JINSEI STORIES

滞仏日記「速報! 恐ろしいことに、今日、世界は新たな段階に入った」 Posted on 2020/12/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、またしても、大変な世の中になってきた。
でも、そんなことも分からないまま、ぼくは何かに叩き起こされたのである。
それが始まりだった。

朝の7時にLINEにタイタンの小野寺さんから「起きてますか? もうすぐ回線チェック、本番は8時からです」と連絡が入り、真っ暗なので夢かな、と思っていたら、個人事務所のスタッフからもモーニングコール。え? ぬぁに~? あ、今日じゃん!
特番の収録日であった。古いアパルトマの水漏れがなければ、パリに戻っていなかったかも、と考えて、ヒヤッとした。※小野寺さんには、内緒です。

慌てて飛び起きたはいいが、鏡に映った顔は腫れあがっているし、寝ぐせ毛が酷い。
パソコンの前に座ったのが、回線チェック三分過ぎ。昨日の日記で書いた通り、水漏れの仕事場に行く時間もないので、新居の寝室の角に椅子を押し込んで、買ったばかりのカーペットを壁付けのエモンカケに引っ掛け、即席で雰囲気を作った。
というのは大家の友人(ごめんね)に絶対ここの家の映像をSMSなどには出さないで、と硬く硬く釘を刺されていたからだ。
ひゃああああ、寝起きでこれは辛い~。
「辻さん、そちらは今、どのような状況でしょうか?」
池上彰さんのソフトな声が聞こえた瞬間、微笑むぼくの下半身はパジャマであった。
ぎゃふん。



収録を終えて、ぼくはそのままパソコンの背後にあるベッドに倒れ込んだ。
というのは昨日、明け方まで小説の構想を練っていた、つまりほぼ徹夜…。
やっぱ、早朝は辛い。たぶん、一時間も寝ていない、顔はパンパンだし、朦朧としており、頭だって回らない。
実は池上さんに何を喋ったのか、記憶に残っていないという有様だ。



二度寝し、ちゃんと起きたのは夕方であった。夕食の準備をしていると、DSの編集をやっているM氏から、やばいかもね、これ、まじで、と連絡が入った。
慌ててテレビをつけ、各局を斜め見にしていった。
最初のは、オランダがイギリスからの入国制限をする、というようなニュースだった。
理由はイギリスで新型コロナウイルスの変異種が猛威を振るっているという内容…。
感染力が従来型より最大で70%ほど強い、というのだけど、でも、重症化や致死率も70%増しというわけではない、とボリス・ジョンソン首相が説明していた。
なんか、嫌な感じはしたけど、遠い世界での出来事で、明日、パリでどうこうという話しじゃない、と思っていると、哲学者アドリアンから、SNSが入った。
「ツジー、来るべき時が来た。終わりのはじまりだ」
というメッセージ。



「なにが?」
と返したが、返事はない。かわりに、中華系フランス人のパトリックから、
「イギリスにはもう行けなくなった。クリスマスに家族と会う約束だったのにさ」
とメッセージが飛び込み、新種のウイルスのせいでか? と問うと、ウイ…。
「このままじゃ、イギリスはブレグジットと新種コロナのせいで、本当に独りぼっち国になっちまうぞ」
「は?」
いったい何が起こっているのか、真剣に情報を集め始めることになった。
すると、オランダ、ベルギー、イタリアがイギリスからの航空便の入国を禁止、ドイツとフランスも検討に入ったという速報が流れた。 



WHOがその直後に、すでにこの新種がオランダ、デンマーク、オーストラリアなどでも確認された、というニュースが続いた。
さきほど、イタリアからも速報が。英国から入った人を検査したら、新種だったというニュースである。やばい。
「とにかく、感染力が強い。9月くらいにはすでに発見されていたやつだが、ここまで広がるとは誰も思ってなかった。とにかく、感染力が強いんだよ。ただ、強毒というわけじゃないみたいだから、それが安心材料だけど、でも、次々に罹っていく。罹る人間が多ければ、当然致死率もあがる。こうなると、しばらくコントロールは出来ない」
アドリアンからの続報だった。
「ワクチンは効かない?」
「いや、ツジ、ワクチンは効くと思う、と医者の誰だったか忘れたけど、が言ってた」
「それ、あてになるか?」
慌てて、メッセージを打った。
「ツジ、今はすべてがあてにならない。希望だけは持て!」
やれやれ。
ニュースチャンネル、BFMTVに出演している有名なドクターが、こうなると、もう制御できない、と語っていた。それほど感染力が強いということだ。
「じゃあ、フランスにも入ってるだろ?」
とぼくはアドリアンにメッセージを返した。
そしたら、アドリアンは、当たり前だろ、もうとっくにいるよ、と返してきた。
「コロナが中国で猛威を振るってた今年の1月、俺たちは全員、対岸の火事だと相手にもしてなかった。でも、その時すでに世界中にウイルスは拡散していた。イギリスであれだけ騒がれている。ユーロスターでいったい毎日何人がイギリスからフランスに渡って来てると思う? その中に、一人でもいたら、アウトだ」
「一人どころなものか」
「最高のクリスマスプレゼントだな」
「誰からの?」
「悪魔さ」



懸命なドイツは先週、ロックダウンに踏み切っている。この情報をすでに持っていたのかもしれない。
イギリスももちろん分かってるから、ロックダウンに入った。
イタリアも今日からロックダウンに入っている。
どこの国もクリスマスを犠牲にしてまで封じ込めに走っているのは、もしかすると、この新種のウイルスを恐れてのことかもしれない。
「ウイルスに国境は存在しない」
アドリアンからメッセージが届いた。
「いいか、ツジ、世界は今日から新しい段階に入った。人類はさらに厳しい苦難を抱えることになる。それを乗り越えられるかどうか、自分たちの運にかけてみようじゃないか」

滞仏日記「速報! 恐ろしいことに、今日、世界は新たな段階に入った」



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