THE INTERVIEWS

ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」 Posted on 2022/04/11 辻 仁成 作家 パリ

深澤直人さんの名前を最初に知ったのは、無印良品からであった。
深澤さんがデザインをしたとは知らずに彼が携わった様々なデザインにこれまで長きに渡り触れていたことに気付かされ驚かされた。

それは押しつけがましくない、でも、静かな主張と強い信念を持ったデザインたちであった。
彼の作品の多くには、人間が無意識化で、共時的に悟っているようなデザインの原点が横たわっている。
かっこいいとデザイナーが考えて世に氾濫させたこの世界のもしかすると間違えた信号の嘘を見破ろうとするこの人の鋭く厳しい審美眼に私は着目した。

少し前にミラノで行われた深澤直人のインタビューをここに再掲載させていただく。
深澤さんの歩いてきた道のりを辿るのに、この時のインタビューは見逃せないものの一つであろう。



ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」

B&B ITALIA / Shelf X



 今日、アリタリア航空の飛行機に乗ってパリからミラノに入ったんですけど、飛行機の通路側の席に座って、今日は深澤直人さんに会うんだなと思いながら、パッと見上げたらですね、飛行機の機内の壁も、通路も、椅子も、全てが当たり前のことなんですがデザインなんですよ。隣のおじさんはすごいデザインの腕時計をしてましたし、ジュース運んでくる客室乗務員が着ている制服、持っているコップやジュースの瓶に至るまで全てがデザインされているわけです。
つまり、デザインの中に自分がいる事に気が付いたわけです。たぶん、深澤さんに会うからですけど。普段はそんな事考えない。私はその時、デザインに包囲されていたわけです。で、窓の外を見ると、空と雲が広がり、そこは自然の世界。デザインの反対っていうのはたぶん自然なんだろうな、と気が付いたのです。で、真ん中に人間がいて、デザインがあって自然があるのかなってその時思い付いた。何故我々はデザインに包囲されているのか。おそらく、長い人類の歴史と関係があるのでしょう。
デザインというものは何か、どうとらえていけばいいのか、このあたりからゆっくりと話を伺わせていただければと思います。

地球カレッジ



深澤 直人さん(以下、敬称略) デザインというものを考える前に、デザインというもの自体が自分の中で概念化される前ですけど、子供の頃、みんなが言ってることは嘘なんじゃないか? と僕は思っていました。嘘っていうか、その、思ってることと違うことを人はやってるんじゃないか。
だから、その人を見て、あなたの言ってることと、あなたが本当に実行していることは、あなたがやりたいこととか、どうなりたいか、どう思われたいか、そういうことと違うんじゃないか。ということを、常に言葉だけに限らず全てのことに対して感じていた、不協和音っていうか、調子が違うんじゃないの? みたいな。本当のことだけが本当なんじゃないの? と思っていました。子供の頃、そういうのを考えるのがすごい好きだったのです。
だからいろいろなことを言われる度に、あなたの言ってることは嘘なんじゃないの? ということを言ってしまって、すると、すごい生意気なやつ、みたいな感じになっちゃって、ちょっと浮いちゃったりしてました。
たとえば、小学校のクラスがあって、40人の生徒の中にボスがいて、取り巻きがいて、そいつらが決めれば全部決まっちゃうみたいな。でも、どう見ても、論理的に考えてもそんなのおかしい、と。だから、自分だけ、「みんなおかしいと思ってないの?」と口にしてしまう。笑。
それがだんだん美的なこと、なんてダサいんだ、とか。もうちょっとこうすれば綺麗なのに、とか。
破綻してることに対して自分の気付きがあって、すごい自分に波動がきたわけです。
まだデザインなんて概念すらない頃に、むしろデザインとか美術じゃないことに対して。
「人間」に対しての不思議みたいなことに向かうようになっていく。
逆にそれが、中学くらいになって自覚し始め、ああ、自分はちょっとなんか外れてるなと思い始めるんですが、同時に、自分の言ってることこそが正しいのじゃないかなと思うようにもなっていきます。正義感がすごい強くなるというか。政治とか社会的にどうのっていうよりは、デザインに対しての正義感が強かった。
自分の性格なんでしょうが、やりたいものを作るっていう欲望より、なんでこうなの? っていう疑問の方が昔から強かったわけです。

ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」

無印良品 / 電気ケトル



 ああ、なんかよくわかります。おこがましいですが、自分もどこかそういうところありまして、浮いてました。笑。それは、ある種の正義感を背負って、デザインとはこうじゃなきゃならない、こうあるべきだ、と考えていらっしゃった? 


深澤 デザインは人間の生き方そのものなんですよ。人はふつう自分がこんなしょぼい家に住んでますとか、こんなしょぼいインテリアに囲まれていますとか、物質的な観点からネガティブに自分の世界の破綻を見ようとはしないんです。しかし、これって僕からすると、不思議でたまらない。
デザインを知れば知るほど、すればするほど、自分がどうやって生きた方がいいかというようなことを自然に考えるようになる。人間関係とか、働き方や生き方についてもです。しょぼい家や、しょぼいインテリアの破綻した部位が気になるようになる。これがデザイン思考で、デザインは人間の生き方なのです。


 深澤さんの作品にはすごく哲学がありますよね。MUJIにしても±0にしても、生活があるから、そこにデザインが寄り添う。深澤さんのデザインは生活のすぐ真横にありますね。良いものは良い、必要なものは必要、と。


