JINSEI STORIES
滞日本日記「ジュリアン君に買い物をつきあわせ、人生について語った」 Posted on 2020/11/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリに戻る日が近づいてきた。お土産や機内持ち込みトランクとかロックダウン中の食材とか結構買って帰る必要があり、今日は仕事も昼間の爆笑問題のラジオだけだったので、それ終わり次第、買い出し日に出かけた。
で、荷物を運ぶ手伝いが必要だから、ってか、一人だと寂しいから、ジュリアンを呼び出すことにした。
「余裕っす」と即返事。お、やった。若者、便利だ!!!
今日、とりあえずゲットしないとならないものは、茅乃舎の野菜ダシとあごダシ。
この二つは絶対にいる。
ということでぼくらはまずミッドタウンで待ち合わせをすることになる。
ミッドタウン裏側の公園で家族連れがくつろいでいた。
日曜日の穏やかな光景である。和んだ。
少し早くついたので、東京風景を楽しんだ。
茅乃舎に行くと、ジュリアンがいた。
「やあ、ジュリアン、ありがとう」
「余裕っす」
「自主隔離中は本当に世話になったね」
「余裕っす」
「その後、どう?」
「余裕っす」
ぼくは笑った。カッチーーーーン。
「ミツミちゃん、元気?」
「余裕っす」
あはは。
まず、茅乃舎の野菜ダシを二つ、それからあごダシも一つ購入した。
野菜ダシは息子がチャーハンを作る時に便利だし、ぼく自身何も食べたくない時にサッシェを破って、中のものをカップに入れ、お湯を注いでスープにする。これが簡単便利美味いのだ。そのあと、館内を少し歩いた。
「ジュリアン、自出隔離中、いろいろと動いてくれたのでお礼がしたいんだ」
「あ、必要ないっす」
「いや、気持ちだから、Tシャツとかほしいのないの?」
「え? Tシャツですか、いただきます」
妙に生真面目すぎるぼくにとって自主隔離は相当きつかった。
ところがジュリアンが出現して後半の隔離は楽になった。
お金をあげるのはよくないのでTシャツを買ってあげた。
「おじさん、ありがとうございます」
「だから、君、ぼくはおじさん言われるの嫌なんだけど、まだ覚えられないの?」
あはは、とジュリアン。
「他に、どこ行きます?」
「ドン・キホーテに行きたい」
「お、余裕っす」
ジュリアンが案内をしてくれた。
六本木交差点を二人で渡った。
かわらない、懐かしい風景だった。
自分がジュリアンくらいの頃の六本木交差点とほぼ同じである。
ウエンディーズもまだそこにあった。
人間だけが入れ替わり、死んでいなくなるのだけど、別の若者たちがどこからともなくやって来て、同じような感じで屯している。
「おじさん、何買うんすか?」
「ここでは、発毛促進育毛剤、亜鉛などのサプリ、フッ素入り歯磨き粉は息子に頼まれたもの。そのほかに機内持ち込み用の小型トランク、食材を詰める大きな旅行バック、使わないときは小さく収納できるのとかあるといいな。あと、コロナ対策グッズね」
二人で店内を物色しながら、青春談義(?)をした。面白かった。
「おじさん、一つ、聞いてもいいっすか?」
「余裕っす」
あはは。
「ぼく将来、どうしたらいいんすかね?」
「何になりたいの?」
「わかんないす」
「今、大学で何学んでるの?」
「とりあえず工学部に通って、エンジニア目指していますけど、それじゃあないな、って思ってます。夢って、その、どうやって見つけるものなんすかね?」
「そうか、ぼくは、夢を探したことないんだよね。気がついたら、あれもやりたい、これもやりたいってのばかりだった。探している暇もなかった。スタジオ行ってバンドやり、オーディション受けて…。本屋に通って本を探し、夜遅くまで駄文を書いて、投稿したりしていた。人生に没頭していた。大学には一応、籍はあったけど、映画研究部に出入りする方が多かった。8ミリ映画撮っていた。あとは恋に明け暮れていたかな。(笑)」
「へー、なんで俺には夢がないのかなって、いつも思うんすけど、考えたら趣味もないんですよ。音楽やらないし、絵も描かないし、踊りや芝居もしない。漫画は好きだけど、漫画家になりたいとかないし、仕事もこれやりたいって無いんす。なんにもない。ミツミにも言われる。あなたは将来どうするのって?」
「うちの子もそれで行き詰って、学校変えるとか騒ぎだしてて、戻ったらひと悶着あるな」
旅行鞄コーナーで大きなビニールバックを探しながら、話し合った。
「やっぱ、なんかコロナのせいで、希望が持てないんすよ。どこに就職していいのかもわからないし、どういう仕事が自分にあってるのかもわからない」
「それ、うちの子もそうだけど、なんでもかんでもコロナのせいにし過ぎちゃう?」
「え?」
「地中海の魚はまずいけど、日本近海の魚はうまいだろ? わかる?」
「なんすか? それ」
ジュリアンが笑った。
「地中海って穏やかな内海だからさ、塩の流れ超穏やかだから魚もぶよぶよなんだよ。でも、日本近海は潮の流れが速いから身の引き締まった美味い魚がたくさん。厳しい環境の方がたくましい人間が育つってことだ。君たちに必要なのは、荒波だな」
あはは、と笑っておいた。
「ジュリアン、だから今が一番チャンスだと思うよ。人間はつねに時代に翻弄される。時代の節目で新しいもの、新しい価値観が生まれる。君はまさにそこにいる。これ、凄いことじゃないの?」
「はー」
「なんだよ、ここでこそ使わなきゃ?」
「何を?」
「余裕っす、だよ」
ジュリアンが苦笑した。
「そういう時、人間は逆に強くなるし、発想が必要になる。世の中をよく見て見ろ。コロナで生涯がうまくいかない人がいっぱい出てきた。コロナの登場はこれまでのルールや積み上げてきた基礎経験が役立たない時代の到来を物語ってる。そこに着眼してごらんよ。人類はどっちへ行くのか、何を必要とするのか? 飲食も、スポーツも、結婚式の在り方とか、交通手段、放送形態、何もかもが変わる。システムも変わるだろう。君はまだめっちゃ若い。目を輝かせて、柔軟な頭で世の中が必要とするものを見つけ出し、それを仕事にしてみたら、面白いかもしれない。元の世界に戻るためには、あと2,3年はかかる。その数年は正直、君にとってチャンスの猶予期間なんだよ。ちょうど大学卒業の頃までに自分のビジョンを見つけられたらいい。今は探求と好奇心の時代だと思えばいい。わかるかい?」
ジュリアンは真剣な顔で頷いていた。
「チャンスなんですね?」
「そうだ、間違いなく!」
ぼくはジュリアンが抱える籠の中に折り畳み式のバックを放り込んだ。
「余裕っすって君よく言うじゃない。あの精神でいいんだよ。頭抱えるような出来事も、余裕っすで乗り切っていけよ。君らから余裕がなくなったら世界は終わるんじゃないの?」
ぼくらは笑いあった。
「歌うべきことがない時にこそ、いいシンガーソングライターや作家が生まれるんだ。わかる? つまり、何もない時代で書くべきことがないからこそ、面白い作家がとんでもない作品を生みだすんだよ。余裕と違うの?」
「余裕っす」
鼻息息荒く、ジュリアンは言った。
ぼくはもう一度、ジュリアンの肩をぽんぽんと叩いておいた。
日本の思い出に鰻を食べたくなった。そこでジュリアンと一緒に、ひつまぶしを食べに行くことになる。