって思ってた」
とか、ぬかしやがった。かちーーん。
「いや、パパだって、それくらいわかるから。仲良しだね、いい子そうじゃん」
探りを入れる。睨まれた。くわばらくわばら、…。
「ま、でも、モテるのはいいことだけど、勉強もしないとな、受験生なんだから」
「パパ、スカイプで繋がって、一緒に勉強しているんだよ。遊んでいるわけじゃない。彼女は大学生だから、ぼくの不得意な科目を教えてくれている」
そう、来たか。
「じゃあ、仕方ないね。ガールフレンドだもんな」
「だから、友だちだよ」
「いいね、何ちゃんっていうの?」
わ、睨まれた。くわばらくわばら、…。



地球カレッジ

ということで、あまり根掘り葉掘り聞くと怒られるので、父ちゃんはキッチンに退散し、夕飯の準備に入った。
でも、こうやって、仲良くしてくれるガールフレンドさんがいることはとってもいいことだな、と思うし、有難いし、ちょー羨ましい。
いかんとは思いつつ、つい、ミーハーな感じになってしまう。
包丁握りしめキッチンで小さく小躍りしながら、うふふ、と微笑んでいる。
でも、母親的気持ちも出てきて、同時に、心配になったりもしている。
というのは、息子君、結構、そういう女の子と若者がよく集まる広場なんかに出かけていくからだ。
そこはスケボーやる子たちとかラッパーとかの集合場所で、いろんな子たちが屯している。当然、不良やチンピラもいる。

滞仏日記「息子にガールフレンドを守る術を教えた」



今、フランス国内で連日、報道されているニュースは、15歳のユリー君が10人の不良たちに襲撃され、大重体になった事件、…。
事件現場は、15区のぼくがよく買い物に行くスーパー、モノプリに面した高層ビル群の空中庭園のような場所である。
息子の通う高校からは結構近いのである。
空気洗浄機もその近くの電気店で買ったし、日本人駐在員ご用達のアジア食材店もその広場の地上階にある。
その広場でユリーは鉄パイプやレンチ、金槌などで襲撃された。
防犯カメラにその時の様子が撮影されていた。
酷いもので、10人がかりでボコボコにされた。不良グループは、倒れているユリーを走り込んでは蹴飛ばし、鉄棒で何度も叩きつけている。
映画の乱闘シーンのようなレベルではなく、殺すことを何とも思わないような非道で残忍な暴力行為であった。
こういう映像がフランスでは普通に全国放送されてしまうのである。(最近、やっとボカシが入った)
一命をとりとめたことが不思議なほどのリンチだった。

滞仏日記「息子にガールフレンドを守る術を教えた」



ぼくは今日もそこに買い物に行ったけど、警察や15区の警備員たちが巡回していた。
ユリーの仲間たちがユリーをやった連中に報復をするという噂が出ている。
15区の区長が「ここは警察に任せて仕返しなどやっちゃダメだ」と高校生たちに向けて声明を出した。
今日、そのうちの9人が逮捕された。犯人の子たちはユリーが通う学校と敵対する同年代の郊外の不良たちなのだという。
未成年だけど、フランスは18歳が成人なので、高校生以上の場合は、日本の未成年犯罪よりも厳しい罪を背負うこともある。有識者からは、行為があまりに卑劣なことから、大人と同じ罪を、という声も出ている。



夕食の時、ぼくは息子に、ユリーの話しをした後、少しだけ警告をした。
「君は日本人だからね、みんなより、目立つ。女の子とデートとかしていると、狙われやすいからな。ああいう連中にいんねん付けられたらヘタな正義感を出すな。携帯よこせ、金出せ、と言われたら、状況を見てだけど、おとなしく渡すか、かっこ悪くても女の子の手を引っ張って、一目散に逃げろ。わかったな?」
息子は黙っていた。
「あの連中はナイフを持っている。忘れるな、そんな連中を相手に正義感出しても意味がない。ユリーを思い出せ。関わらない方が身のためだ」
息子は小さく頷いていた。

滞仏日記「息子にガールフレンドを守る術を教えた」



夕食の後、食器を片付けていると、今日もあの子の声が息子の部屋からこぼれてきた。
低い息子の声と彼女の大人びた声が響き渡っていた。そこには平和があった。
しかし、息子がユリーのような暴行を受けたら、ぼくは生きる気力を失うだろう、と思った。心配事はコロナだけじゃない。何だって、起こりえる。
それが世界なのだ。

自分流×帝京大学