JINSEI STORIES

退屈日記「朴訥なグルメ、2」 Posted on 2020/12/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、哲学者アドリアンに会うちょっと前(詳しくは朝の日記に譲る)に、松重豊さん似のシェフ、前田シンの奥さん佳代さんから電話があった。
「辻さん、うちのが、あれから悩みまくっていて。でも、妙にやりたいみたいんです。わたし、何度も、あんたには向かないからやめときなって言い続けてるんですけど、でも、わかるんです。言葉に出せないけど、料理を教えてみたいというのが。それで朝から豚ばかり」
前田シンに依頼したのは豚のグリエであった。
「マジすか、朝から豚は、きついなぁ。でも、シン君が家庭で作れる最高フレンチのコツを教えてくれると、きっと生徒さん喜ぶと思うんです」
ぼくがはじめたオンラインスクールで無骨で頑固な料理人前田シンを引っ張り出そうと考えている。佳代さんは、シン君があまりに口下手だから、反対している。



「でも、うちの人はご存じのように普段でも、言葉が足りない人です。取材とかされても、はい、しか言わないんです。務まりません」
「ぼくはそこがいいと思うんだけど。今ね、みんなうざいくらい自分を説明したがる。喋るじゃないですか? それはぼくもだけど、なんかちょっと黙ってろよ、って思う時ないですか? 寡黙で朴訥とした人間が、つまり真面目に料理してきた人間だからこそ、本当に美味しいフレンチを教えられるんじゃないかって、思うんです」
「でも、あの人、ちょっと勘違いしていると思います」
「は? 何が?」



「なんか、星付きレストランのようなゴージャスな料理を教えようとしていて」
もちろん、前田シンの料理は星に値するくらい美味しい。でも、星をとる料理というのはまず、味だけじゃなく、こじゃれているし、盛り付けとかアイデアとかがとっても必要で、そういうものを前田シンに求めたくはないし、彼のそういう料理を食べたくもない。
彼は星とか目指すシェフにはならないで、無骨な侍料理人でいてほしいのだ。ここフランスで…。
「それはよくないですね。だいたい似合わね~」
「ぜんぜん、似合いません」
「だいたい、彼は王道のフレンチを長年やって来た。肉をグリルさせたら、フランス人シェフよりもうまい。そういう口より腕のある前田シンだからこそ、日本人でも、店に人が集まる。フランスの胃袋について誰よりも知っている前田シンから、オーソドックスなフランス料理をみんな習いたいんですよ。違いますか?」
「あの、横にいますから、直接言ってやってください」
と、いきなり、電話口に前田シンが出た。
「ちわっす」
「お、シェフ、聞いてた?」
「・・・はい」



「じゃあ、話が早いね。ぼくは、シン君から豚の美味しい焼き方とか、シンプルなフランスのソースとかね、ガルニチュール(添えもの)のヒントなんかを、習いたい。一度、君が肉を焼く姿をみんなに見せたいんだ。わかる?」
「・・・」
「もしもーし」
「・・・はい」
「だから、最強フレンチのコツを教えて貰えたらいいんだ。それでもいいかな?」
「・・・」
「いいかな? もしもーし?」
「はい」
「返事せーやー!」
あかん。こりゃあ、オンラインスクール暗くなる。
「でも、はい、だけじゃ、ダメだ。多少は料理のことを喋ってもらわないと。喋れるかな?シン君、聞いてるの?」
「・・・・」
「おーい」
「はい、聞いてます」
あかん。



「佳代ちゃん、佳代ちゃーーーん?」
「はい、辻さん、佳代です。ね、こんな無口な人に料理の先生務まりますか?」
「でも、松重豊さん、人気あるよね? あの人も無口で」
「無口は芝居ですから、ぜんぜん、前田シンは本当に無口で暗くて、違いますから」
ぼくらは笑いあった。もうこの時点で、半分、ぼくは諦めかけていた。
「じゃあ、ちょっと考えてみるね。あまり、無理させても仕方ないし。シン君、お元気で」
そう告げると、ぼくは電話を切った。
佳代ちゃんから、数分後、ぼくの携帯に前田シンの写真が届けられた。
おおお、いい感じなんだけどなぁ…。ざんねんだ・・・。

退屈日記「朴訥なグルメ、2」



で、朝の日記に戻るような感じで、ぼくは仕事場に行き、手掛けている小説などと数時間格闘して、再び家路についたのである。
途中でアドリアンに会い、コロナ後の世界について意見交換をした後、新居に戻って、料理をしていると、ワッツアップ(仏版LINE)がチンとなった。いや、シンとなった。
夜の19時過ぎのことである。
覗くと、前田シンからであった。
うわああああ、料理の写真だぁ!

退屈日記「朴訥なグルメ、2」

退屈日記「朴訥なグルメ、2」

退屈日記「朴訥なグルメ、2」



「なんだよ、俺の言ったことわかってんじゃない!」
見事に焼けた豚肉と、ガルニチュールのジャガイモのガレットの写真だった。おお、美味そう!!!!
「これだよ、シン君。これを教えてほしいんだ」
やっぱり前田シンはやる気だった。
ま、言葉がちょっと少ない分、ってか、ない分、ぼくが頑張ればいいし、最悪、ぼくも厨房に立って、一緒にフライパンをふればいいんだ、と思った。やれやれ。

【12/20 追加】
ついに、決定しました!笑
前田真×辻仁成「家庭で作る最強フレンチ」

この授業に参加されたいみなさまはこちらから、どうぞ

チケットのご購入はこちらから

*定員になり次第、締め切らせていただきます。
 

自分流×帝京大学
地球カレッジ