JINSEI STORIES
滞仏日記「増えるコロナ離婚、子供たちに笑顔を届けたい」 Posted on 2020/11/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ニコラとマノンのお母さんに電話をし、「日本のお土産を二人に届けたい」と伝えたら喜んでくれた。
お父さんとお母さんは離婚が決定し、別居しているようで、子供たちは双方の家を行ったり来たりしているらしい。
健気に生きるこの姉弟をほっておくことは出来ない。
ぼくはぼくにできることをしてあげたい。
ロックダウン中なので家に立ち寄ることは出来ないけれど、お土産と手作り弁当を手渡すことくらいは許されるだろう。
外出許可証には「家族や子供たちのための行動」という欄があるので、そこに印をつけて外出した。
そうだ、それに誰かに壊された車のミラーも直さないとならない。
いろいろとあったので、意地でも、車の販売会社で直すのだけはごめんだった。
そこでモロッコ系フランス人のUさんに頼んで彼の仲間の工場で修理してもらうことにした。
Uさんが「ツジ、任せとけ」と言うので、とりあえず車を古いアパルトマンの前で彼に引き渡すことになる。
「正規ディーラーじゃなくても元通りに直せるの?」
「ツジ、任せとけ」
この人は任せとけしか言わないけど、今まで一度も裏切られたことがない。
Uさんの名前は書けない。なぜなら、彼は特殊な政府関係の仕事をしている。
テロ事件が頻発するフランスだが人口の十分の一はアラブ人で、日本人が考えるよりも、アラブ社会はフランスの中に浸透している。
そして、過激派によるテロのせいで何か嫌なイメージが付けられたが、アラブ人は本当に優しく、情の深い人たちで、ぼくは一度も不快な思いをしたことがないばかりか、いつだって、親身になって助けてもらっている。
「ツジ、任せとけ。何も心配するな。俺が乗り込む」
ぼくの車が動かなくなり、販売会社と揉めたのは先の日記に譲るとして、Uさんは仕事の合間に販売会社まで乗り込み、ぼくに変わって抗議してくれた。
「ツジ、任せとけ」
結果、ダメなことも多いのだけど、任せとけ、と力強く言ってくれるだけでも、心が楽になる。ぼくも友人を大切にしたい。恩を忘れない日本人でありたい。
ちなみに、インド系、アフリカ系、東欧系、ポルトガル系、ロシア系、ユダヤ系、メキシコ系、北欧系、トルコ系、アゼルバイジャン系、パキスタン系、バスク系、中東系、イタリア系、スペイン系、ポルトガル系など、ぼくの友人のオリジンは幅広い。
フランスはそれだけ様々な民族で構成された国家ということになる。
サルコジ元大統領のようにルーツをたどれば外国人という人も多い。
地続きの国、フランスだから、そのルーツもかなり複雑なのである。
だから、全部を一緒くたにフランスと決めつけられないし、全部ひっくるめてフランスだったりもする。
この日記でよく登場するアドリアンはじつはアドリアーノが本名で、オリジンはイタリア人だということが最近判明した。びっくり。
Uさんの子供のサラちゃん(5歳)にキティちゃんのスプーンセット、お兄ちゃんのアクセル君(7歳)にはワンピースの文房具をあげた。
この子たちがまたとっても可愛い。素直に育っている。
でも、テロ事件以降、学校で嫌な思いをすることもあるようで、プライドの高いUさん、子供たちに「くやしいと思う時は頑張って成功して見返せ」と教えているのだとか。
Uさんに車を託した後、ぼくは古いアパルトマンに立ち寄り、部屋の片づけをした。
するとポストに上の階のレオノールちゃんとローズアデルちゃんからお土産のお礼の手紙(絵だね)が入っていた。
前回、ここに立ち寄った時に、お土産袋をドアにぶら下げて帰ったのだった。
大きな封筒からこの絵が出てきた瞬間、ぼくは思わず「わーーーーーーーーーーーーーーーー」と大きな声が飛び出してしまった。
二人には日本のお菓子セットの詰め合わせ、ポッキーとか筍の里とかコロンとか、いわゆるコンビニで買ったザ・日本のお菓子をギフト詰めにして渡した。
下の階のフィリピンちゃんは大学生だったから可愛いお礼のお手紙だったけれど、上の子たちはまだ小学生だから絵手紙でのお礼だった。
中央に大きく日本語で「ありがとうございます」と書かれてあって、ううう、泣けた。
頑張って調べて書いたんだろう。
富士山の向こうから太陽が昇っているし、多分、日の丸の横に立つのは侍だろう、白いハチマキまでしていて、クスっ。
その左にいる女性はもうすぐ三つ指を突きそうな正座の姿勢、これ、日本女性のイメージ?
フランスの子供たちにとって日本って、きっとこういうイメージなのだ。
上にMANGAと書かれてあり、日本への思いが伝わってくる。
左上の電話機みたいなの、もしかして、これは握り寿司?
その上のは巻きずし? じゃあ、横のは味噌汁かなぁ?
でも、凄い。よく日本を掴んでいる。
一番笑えたのはピンク色の鯉。シャチホコなのか、なぜ、鯉なのかわからないけど、和んだ。次回は日本の図鑑をプレゼントしてあげたい。
日本から戻ってくるたび、ぼくは近所の子供たちにお菓子やおもちゃを配っている。コロナだし、テロもあるし、みんなに笑顔を届けたいからだ。
さて、ニコラとマノンのアパルトマンの下から、お母さんに電話をしたら、窓からニコラとマノンが顔を出して手を振ってくれた。
わお、大きくなってる!
まもなく、家族三人が降りてきた。みんなマスクをしている。
お父さんがいなくなったのは残念だけど、フランスでは法律の定めによって、子供たちは親の家を行き来しないとならない。
今週末、二人は近くに部屋を借りたお父さんの家に行くのだ、とか…。
「ニコラ、元気?」
「うい。ムッシュ・ドロール(愉快なおじさん)は? 日本、どうだったの?」
「日本ね、二週間隔離があったから、大変だったよ。でも、フランスよりは感染者が少ないんだ」
「ぼく、コロナ嫌いだ。友だちと遊べないし、パパはどっか行っちゃったし」
思わず、ニコラのお母さんと目が合ってしまった。マノンがニコラをぎゅっと後ろから抱き寄せた。
「ニコラ、でも、ずっとお父さんとお母さんは変わらずお父さんとお母さんだから。それに、ムッシュ・ドロールもいるぜ」
ニコラがクスっと笑った。
後ろに立つ、マノンがすっかりお姉ちゃんになってる。うちの息子と同じくらいの身長だ。
この子がいればニコラも寂しくはないだろう。姉と弟、愛らしい関係である。
「これ、お弁当。おにぎりと日本の焼肉、前に食べて美味しいって君がいったやつ、作ってきたから、三人で仲良く食べてね」
わーお、とニコラが喜んだ。よかった。
ぼくは子供が大好きだ。うちの子はもう青年になってしまったけど、でも、ニコラを見ると、思い出す。こんな時もあったなって…。
小さな子たちが苦しくない世界であってほしい、といつもぼくは願っている。
テロやコロナが子供たちにどのような影響を与えているのか、考えると胸が痛む。
外を走り回ることも出来ないし、マスクを付けないとならないし、友だちたちや先生ともソーシャルディスタンスをとらないとならない。
一番きついのは子供たちだ。
そのことを思えば、大人であるぼくたちは弱音をはけない。
まずは子供たちのために頑張るしかないのだ。