JINSEI STORIES

滞仏日記「昔のHDの中に、たくさんつまった辻家の思い出、発見」 Posted on 2020/11/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、運動をしはじめたせいか、身体はちょっと痛いけど、体調がよくなり、体調がよくなったせいで、精神的にも安定し、家事(掃除、洗濯)なども頑張ることが出来るところまで、おかげさまで、なんとか回復をした。
午前中はマルシェまで歩いて(20分くらい)買い物に行き、魚好きな息子のためにサーモンと鮪と鱸を買った。
マルシェ脇の馴染みのカフェに立ち寄り、もちろんカフェは営業出来ないのだけど、持ち帰り用のカフェオレを買って、マロニエの木の下のベンチで飲んだ。
昔のアパルトマンの下の階のアノタンさんとばったり出くわした。
「おやおや、珍しい人がいるぞ。いやぁ、元気かい?」
「はい、ムッシュ・アノタン、お元気ですか?」
思わず、立ち話をしてしまった。そこで新事実が明らかに。
「君の家の上の階に、マクロン大統領夫妻が住んでいたんだよ、君が暮らしていた時期と一時期だけど重なっていた。彼が大統領になるだなんてね、驚きだね。知らなかったでしょ?」
まじ? 知らなかったぁ~~~。これにはびっくり!
ぼくらは昔話をして別れた。
このマルシェ周辺でぼくはずっと暮らしていた。

滞仏日記「昔のHDの中に、たくさんつまった辻家の思い出、発見」



そういえば、ぼくは身体があまり強くない。昔はよく倒れていた。
貧血になり、一瞬、気を失う。
なんか、こう書くと少女漫画のヒロインのようだけど、立ち上がると貧血になり、確かに少女漫画のように、気を失って、すとんと倒れたりすることが、よくあった。
小説を書きあげた勢いで日本に戻り、疲れて、ホテルで倒れ、顔から床を直撃して、15針くらい縫ったことがあった。
倒れる瞬間に、頭の中が真っ白になるのだ。自分が倒れると気がつくのだけど、手遅れ。
唇がかまぼこ切ったみたいになった。
翌日がレッドカーペットを歩く日だった。
東京国際映画祭のコンペに監督作「アカシア」が選ばれていたのである。(主演、アントニオ猪木さん。好きな作品です)
これは、やばい、と鏡の中の自分を見て思った。
六本木ヒルズクリニックの先生に「なんとかカーペットを歩きたい」とお願いし、縫って貰った。
黒い糸で唇を閉じ、レッドカーペットを歩いた。
先生には、重症なんだけどねぇ、と怒られながら…。
その時のメイクさんが、黒い色に肌色のファンデを縫ってくれたので、多分、誰も気づかなかった、と思うけど…。



その三か月後、どうやら細かい静脈が切れていたようで、手がしびれだし、硬膜下血腫と診断され、頭から血を抜く、手術もした。
息子と二人きりになってからは、幸いなことに一度も倒れていない。
少女漫画のヒロインが出来る年齢じゃなくなったからかなぁ、もう無理をしちゃいけない、と思って休み休み生きている。
ちょっと前に、フランスの銀行に田舎の家をローン組んで買いたい、となんとなく申し込んだら、辻さん、頭の手術しませんでしたっけ、となんとなく断られてしまった。
あちゃ~、余計なこと書かなきゃよかった、と思ったが後の祭り。
じゃあ、いいよ、ヒット作書いて現金で買うぞ、という新しい夢が出来たから。ポジティブ、ポジティブ。笑。半分冗談である。
日記などで、あまり本当のことを書き過ぎるのもよくないので、こういう話しは、半分だけ信じて貰いたい。
しかし、作家って、結構、本当のことを書きたがる。
セクシー女優さんが撮影現場で脱ぐのとあまり変わらない。ぼくはセクシー作家になりたいのか、笑。←今、分かった!
ぼくの場合、私小作家だから、日記は毎回、スタッフさんらがぼくが勢い書き過ぎた箇所を削除している。これは、本当。えへへ。

滞仏日記「昔のHDの中に、たくさんつまった辻家の思い出、発見」



マクロンさんの話しで元気になり、マルシェの帰りに仕事場に立ち寄り、大掃除をやることにした。笑。
狭い仕事場に、山積みの書籍、ギターが数本、アンプが数台、それから映画の撮影機材一式、と足の踏み場もない。
楽器の手入れなどをしていたら、古いパソコンやHDが出てきた。
パソコンの方はもう暗証番号がわからないので開けなかったけれど、HDの方は新しいパソコンにさしたら生きていた! 笑。
当たり前なのだけど、動いたので、おっかなびっくり覗いてみたら、渡仏した頃から一昨年くらいまでの全データが入っていた。
離婚をした直後にある程度は整理したつもりだったが、いろいろと懐かしい写真が出てきた。
ぼくが手術をして入院していた頃の写真もあったし、日常生活の痕跡が残っていた。
人に歴史ありというけれど、いろいろと考え込んでしまった。
ただ、圧倒的に息子の写真ばかりが保管されていた。
よく笑っていた。ほとんどの写真が笑顔だった。
こんな顔で笑っていたんだ昔は、と思った。



実は、3年くらい前に、不意に、息子がこんなことを言いだしたことがあった。
「なんかね、パパのファンの人って、ぼくのことをいつまでもちっちゃな子供みたいに思ってるでしょ?」
「なんで?」
「この間、パパのツイッターのコメント読んだら、みんな、ぼくのこと子供のままだと思ってるようなコメ書いてた。ぼくはちょっとムッとしたんだよ」
「読めたの?」
「翻訳機にかけて」
「あちゃー」
「あちゃーじゃないよ」
「あのさ、ここだけの話しだけど、みんな、お前の親戚のおばさん、おじさんみたいな(※ごめんなさい)気持ちで見守ってきたから、つい、そういう書き方になるんだよ。だって、パパがインスタとかツイッターで日々を書いてきたからね。でもね、逆にさ、日本中に親戚がいるんだって思うと、君も、寂しくないだろ?」
息子が一瞬、怖い顔になったけど、そのあと、肩を竦めてから、笑い出した。
「昔、書かれるの嫌だったんだよ」
「マジ?」
しーんとなった。
「だから、パパがお弁当の写真あげてるの、嫌な時もあった」
「あちゃー」
「残さず食べないと悪い子みたいな気になって、頑張って食べてた」
「あちゃー」
「でもね」
「でも?」
「でも、どこかの人が、たくさんの人が、パパを応援するメッセージ書いてた。倒れないように気を付けてください、倒れる時は頭を抱えて倒れてくださいって、のがあった。その時、ぼく、泣いちゃったんだよ」
「・・・・」
「パパってさ、昔、よく倒れてたから、ぼく心配だった」
HDの中の息子の写真を見ていたら、その時の会話を思い出した。
もう、パパは大丈夫、けっこう、逞しくなったのだから…。

で、よく倒れていた頃の写真です、笑。

滞仏日記「昔のHDの中に、たくさんつまった辻家の思い出、発見」

自分流×帝京大学

滞仏日記「昔のHDの中に、たくさんつまった辻家の思い出、発見」

地球カレッジ