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退屈日記「あんなに作るの大変だったおせちが元旦で消えた辻家の謎」 Posted on 2021/01/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、スキーのジャンプって、頂上に登るまでが大変だけど、滑ると一瞬で終わる競技だが、おせちも我が家の場合はジャンプ競技並みの滑り降りる速度で消費され、三が日のんびりしようと思っていた父ちゃん、あへ、となった。

退屈日記「あんなに作るの大変だったおせちが元旦で消えた辻家の謎」



で、父ちゃんは家事から解放されて、(大晦日のおせち作りと大掃除で気力と体力を使い果たしてしまったからだが)、自分が食べようと思って愉しみにしていたローストビールとか焼き海老が消えていて悲しくなった。
残ったものはもうこれっぽっちだったので、小皿に並べて、門松を作って楽しんだ父ちゃんであった。
で、正月2日目なのだけど、すでに辻家では日常がスタート、ということになり、これからランニング、買い物、夕飯の準備ということになる。やれやれ。

退屈日記「あんなに作るの大変だったおせちが元旦で消えた辻家の謎」



今朝はおふくろに電話をした。
「あら~、ひとちゃん、あんた、おめでとう」
この四つの文節の中に、母さんの言葉が詰まっている。
あら~、は彼女の喜びを表していて、ひとちゃん、へと続くことで、電話を貰えたことへの感謝を表しつつ、あんた、と強調系にしたあとで、おめでとう、へと続き、親としての威厳から母親としての優しさまでを詰め込んだ、実に母らしい簡潔な2021年度のお言葉であった。
(余談だけど、国民だから昨日はネットで両陛下のお言葉を全部聞かせて頂きましたが、全ての日本や世界の出来事が網羅されており、政府の言葉の少なさと対照的で、逆に政府の足りない言葉を両陛下が埋めてくださったのだな、と思いました)
両陛下のような心の籠ったお話しも、結局は、ぼくの母のような国民、庶民への向けられたお気遣いで、とくに母は励まされたことであろう。
やはり、言葉は大事だな、と思う正月の出来事であった。
「で、仁成、お前は元気かい? そちらの周りの方々も感染されず大丈夫だといいのだが」
と母なりの言葉が続き、ぼくを安心をさせた。
ぼくと弟は母さんに基本、敬語をつかう。もっとも表向きの敬語で中身は辛辣なのだが。竹中直人さんの、笑いながら怒る息子たち、になるのだ。
「変な親子」
と息子は笑う。



で、息子に携帯を手渡した。息子はおばあちゃんっ子なので、携帯を握ると長い。
ぼくには、おはよう、も言わない子だけど、「コロナに罹らないようにね、歩く時は壁に手をついて倒れないように、ちゃんと美味しいものを恒ちゃん(弟)に作ってもらってね。今は、レストランとか行っちゃだめだよ。家でじっとしておいてね」
と、ぼくに決して言わないような温かい言葉を、しかも、ものすごく優しい口調で言うのだ。
幼い頃から夏は福岡のババの家に預けられてきた。
彼にとってぼくの母さんは特別な存在なのである。
でも、息子がぼくの母に優しく接する様子を見ると、この子の本質が分かって、安心もする。やっぱり、家族は大事だね。



長い電話を切る時、別れを惜しむような感じで、電話をぼくに手渡す息子だった。
「恒ちゃんが言ってた。ずっと二人きりで生活をしているので、毎日、喧嘩ばかりだよって」
恒久は独身だ。今年還暦なので、60歳。
物凄くいい子なのだけど、ぼく以上に堅物なので、ずっと独り者である。
でも、そのおかげで、母さんの面倒を彼が見てくれる。
「ぼくが電話している間も、ババが恒ちゃんに、テレビが見えない、どきなさいって、喧嘩売ってた。ぼくと電話しながら、その横で、もめてるんだ。あれは毎日が大変だろうなって思った」
「どっちが?」
「そりゃあ、恒ちゃんだよ。でも、ババは家にいられて、恒ちゃんが一生懸命面倒みてくれているから、幸せだね。夏にぼくが日本にいけるなら、恒ちゃんを休ませて、面倒をみたい」
それは立派だが、まだ無理だな、と思ったけど、ぼくは口にしなかった。
この感染症が収束するまで高齢の母に息子を会わせるわけにはいかない。ワクチン次第だけれど、早くて秋以降、そして、PCRを複数回受けた後ということになる。
「電話をしてあげよう。なんなら、ZOOMで4人で会おう」
「ババはパパが出るテレビは全部見てるって言ってた。パパこそ、もう少し、電話してあげなよ。85歳なんだから」
「100まで生きるから、あと15年は大丈夫だよ」
ぼくらは笑いあった。

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