JINSEI STORIES
滞仏日記「息子と膝を付け合わせて語り合った夜、また泣けた」 Posted on 2020/11/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、またまた、対決の時がきた。
長年の夢であった電子の私塾「地球カレッジ」が無事船出したので、ようやくぼくは進路に関して息子と向き合う精神的な余裕が出来た。
これまではいつも、夕食時にあいつの頑固な性格を気づかないながらの短いやり取りしか出来ず、ある意味、この問題に関して、消化不良が続いていた。
一昨日、わざわざ、子供部屋に行き、土曜日の大事な仕事が終わった後に少し話がしたい、と通達した。
そのもったいぶった言い方が息子に心理的揺さぶりをかけたのは間違いなかった。
息子の動揺が手に取るように伝わってきた。
そして、今日、ぼくは大事な仕事の後、お茶を淹れて(お茶菓子もつけて)、息子の部屋をノックしたのだ。
お盆に載せたお茶は、父の強い決意を演出する小道具でもあった。
「約束通り、話しに来た」
「あ、うん」
ヘッドフォンを外して、息子が立ち上がった。
ぼくは椅子に座り、息子はベッドに腰かけた。お茶は床に置いた。
「まあ、せっかく淹れたから飲めよ」
とすすめた。
二人でぎこちなく茶をすすった。
いつもより息子はしおらしかった。
ある種の覚悟が出来ているのが伝わってくる。
こうやって、前もって、話したいことがある、と伝えるやり方は効果がある。
お茶をお盆に置いてから、進路の話しだよ、と切り出した。
「パパがこうやってお前と真剣に向き合うのは特別なことだって、わかるだろ? でも、これはとっても大事なことだ。なぜなら君がこれからフランスで生きて行く上で今が最も大事な時期だからだ。まず、腹を割って話す必要がある」
息子はお茶を飲んで、冷静に聞いている。
収束の見えないコロナ禍による不景気なこの世界で日本人である息子がフランス社会で家族を持って生きて行くのが、どんなに大変かについて、まずぼくは説得した。
その上で、フランス人ミュージシャンたちの生活がいかに大変かも具体例なども交えて、伝えた。
弁護士を目指し、ゆるぎない資格をとるのが間違えのない選択だと伝えた。
その上で音楽は才能があるのだから、やめる必要はないし、趣味で続ければいい、ともう一度、念を押しておいた。
すると息子は、分かってるよ、そうするつもりだ、と珍しく素直に言ったので、拍子抜けした。
お茶セット作戦が功を奏したのかもしれない、と早合点した。
息子の気持ちはずっと揺れ動いている。
弁護士を目指すと言ったり、音楽のエンジニアになりたいと言い出したり、算数や物理を選択しないと決めたり、かと思えば再び弁護士を目指すと言ってみたり…。
でも、本当は何したいのか、が大事で、たとえぼくを踏みつけてでもやりたいことがあるなら、最終的に、反対はしないつもりだった。
でも、はっきりした信念なりビジョンがまだ無いのだから、堅実な未来を押し付けるのは間違いではない、と確信した。
ぼくが説得しているあいだ、息子は床を見つめてひたすら黙っていた。
どう思う? と促すと、顔をあげ、
「うん、実は一昨日、担任に呼び出されて話しをしたんだ」
と驚くべきことを口にした。
「フランソワーズ先生に? なんて?」
息子は言葉を選んで、自分が選択した科目、自分が日本人であること、だからこそこの国でキャリアを持つことの大切さなど、ぼくからの意見を含め、全て洗いざらい先生に話しをした、と語った。
もちろん、息子の音楽活動については先生もよく知っている。彼は学園祭のスターだからだ。そういう全ての問題点を秤の上に載せた上で話し合ったという。
「で、先生はなんて言ったんだ?」
「先生はパパの不安もよくわかると言った」
「で?」
「先生は法学の大学へ行く力はある、と言った。でも、音楽に打ち込むぼくのモチベーションがどれだけ高いかも彼女は知っているので、それを捨てるのは勿体ない、とも言った」
ぼくは、ちょっと、がっかりした。
だから、それ以上、聞きたくないので、そうかもしれないけどさ、と一度話を遮った。
担任はどうやらぼくの考えとは異なる意見を持っているようだ。
なんでだろう? 失望した。
「そうか、鬼フラと言われるフランソワーズらしくない考え方だね」