深澤 やっぱり、人が引き寄せられてくるような力を持つものがデザインじゃないかな、と思います。最終的に自分のものを見て、評価する時、このものに対して、人は引き寄せられてくるかな? 言葉で良いっていうのじゃなくて、有無を言わさず、近寄ってくるものなのかな? っていう感覚をつねに最後の基準にしてますね。
だから、ミラノという街のように、僕と同じような意識の人ばかりが集まってくるところがあって、それだけのことをやらせてくれるクライアントがいて、ブランドがあるとやりやすい。
今日も朝ミーティングしてたんですけど、10分くらいで終わっちゃうんですよ。もうこっちのデザイナーらとはツーカーでわかっちゃうから。どうぞやりましょうってことになる。



ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」

B&B ITALIA / PAPILIO SHELL



 説明の必要ない関係っていいですね。


深澤 でも、他の国とか、地域へ行くと、やっぱりそれを正して、真っ当なことを言いながら説明しても全然通らない。結局、正義感に燃えてどうやったらこの人たちの生活を変えられるか、改善するにはこうした方が良いんじゃ無いの? っていうことを、一生懸命伝えないといけない。
でも、生意気になっちゃうんですが、特に日本社会はそうだから、僕は、それをひっそりと、わからないようにデザインの中に取り込んでいく、隠していくわけです。だから僕のデザインは、社会に対する批判精神がものの中に入っちゃってる部分もあるかもしれない。それをたぶん、みなさんに感じ取られているのかもしれない。

ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」

無印良品 / キッチン家電



 人類のデザインとの最初のかかわりですけど、たとえば、水を飲もうとした時に、原始人が木を切って穴を開けてそこに水を入れたら飲めるという「機能」から始まったんでしょうね。
それを使っているうちにだんだん自分たちの生活に合わせてコップみたいなものが生まれてきた。把手を作ったり。
それがやはり、デザインの始まりでしょうか。道具とか機能とか、そういうところからデザインが始まった。


深澤 そうですね。僕がデザインするものは人間の身体の延長というか、道具。未だにそれは変わってない。人間に有用な道具を作るというのがデザインの、僕が考える哲学でして、決して自己主張のための媒体では無いし、何かを語るためのものでもない。ただ有用な道具であるということが大事なんだ。
でもね、それがなかなか難しいんですよ。



 ある種の話題のデザイナーさんたちはそうじゃ無い方に向かわれている方も多いですね。
形にとらわれている・・・。


深澤 エクスプレッションになってますね。自分の表現媒体となってる。


 それはそれでいいとは思うんですけが・・・。


深澤 表現媒体っていうのが、有無を言わさずいいものであれば、その作家がどうであれ、受け入れさえすれば、それは正当なことをしたことになっちゃうんだけど、一番問題は、表現媒体としてやってる人が、とんでもなく社会のバランスを壊しちゃうものを出してきた時に、問題になる。
それは浮いちゃって定着しない。世の中が定着しないものだらけになっていく。

ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」

無印良品 / しゃもじ置き付き炊飯器



 深澤さんのデザインっていうのは、原点に戻っている気がします。人間が道具を発明して、そこに宿った機能から人間の生活に寄り添い始めた頃のものが、深澤直人のデザインのような気もします。生意気なこと言いますけど。回帰されている。


深澤 そうです。後ろに向かって歩いてる。


 流行の外側に佇まれ、人間の生きることの原点をつねに見つめ続けている。僕はそこにこそ共感します。
同時に、深澤直人という人の頭の中とか、哲学的なというか、どういうひらめきをもって、何故そこに向かったのかを知りたい。


深澤 先ほど、自然とデザインが対極にあるっておっしゃったけど、むしろ水の飲み方とか、塩の舐め方とかは必然だと思うんです。たとえば、水を飲むには器が必要で、そして器は人の行為にそってないといけない。水を飲むことというのは人間に備わった機能だし行為だから、自然な水の飲み方とかはすごく美しいと思うんです。そういうところがデザイン。



 水を飲む人の美しいフォルム、そこにデザインがある。


深澤 そのものと対話する時、ものを人間がどうやって握るかとか、どう飲むかとかということが大切。この形は人と物との対話関係に、うまく沿っているなっていうものが多分美しいものであろうと思う。ただよくできた形だなっていうのはもうデザインじゃないと僕は思ってる。


 アートはアートでいいですものね。デザインは、人間の生活の中に、その人が美しくフォルムを持ち込み、利用し、工夫を凝らすっていうことでしょうか。

深澤 僕はモノ派だから、モノに非常に興味があって、そこからデザインのテーマがスタートしているんで、そこに集中していたんですけど、それがもう、いろいろなモノをやってきて、今思うのは、このグラスが(目の前のワイングラスを見つめ)どうやってこの雰囲気を作っているかという方が面白くて、だからもう、モノじゃなくて、この手とモノの間にある空気、もうちょっと言うと、雰囲気みたいな。
雰囲気はいろんなものでできている。そこに入った瞬間とか、そこにいる人とか、あるいはその雰囲気が人間の声を小さくさせたり大きくさせたりもするし、全ての分子みたいなものが、全体の雰囲気、アンビエントを作っている。
アンビエントを作り込むためにはその分子を、キャッチアップしていかなきゃいけないけど、一般には難しい。何故こんないい雰囲気だせるの? とか、何故この人はこういう動きをするの? とか。というのを、僕らデザイナーは知っていなきゃいけない。感じられなければいけない。

ザ・インタヴュー「無印良品の電気ケトルをデザインした深澤直人さんの思考旅」



自分流×帝京大学

posted by 辻 仁成