JINSEI STORIES
リサイクル日記「苦しい時こそ笑わせ、楽しいことをする生き方」 Posted on 2022/07/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、「滞仏日記を読んで笑いました」という方がいて、うれしい。
それはぼくが普段持っている生き方なのだ。
今、コロナで外出制限下のフランス、神経質になって、ちょっと言動のおかしい人も増えている。
ぼくよりももっと神経質な人たちにとって毎日何万人も感染者が出る状況で、仕事もうまくできず、心が壊れそうな人がいるのは当たり前だ。
ぼくは人生が苦しくなればなるほど、笑わせようとする生まれつきの癖がある。
辛すぎる日々にいる時、楽しいことを探し現実から逃避しようとする癖がある。
腹が立つと風呂上りの風呂場で裸で踊ってる還暦オヤジだ。
しかし、一生は一度だし、生きている以上は、「美味しい」「楽しい」「素晴らしい」「嬉しい」を忘れたくないし、逆に、それを追求して、厳しい現実から回避したいと思うべきだという哲学がある。
なので、今朝の日記のような人を笑わせるものになるのだけど、よく考えたら、自分はいつも必死で、逆境の崖縁でどこか変なおじさんであろうとあえてしているような節がある。
でも、その方がシリアスになり過ぎず生きていけるし、確かに楽になるから、おススメなのである。
日記には書かないけど、めっちゃくちゃ失礼な奴とかいるし、腹立つことも多いし、最悪な出来事ばかりおこる世界なのだけど、そういうものは迷わずいつもの心の中にある「消えろボタン」を押して、出来る限り早急に心の中から排除する癖を身に着けている。
そこまで人間周囲を気にして生きる必用ある?
攻撃されたり、不愉快な世界が訪れたら、消えろ、と心の中で唱え、普通にブロックする。
そして、自分を必要とする世界の陽だまりに逃げて、そこで好きな人たちと楽しいことをやる。
自分を必要としてくれる世界には礼をつくし、自分もその世界をもっとよくするための一員として、笑わせたり、楽しいことを追求する。
ぼくらは修行僧じゃないので、それでいい。
「苦しい時にこそ、笑わせ、苦しい時にこそ楽しいことをやる。
苦しい時にこそ、美味しいものを食べる」それだけのことだ。
もちろん、世界が悪い方へ向かっているなら、立ち向かうことも必要だから、立ち向かう時にもやはり、笑いや余裕や楽しみを携えて闘争するようにしている。
「余裕っす」とつぶやくのもいい。心にまだのりしろがある、まだ心のHDには空き容量がある、とあえて口にすることで、自分を励ましている懸命な人間だからであろう。
あと、読者の皆さんから、「辻さんって、すごい人生を生きていますね。毎日毎日、難題だらけで」と言われるのだけど、それはちょっと違う。
ぼくは作家だから、ものすごく人間を観察しているに過ぎない。
息子がガールフレンドをぼくが留守の時に、呼んでいたら、と考えると物語が一つできるくらいに、膨らんでしまうのである。笑。
あらゆる瞬間に物語が潜んでいる。
そして、多くの場合、その愛しい瞬間を見逃しているのかもしれない。
毎日毎日、皆さんにも同じように、実はいろいろなことが降りかかっているはずだ。
ぼくは作家だから、それを見逃さず、面白おかしく書いているけど、実際にはそこまでシリアスだったり、そこまでおかしいことが起きているわけじゃない。
でも、間違いなくそれは日々の大事な出来事なのである。
本当にシリアスなことが目の前で起きたら、ぼくは寝込んでしまって日記を書けないだろう。
でも、ぼくは用心深く世界を見つめ、そこにある物語を捕まえ、言葉にして、それを読んでくださった誰かの心を和ませられたら、本望なのだ。
自分は一物書きとして世界の片隅から、誰もが知らない世界の断片を届けられたら、それでよしと思っている作家だ。
皆さんに「辻さん、面白すぎる」と言ってもらえたら、よかったな、と思える人間なのである。
決して強くもないし、いつも怒っているし、息子に言わせると「すぐ人を信用して裏切られたと騒ぐ洞察力のない人間」ということになるらしい。
だから、あなたが苦しいなら、それを笑いに変えてみて。苦しいことから逃避して、楽しいことや、美味しいものを探してみてください、と言いたい。
一生は一度しかないのだから、それが、許される。しかし、これじゃあ、世の中がダメになると思う時は闘えばいい。信念だけは失わないように生きればいいのだ。
ここまで読んでくれてありありがとう。
いろいろとあると思うけど、負けないでね。