JINSEI STORIES
滞仏日記「子育てという終わりのない航海における、ぼくの信念について」 Posted on 2020/12/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今年一年、息子にまつわる問題は多々あった。
こうやって日記にしていると、よくもまあ、こう次から次に事件が勃発するものだ、と呆れかえるほどの、2020であった。
年明け、14日に、息子は17歳になる。
つまり、17年間も彼とは父子という繋がりを持ってしまったわけだ。
どうやって、この子を育ててきたのだろう、と今日は一日、振り返った。
というのも、昨日、ご両親が熊本出身の日本人、でも、本人はフランスで生まれたある若い経営者と仕事をし、話す機会があった。
K君は若い頃サッカー少年で、実はプロを目指していた。
プロチームから声がかかるような、相当な腕前であったようだ。
彼の父親は「お前が好きなように生きろ」とプロサッカー選手へ向けて努力する彼を励まし続けていたのだという。しかし、
「でも、母さんが、反対でした。反対どころか大反対」
とK君は言った。
「他人は、他人事なので、やればいいじゃんって言うわよ。でも、私はあなたの母だから、言わせてもらうけど、サッカーで一生生きて行けるの? 50歳で何をしているの?」
「分からないけど、いいところまでは来てる」
K君は主張した。
「でも、物凄く長い人生、よく考えてごらん。それで躓いたら、怪我したら、チャンスが回ってこなかったら、他人は笑うでしょうね。応援しておいて、あなたが失敗したら、いなくなるでしょうよ。でも、私は違う」
ちょっとニュアンスは違うだろうけど、そのようなことを、…。
K君は悩みに悩み、高校時代の中盤、大学進学へシフトを切り、グランゼコール、いわゆる日本でいうところの東大に入学する。
お母さんは見抜いていたのだとぼくは思った。
K君が実は勉強をすればグランゼコールに入れる能力があるということを、だ。
K君は卒業し、トレーダーになりイギリスに渡った。
もちろん、まるでハリウッド映画のように、若くして大成功をおさめる。
30歳になるまでに、多分彼は一生分のお金を稼いだのに違いない。
ところが、30歳を過ぎた頃、彼は自分が本当に好きなものは何か、と考えるようになった。
テレビで自分が憧れたサッカーチームの試合を観ながら、自分の足がうずくのを覚えたことであろう。
追いかけ続けたサッカーのことを思い出す。
でも、年齢的には、もうサッカー選手にはなれない。
母親のサジェスチョンは正しかった。しかし、彼は、これは自分の人生だ、お金も名誉も手に入れたけど、まだ夢を叶えていない、と思うようになる。
ミスターKこと、Kai君である。今日、ご本人に会い、実名許可頂きました。取りあえず、写真を追加で! 笑。
実はK君、サッカーに負けないくらい飲食の仕事への憧れもあった。
特にワインが好きで、いずれ、飲食業界の風雲児になりたい、と思うようになる。
昨日、ぼくがソムリエの杉山明日香氏とワイン講座をやったレストラン、ENYAAの共同経営者がこのK君だ。
そして、うちの息子は同じような境遇のK君をこっそりと慕っている。
考えても見てほしい、この広い欧州だが、両親が日本人で、でも何らかの事情でこの二人はフランスで生まれ、半分日本人、半分フランス人として生きてきた。
ぼくも息子に進学をしろと言い続け、音楽の道を一度諦めさせ、今は大学を目指させている。
「息子さん、元気ですか? また、みんなで会いましょう」
K君からのメッセージを伝えると、嬉しそうな顔をする息子。
彼は外国のような生まれ故郷で、日本人でありながらフランスの文化風習の中で生きているのである。
彼が目指す先に立つK君の存在は大きい。
「辻さん、大丈夫ですよ。彼は絶対、ここフランスで自分の場所を見つけることが出来る。必ず、彼は希望と成功を手にします。いや、その前に、幸せを」
K君の助言は素晴らしかった。
紆余曲折を経験しながら生きてきたからこそ言える言葉だ、とぼくは思った。
実は、ぼくは息子が生まれた時から、「この子はいずれフランス人社会の中で生きることになる。しかし、どのような状況になっても、ぼくはこの子に日本人であることを忘れさせたくないし、日本を教え続けたい」と思ってきた。
こう書くと誤解を招きそうだけど、進歩的じゃないと言われようが構うものではない。
ぼくは幾つかのルールを作ったが一番大切にしたのは、家の中では日本語を使う、であった。日本語の中に脈々と生き続ける丁寧な人間とのかかわり方や生き方というものも大事に教えてきたつもりだ。
(ぼくがフランス人だったら、フランス語の中に同じことを思ったはずだけれど、つまり、言語は大事だとぼくは言いたい)
説明が難しいが、目上の人への言葉遣いなども厳しく教えてきた。
だから、日本から来た年配の方々には、いつも褒められている。
「君はずいぶんとちゃんとした日本語がつかえるのだね。感心したよ」
まさに、フランスで生まれた日本人だから、個人主義を大事するフランス的な人間性と、集団主義の中での個を大事にする日本的なものと両方、持ってしまった。
それが彼の今後にどういう影響を与えることになるのか、何とも言えないけれど、でも、ぼくは親として、彼が誰にも負けないしっかりとしたアイデンティティを持ってやっていける、と思っている。
昨日の日記を出した後、多くの人から「息子をもっと信頼してやって」と言われたけど、ま、言わずもがな、であろう。
ぼくがこうやって日記に書くのは、日本語で記すことで、そこから見えてくる風景をぼくは信じたいと思うからに他ならない。
だから、ぼくは正月、超ジャパニーズなおせちを作るぞ。
世界一小さな家族のために。