JINSEI STORIES
滞仏日記「父ちゃんが息子に伝授する。おしっこをこぼさない方法」 Posted on 2020/11/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子は家にいる。
朝、顔をあわせるなり逃げたので、「パパはうるさい」と思ってるに違いない。
何か言われるのがいやだから、こそこそ逃げ回っているのであろう。
かっちーーん。
まぁ、確かにぼくはうるさい親だと思う。
生活態度などいちいち細かくチェックするので、なるべく顔を合わせたくない気持ちもわかる。
ぼくも、子供の頃、父親から逃げ回っていた。
父の気配を感じたら、ソファの裏側とかに隠れたりしていた。それと一緒である。
やれやれ。
5か所の水漏れのせいで今は仮住まいだからか、本腰を入れて掃除をしようという気にもならず、結構、家の中が荒れ果てている。
ZOOM会議などがある時に慌てて掃除をしているが、やらなければならない仕事も多いし、何より料理をしないとならず、とてもじゃないが掃除まで気が回らない。
どのくらい手抜きかというと床拭き、窓ふきは諦め、二日置きくらいにちょっと掃除機をかける程度で誤魔化している。
で、問題はトイレなのだ。
これ、世の主婦の皆さんに問うてみたい。
「お宅のご主人や息子さんたちはきちんと標的におしっこを命中させることが出来ていますか?」
うちの子は何度言っても出来ない。
何度言ってもきかないので、頭に来る。
「一歩前に出ておしっこしましょう」と張り紙をしたこともあるがダメだった。
実は、トイレ掃除をやればわかることだが、このおしっこの飛沫(しぶき)は結構広範囲に飛散している。
便座の縁にあたって、目に見えない飛沫が、それは恐ろしいほどに飛んでいるのだ。
ぼくは床に這い蹲って拭き掃除をするのだけど、これがマジ汚い。
床だけじゃない。トイレの周囲の壁もほっとくとやばい。
今朝、トイレに行き、用を足そうとしたら、床に垂れた液体を2滴発見!!!
毎回、注意しているとうのに、この体たらく。
カッチーーーンの父ちゃんは子供部屋に飛んでいき、「おしっこ~!」と叫んだ。
ヘッドフォンをかぶり身体を揺さぶって音楽に没頭している息子は気づかない。
頭にきたので、ヘッドフォンの線を引き抜いてやった。それでも身体を揺さぶっている。
あほか!
暫くして、
「あれ、なに?」
と振り返った。
「なに、じゃないだろ。トイレ、また零れとったい。何度言ったらわかるとかぁぁぁ?」
「え? ちゃんとやってるよ」
「やってないだろ。見てみろよ」
ということで、ぶーたれる息子をトイレに連行し、現場を見せた。
「これ! これ、これ、これはなに?」
「パパ、これ、ぼくじゃない」
「ぼくじゃないわけないだろ。パパとお前しかいないのに。朝方、寝ぼけておしっこしたんじゃないのか。その時にこぼしたんだよ、これ!」
「・・・・」
「お前、うるさいな、って今、思ったろ。顔に書いてる」
「・・・・」
「パパ、うざいって思ってるだろ」
「思ってるよ」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
出た。久々のカチン。
「いったい、これを毎回、誰が拭いてるのか、知ってるのか? 天下の父ちゃんがここに這い蹲ってだな、毎回、せっせとお前のこぼしっこを拭いてるんだよ。いいか、よく見てろ」
ぼくはそう言って、トイレットペーパーをぐるぐると巻き取ってから、這い蹲り、息子の目の前で床を拭いてやった。
それから周囲の壁も拭いて、その汚れたティッシュを息子の鼻先に突き付けてやったら、うわ、汚い、とほざきやがった。
「汚いじゃないんだよ。毎日、掃除している身にもなれ」
「でも、わからない。なんで、零れるのか、身に覚えがないんだもの」
「ちんちんは、ちゃんと根本を掴んで、角度を定めてだな。ロケット発射~、と心の中で叫んでから、標的目掛けて放水するように。わかったか!」
「・・・・」
「なんだ?」
「パパ、そんな恥ずかしいことできないよ」
「やれ」
「ロケット発射~は無理だって」
「馬鹿ッたれが。ロケット発射のあと、さらに腹をつきだし、できれば一歩前に出て、バランスつけて、上下に振ってだな、しずくをきちんと切らないとダメなんだよ。ちょんちょんとおしっこをキレイに切る。そこまでできたら絶対に汚れないんだよ。ちょんちょんだ。ちょんちょん。わかったか」
「パパ、ロケット発射~とか、ちょんちょんとか、やってるの?」
「やってるよ。小学生の頃からずっとやってます」
「・・・・」
「人間の基本だよ。掃除をする人に迷惑をかけない。こぼしたか毎回確認をして、こぼしたら自分で拭いて綺麗にする。次の人のことを考えてチャンと掃除をする。それが人間の基本というものだ。基本、分かったか!」
あまりの剣幕で言ったので、息子は、はい、としおらしく頷いていた。
「パパはうるさい」と思ったに違いなかった。
うるさい親がいなくなったら、その有難みが分かるというものだ。いずれわかる。
でも、こういうことが出来ない子であって欲しくないので、怒る時はきちんと怒るのが父ちゃんの役目なのである。
夕食の時間になり、息子と二人でご飯を食べた。今夜は、プンタレッラというイタリアの野菜天と牛肉天、蕎麦、中華おこわ、豆腐、おろし大根などであった。
食後、息子がトイレに立ったので、父ちゃんはその背中に向かって一言をぶつけてやった。
「ロケット発射~っ、ちょんちょん」
息子がぼくを振り返り、分かったから、もう、マジうるさいよ、と吐き捨てた。