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滞日本日記「父親としての限界を感じ、軽い絶望を味わう」 Posted on 2020/11/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは力が出ない。
この数日の日記で書いてきた通り、「学校を変える」宣言をした息子を、どう説得していいのか分からず、朝からずっと悩んでいた。
仕事が手につかないくらい悩んでいるのだけど、ここは東京、さらに手も足も出ない。
すると、夕刻、ママ友のリサからメッセージが入った。
少し補足しておくと、リサの息子、アレクサンドル君はうちの子の大親友、幼稚園からの仲で、いわば兄弟のような存在だが、アレクサンドルは映画の編集の仕事がやりたいということで映画学校への進学を希望していた。
「ヒトナリ、ちょっと私たちはどうもハメられていたようよ。あの子たちに」
リサはいつも、不意にこういうことを言い出すので、一応、すぐに返事をしないで様子をみていると、続けて
「ロベルトがカンカンで、アレクサンドルからパソコンも携帯もとりあげるって」
と来た。
ロベルトと言うのはアレクサンドルのお父さんでイタリア人、ミラノの投資信託で働いている。
「何の話? ちょっとわからないよ」
とぼくが返すと、リサから新たなメッセージが届けられた。
「あの子たち、勉強したくないから、楽な方へ逃げていたわけよ。アレクサンドルを問い詰めたら、映画の仕事なんかしたくないらしい。映画俳優を目指そうかなって言い出した」
「え?」



つまり、うちの子とアレクサンドルは厳しい受験戦線から逃避して、出来るだけ楽しく遊びながら生きて行ける道を模索したというのが、リサの見解であった。
「ヒトナリ、私とロベルトがいろいろと調べたら、彼らが選択した科目では何も将来仕事がないのよ。数学を選択しないと、実は映画学校にも音楽大学にも入れない。なのに、二人は難しい数学を選択科目から外してしまった。結託していたのが分かったの」
「結託って?」

滞日本日記「父親としての限界を感じ、軽い絶望を味わう」

「ええ、アレクサンドルが白状した。自分たちの人生なのに、やりたくない勉強をやる必要はない。いつか自分たちで起業するのだから、今は無駄な労力を使うのをやめようって。大学の四年間、自由でいられる方法を探そうと」
リサは少し思い込みが激しいところもあるので、その言葉を全て信じるのは危険なことくらい十分承知していたが、少なくともうちの子が受験戦争から逃げたことは間違いなさそうだ。
これまでの流れを(日記を読み直して)整理してみた。
ずっと将来の道が分からない、と息子は言い続け、選択科目を選ばなければならない時期ぎりぎりに、自分は弁護士になるから法学に必要な科目をとり、数学を捨てる、と宣言。
大学の選択肢が少なくなるよ、と言ったら、弁護士になる、とはっきりと口にした。
弁護士ならいいかな、と思って安心していたら、ふた月もしないうちに、今度は急に音楽の学校に進むために学校を変える、と言い出した。
最初から音楽とは言えないから、まず数学を捨てる、弁護士を捨てる、学校を捨てる、ということなのである。くそーーー、あの野郎!



「ヒトナリ、今すぐ学校とかけあい、数学をやらせないと本当にやばいことになるのよ。私たちはアレクサンドルの部屋から携帯とパソコンをリビングルームへ移動させ、監視下に置くことにしたの。あなたもそうした方がいい。東京から戻り次第、校長とかけあい、数学を選択させるのよ。じゃないと、彼はフランスで仕事を持つことが出来なくなるわ」
「なんで言い切れるの?」
「ロベルトが二人の学校のレベルから卒業生がどういう就職についたか、選択科目グループ別に調べ上げたのよ。そしたら、散々な結果だった。知ってるとは思うけど、フランスの失業率は計り知れない。日本人の息子、イタリア人の息子だから、人一倍頑張らないとならないのに、あの二人は逃げた!」
「なるほど」
「なるほどじゃないわよ、今すぐ、数学を追加で選択しないと手遅れになる。来年の春までに、進学する大学を選定しないとならないのよ。知ってた? 知らなかったでしょ? 音楽の学校を出ても、今は、仕事が無いの。終わりの見えないコロナのせいで!」
ぼくは大きな嘆息を零した。
「リサ、ぼくに何が出来るって言うんだよ」



ぼくは力なく、告げたのだ。
息子に対する怒りとかじゃない。裏切られたとも思ってない。
ただ絶望したのだ。
なぜかというと、ぼくはフランス人じゃない。
なぜかというと、ぼくはフランス語が達者じゃない。
なぜかというと、ぼくは異国でシングルファザーだ。
なぜかというと、ぼくはフランスで教育を受けたことがない。
なぜかというと、息子はぼく以上に頑固でプライドが高く理屈ばかり。
なぜかというと、ぼくにはお手上げなのだ。
フランスの大学のことが分からない。
フランスの教育のことが分からない。
ぼくのパートナーがフランス人なら、乗り切れたかもしれないけれど、ぼくは一人だ。
自分の息子の進学のことを、リサやロベルトに頼むことも出来ない。
ましてや、完全逃避中の息子を信じることも出来ない。手が無い。



18年もこの国で頑張ってきたけど、ぼくははじめて、フランスで生き続けること自体、限界なんじゃないか、と思ってしまった。
日本に戻りたいな、と一瞬思った。
だからといって、17歳になろうかという年齢の息子をいきなり日本に連れて行くことが現実的だとは思えない。
なぜかというと、息子はフランスで生まれたからだ。
なぜかというと、彼の友人たちは全てフランスにいる。
なぜかというと、彼はフランスの教育を受けてきた。
なぜかというと、彼は彼の中身はフランス人なのだ。
なぜかというと、息子は漢字が書けないし、日本史も古文も、たぶん、理解不可能だろう。
そんな子を日本の学校に叩き込んだら、…。
どうしたものか、と頭を抱えた。
これを絶望というのかもしれない、と気がついた。
やれやれ、つかれた。

滞日本日記「父親としての限界を感じ、軽い絶望を味わう」

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