JINSEI STORIES

退屈日記「怪しいメンインブラックな二人組に取り囲まれ、授業の依頼をされて焦った」 Posted on 2020/12/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、少し前のことになるが、ベルサイユ宮殿オンラインツアーが終わって、スタッフさんたちと宮殿を出ようとしていると、風貌の超怪しいメンインブラックな男たち、またはブルースブラザーズ風のボルサリーノ帽に黒ネクタイ二人組に、宮殿広場のど真ん中で取り囲まれてしまった。
青空広がるさわやかな午後だったが、広大な敷地の奥から、ぼくを目指してまっすぐに横断してきた妙に背筋の伸びた黒服の怪しい二人組アジア人に行く手をふさがれ、しかも日本語で「ずっと追いかけてました」と言われたものだから、びっくり。
「追いかけてきた? あんたら、何者?」
生配信だったので時間も決まっており、急襲されたのは、間違いない。
もしかすると日本の週刊誌の記者さんで、昔話をほじくり返しに来られたのか、こんな場所までご苦労様、と思って身構えたところ、
「申し遅れました」とメンインの片割れが言った。
「私どもパリの日本人学校の先生をやっております」ともう一人のメンインが言った。
なんで、黒いお揃いの背広を着て、同じような細いタイを閉めてやって来る必要があるのか謎だったが、「直接お会いして、特別授業の依頼をしたかった」と言った。
メールで済む話しじゃないですか、と言ったらメンインブラック先生たちは苦笑いしていた。ま、いいか。
それが、日仏文化学院パリ日本人学校とのご縁のはじまりとなる。

退屈日記「怪しいメンインブラックな二人組に取り囲まれ、授業の依頼をされて焦った」



今年の欧州は繰り返すロックダウンのせいで、いまあ、ロックダウン中なので、かなりの閉塞感にある。子供たちの自殺も増えている。
昨日、息子が、人生をここまで捻じ曲げられたら死にたいと思う子が出ても不思議じゃないんだよ、とブツブツ言っていたので、心配になった。
欧州にいる日本の子供たちはいったいどんな気持ちで日々を送っているのだろう、とここのところずっと考えている。
自分の息子のことばかり心配していたけど、日本にも帰れず、異国で大変な思いをしている幼い日本の学生たちのことが気になった。
そこで、メンインブラックの依頼をぼくは引き受けることにした。
そこでぼくはこの活動に「一人海外学校応援プロジェクト」と名称付けてみた。なんでも、プロジェクトにするのが好きなのだ。えへへ。
プロジェクトを立ち上げると、もう、やめます、といって逃げられない感じがいい。この屈折具合が辻仁成なのである。
そして、二人組に囲まれたあの日からずっと考えるようになった。
宮殿の広場をぼくに向かって歩いてきた黒服の先生たち、今思うと、彼らは神の使いかもしれない。
これは「20年近く海外で生きてきたぼくの使命じゃないか」とさえ考えるようになっていた。



実は、ぼくはここ数年、日本の子供食堂の取材というか、様子を見続けている。
無国籍児童を主人公に書いた小説「真夜中の子供」の取材中に知った福岡の子供食堂の存在に心動かされた。実際に訪ねてみた。
経済大国だと思っていた日本の子供たち7人に1人が貧困で満足にごはんを食べることが出来ない、という衝撃的なニュースをその頃に読んだ。
友人でもあるdancyu編集部の植野編集長に「ぼくらでご飯を作りにいきませんか」と誘ったら、おお、素晴らしい、と快諾を頂いた。
現在、植野氏がそのプランを練っているが、ぼくらは自分たちで食材を調達し、ぼくが日本に戻るタイミングで、時間をやりくりし、どこか市町村の子供食堂に出向き、二人で料理を作りふるまう…。
それだけのプロジェクトなのだけど、喜ぶ子供たちの顔が浮かぶ。
「美味しい、美味しい」という彼らの声が聞こえる気もする。
ぼくは自分の息子だけじゃなく、子供たちに、本当に美味しいごはんを食べて貰い、頑張って生きたら、働いたら、自力で美味しいものが食べられるようになるんだ、と教えてあげたいのだ。
だって、いつもいつもぼくがそこに出向き、料理をしてあげられないから、大人になれば美味しいものが食べられるという希望を、伝えたいのだ。
ぼくは個人だし、金持ちじゃないから、大したことは出来ない。
でも、日本に帰るたびに、植野さんや有志たちと力を合わせ、頑張ってる民間の子供食堂に、シェフサンタみたいな感じで出かけていったらいいじゃないか、と思ったのだ。
これも、今、少しずつ形になりつつある。
ぼくにとっては大好きな子供たちに笑顔を取り戻すささやかな活動になれば、と思っている。そこに出現したのが、メンインブラックの二人組だった。
そこで、海外にいるぼくはまず「一人学校応援」プロジェクトもやらなきゃ、ということになり、先日、先生たちとZOOM会議をしたのである。

退屈日記「怪しいメンインブラックな二人組に取り囲まれ、授業の依頼をされて焦った」



日仏文化学院パリ日本人学校は一応、文科省が支援している学校だそうで、先生たちが14人いる。
生徒は小学部が165人、中学部が30人ほどだそうだ。今回、ぼくがZOOM授業をやるのは中学部になる。
「海外にいて、発信する力を教えてもらいたい」
とメンインの片割れ、水野先生が言った。
「人の心を動かすような日本語の文章の書き方などもお願いします」
とメンインの片割れ、後藤先生が言った。
横に、恰幅のいい年配の校長先生がいて、
「冷静と情熱のあいだ、愛読しておりました」
と言って、ぼくを驚かせた。
ぼくよりずっと年長の方だと思っていたら、なんと同い年だったので、二度驚いた!(先生、ごめんなさい。風格と貫禄があるという意味です!)

とにかく、急遽、12月14日、非公開ではあるけれど、三つの教室に分かれた子供らに向けてぼくはZOOM授業をする。
「一人学校応援プロジェクト」第一弾と呼ぼう。
でも、この活動は20年近くフランスで暮らしたぼくが、海外赴任されている日本の家庭のお子さんたちに、日本語や海外でたくましく生き、海外と日本を繋ぐ意識を持って頑張ることの意味を伝えられる場所としては、素晴らしい。
このようなお話がいくつか来ていたので、時間と相談をし、少しずつやっていきたい。
ぼくの中で、「日本子供食堂応援プロジェクト」と「海外日本人学校応援プロジェクト」は還暦を過ぎた自分の、そして、子育てが終わりつつある自分の次の大切な役割の一つなのかな、と思っている。
大上段に構えてはやれないけれど、時間の許す限り、応援できる範囲で、お金は差し上げられないけれど(笑)、その分、頭と体力はまだまだ活用できあるから、がんばるぞ、と思っている。
もちろん、14日の授業は詳細を滞仏日記で、ご報告させてもらいたい。
世界は広い、思わぬところで、日本人が頑張っている。
がんばれ、日本!

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