JINSEI STORIES
滞仏日記「承前、さらに新たな疑惑が発覚。息子に裏切られた哀れな父ちゃん」 Posted on 2020/12/28 辻 仁成 作家 パリ
ということで、裏切られたパパは怒りをどこにぶつけていいのか分からないまま、日曜日を迎え、今日は地球カレッジがあったから、穏やかならぬ気持ちで配信場所であるパレロワイヤルへと向かった。
昨日の日記で書いた通り、息子はぼくが不在の時に、我が家に仲間たちを招いてチーズフォンデュ・パーティを開いていた。(ディスコ大会じゃなくて良かったけど)
コロナのこの時期に、ぼくに内緒で( ^ω^)・・・。
今日は、ワイン講座を楽しそうにやっていたけれど、頭の片隅には、ずっと息子への怒り(?)、というのか、思いもよらぬ裏切り(?)に対し、どこへ向けていいのかわからないカッチーーーンがくすぶり続けていた。
どうしたものか、という悩みが付きまとっていた。
でも、頭ごなしに怒鳴りつけるのは違う、とも、思っていた。
なぜなら、コロナ禍で青春を奪われた高校生たち、本来なら遊びまわりたい年ごろの、力を持て余した彼らが、親が留守の間に騒いで羽目を外したからといって、自分が感染する可能性が高くなるからといって、頭ごなしに子供たちのエネルギーを押さえつけたくもない。
それで、ずっとそのことを抱えながら、ぼくはオンラインの授業をやった。
楽しい授業だったので、気晴らしにはなったが、時々、息子のことを思うと涙が溢れそうになった。
スタッフや講師の杉山明日香さんらと別れ、家に戻ったぼくは、子供部屋から聞こえてくる息子の声(スカイプでしか語り合えない青春)を暫く玄関で聞き続けた。
12月27日のことである。
あと数日で2020年は終わる。
ぼくにとって後厄だったこの一年は、世界にとってはかなりの厄年となった。
自分だけじゃない。苦しい人たちばかりの時代なのだ。
こんなことは大したことじゃない。こういう時にこそ、親として出来ることをやってやろうじゃないか、と思った。
夕飯の時間、ぼくらは杉山さんのレストランで買ったお弁当をつつきあった。
作る気力がなかったので、ENYAAの幕の内弁当を買って帰った。
息子は育ちざかりなので、1,5倍の量をお願いしていたが、それでも足りない感じがしたので、ぼくの分を少し息子に与え、さらに冷凍の餃子まで焼いて付け足したが、即完食であった。
「ごちそうさま」
彼が言い残し、食器を片付けるために立ち上がったので、ちょっと待て、と呼び止めた。
椅子に座り直した息子に、
「ぼくの知り合いがね」
と切り出した。
「ぼくの知り合いが旅行に出ている間に、そこの息子が、ちょうど君くらいの年齢なんだけど、仲間を呼んで家でパーティをやったんだ」
息子の視線が泳ぎはじめる。やっぱり、…。
「どうして発覚したかというと、仲間のお母さんが告げ口したんだ。でもな、コロナの感染が酷いこの時期に、子供たちの中に無症状の子がいたら、どうなると思う?」
「・・・・」
「付着したウイルスは一日、二日、残る。知らずに帰ってきた親が誰かが使ったタオルで手を拭いたり、コップを触ったりして、感染する可能性がある。もしも、君が誰かに同じような感じで招かれたら、その親の許可をとっているのか、確認しなきゃだめだ。その親が感染をするかもしれないのだから。わかるだろ?」
「・・・・」
息子の視線はテーブルの上でとまったままだった。
「わかった?」
息子は顔を上げ、うん、と言った。
「もしも、パパがここにいない時に君がここに誰かを呼びたいと思ったら、出来れば今は避けて貰いたいけど、こっそり招くならば、手の消毒、マスクは必ずやってもらいたい。食事の時はしょうがないけど、その子たちが帰ったら、気になる箇所は除菌して、食器などは食洗器に入れて回してほしい。綺麗に片付けてほしい。分かった?」
「・・・・」
暫く息子は考えていた。
「うん。そうする」
息子はそう言い残して、席をたった。
理解はしてくれたと思うし、ばれているのかな、と勘づいているだろう。でも、一応、言わせてもらった。
あとは彼が自分で考えることで、それでぼくが感染するなら、仕方がない。あいつだって、生きてるんだから。
釈然とはしなかったけれど、これがぼくに出来た全てであった。
新型コロナウイルスが、世界で暴れて、多くの人が苦しい思いをしている。
このウイルスが出現したことでぼくらは今まで気がつかなかった人間関係のさらに難しい繋がり方を学ぶことになった。
ソーシャルディスタンスなんて言葉は小学生でも普通に使うようになった。
人間の関係、距離、繋がり方に今までにない難しさが加わることになった。
生きにくさが増したのは事実だろう。
コロナがなければ、息子がパーティすることをぼくはためらうことなく、喜んでいたことだろう。
一緒になって、騒いでいたかもしれない。
来年は、子供たちにとって、もう少し生きやすい時代になってほしいものである。