そう告げたが、ぼくは冷静にならないとならなかった。すると息子が、
「実はね、仲間たちにも相談したんだ」
と言った。
「パパの知らない連中、そういう道に進んだ先輩とかミュージシャン仲間、それから学校には進路指導の先生もいて、もちろんその先生とか、リサやロベルト、アレクサンドルにも相談をした。でも、一番大事な助言者は、すでにプロでやってる仲間だった」
「なんて?」
「その中の一人、ミュージシャンのジョーは、パパの言ってることが一番愛があるぞって、言ったよ」
ぼくは驚き、そして安堵した。
彼の仲間のミュージシャンたちはヒップホップやビートボクスのセミプロで、ある意味、フランスの次の世代を担うような子ちだった。
彼らは絶対、ぼくを悪者にするだろうと思っていたので、愛、という響きは意外だった。
「フランスは今、音楽で生きて行けるような状況じゃない。だから、弁護士を目指して、高い給料をもらった方がお前のためだ、とジョーに言われた」
「そうか、いい先輩だね。で、君はどうするの?」
「ぼくも納得できたから、法律の大学に進むつもりでいる」
ぼくは心の中でガッツポーズをした。
すると、息子が俯いたまま、こう付け足したのだ。
「でも、一つ言いたいことがある。ちゃんと聞いてもらいたいことがある」
「もちろんだ、言えよ」
「パパ、担任も言った。君は真剣にやればいい法律大学には入れるだろうって。ぼくもそこを目指すよ。それで家族を養えるなら、それしか選択肢がないのだから、それを目指すよ。でも、一言だけ言いたい。ぼくは法律の仕事につくモチベーションがないんだ」
たしか、そのことは前にも訊いた。
そこで、ぼくは
「いいか、会社員になる人のほとんどは最初からモチベーションのある人ばかりじゃない。家族を養うためや、給料が必要だったり、生活面が理由だったり、いろいろとあって、生きて行くためにいい学校に進む人も多い。モチベーションは後からついてくることもあるんだよ」
と言った。
「わかるよ。待って。もう一つある」
「なに?」
「ぼくは何度も言うけど、ミュージシャンになりたいわけじゃないんだ。音響工学の学校に進んでエンジニアを目指したかった。もちろん、音楽で食べられればいいけど、ぼくは裏方が好きだから、音響工学の大学に進みたかった。そして、映画やテレビ、或いはコンサート会場で仕事がしたかった。なぜだと思う?」
「…」
「聞いてほしいことがある。ぼくはパパと二人きりで暮らしだしてから、パパの仕事場にいつもいるようになった。ある日は映画の撮影現場だった。ある日は日本やフランスのコンサート会場だった。そして、パパの紹介でぼくは日本文化会館のコンサートホールでスタージュとして一時期働くこともできた。小さい頃からぼくはパパの仕事を見て、気づいたら、同じような世界で働いてみたいと思うようになっていた。自分もそういう仕事をしたかった。でも、負けず嫌いだからぼくはパパから音楽を習ったことがない。全部独学でやった。この音響の技術は全部自分で学んだものだ。その過程の中で、自分はやはり音響の仕事が好きだと気がついた。パパの背中を見てきたから、ぼくもその世界に進みたいと本気で思った。ぼくは大人しいし、地味だから、表舞台には向かない。でも、音楽が好きだ。音響大学に進むモチベーションはあるんだ。法律大学に進むモチベーションは残念なことにないんだ。でも、ぼくにキャリアがないとこの国では生きていけないというパパの心配は愛なんだと思う。だから、子供としてそれをやるのがいいのかな、と思って、揺れたけど、そうしなきゃ、と半分諦めながら思ってもいる。たしかに、法律の仕事を始めたらそれが天職だと思うようになるかもしれない。でも、ぼくは揺れている。それだけはわかってほしい」
正直、ぼくは心の中でまたしても泣いていた。もちろん、子供の前では泣かないけど、この子がはじめて、ぼくの仕事の影響を認めた瞬間でもあったからだ。
ぼくは自分の足元へ視線を落とし、
「ちょっと、一日、考えようか」
と呟いていた。
この子の幸せを考える時、何がベストかわからなくなってしまった。
「そういうことなら、パパも考える。友だちの大学の先生とか映画監督とかプロの音楽仲間とかに、相談してみたい。明日、また、この時間にここで話をしよう。いいな?」
「…分かった」
ぼくが立ち上がると、息子も立ち上がった。
ぼくらの話し合いはとりあえず、終わった。