JINSEI STORIES
滞日本日記「息子と長話、パパ、パリに戻れなくなるかもよ」 Posted on 2020/10/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリが大変なことになってるよ、と友人やDSスタッフさんから次々連絡が入り、何が大変かちょっと意味が分からないので、昼過ぎ、息子に電話をかけてみた。呼び出し音が数回鳴って、…出た。
「もしもし」
めっちゃ不機嫌そうだ。やばい!
「うううう、…うん」
「そっちどう?」
「…普通」
「なんで、普通で終わらせるの? パリが大変なことになってるって聞いたけど」
「うーん」
めんどうくさそうに言うので、さすがに、これは怒った。
「家や君のこと心配して親として連絡いれてるんだから、ちゃんと状況説明するのは君の役目じゃないの?」
息子が、不機嫌そうに息を吐きだした。
「パパ、だって、こっちまだ朝の5時だよ。いきなり電話をしてきて、何、怒ってんの? バカンスなんだから、のんびりしちゃいけないの?」
え? 時計を見ると、日本は昼の12時だけど、フランスは朝の5時だった。やばい。そりゃあ、じゃあ、そっちの9時くらいにかけ直すね、と言い残して電話を切った。
電話を切る間際、息子が捨て台詞のような感じで、フランスで文句言ったのだけど、意味が分からなかったが、起こされてめっちゃ機嫌悪いぞ、を伝えてくるので、もう、父ちゃんったら日中から悔しいじゃないか!
昼過ぎ、関ジャニの村上信五さんのラジオ収録に遠隔出演し地球カレッジの話しなどをやり、少し遅いおひるごはんを食べていたら、厚生労働省から「熱出てないか、咳してないか」アンケートがまたまた届いたので、え? 隔離終わってないの、となった。
慌てて電話したが通じず、到着日から数え直してみるとら、もしかしたら早とちりで、今日まで隔離かもしれない、という驚くべき事実が判明。
よくわからないので、はっきりするまで、もう一日だけ自主的な自主隔離を継続することにした。
たまたま、歌人の俵万智さんへのDSインタビューなどがあったので、外出は控え、カップ麺でも食べて、宿での仕事を続けることに。
日が変わるのを待って、日本時間の深夜1時過ぎに、恐る恐る息子に電話を掛け直した。
フランス時間の18時半だった。
「あの、今、よろしいでしょうか? パパです」
息子の機嫌を取っている情けない父。息子は、うん、と相変わらずのそっけなさ。
「どう調子は?」
「普通」
「なんかある?」
「ない」
だから、そうじゃなくて、パパが知りたいのはパリがどうなってるか、学校のこととか、君の周りのこと、新しいアパルトマンのこととか、心配してるんだから、もう少し息子として協力して情報提供しようという気持ちにはならないのか、とフランス語で返してやった。もしかすると日本語だから返事をしないのかもしれない、と思ったからだ。すると息子は、
「パパ、文法めちゃくちゃだから、日本語にしてよ、耐えられない」
とはっきり言い返された。カカカカ、カッチンチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン、
である。
親なのに(親だからか?」なんでこんな言い方されないとならない? お前何様なんだよ!
けれども、ここは親子喧嘩をしている場合じゃない。フランスの首相のテレビ演説が終わったところである。日本には明日にならないと情報が入ってこない。
「OK、じゃあ、日本語で、聞き直すけど、カステックス(首相)なんだって?」
「ああ、最初からそう訊けばいいんじゃいの?」
くそ、カッチーーーン。ぼくはぐっと堪えなければならなかった。
「パパ、いつ戻るんだけっけ?」
「11月頭だよ」
「そうか、その頃からロックダウンに入るんじゃないかな。ぼくの予想だけど」
「マジか」
「昨日のフランスの感染者数知ってる?」
「知らない。おせーて」
「41000人。来週には50000人超えるかどうかで、もし超えたら、今の夜間外出禁止令を夕方17時からに早めるか、ロックダウンの可能性になるか。クリスマスも中止。年内は家から出れなくなる、再び」
「50000人ってインドと並ぶじゃん」
「パパ、インドは13億人の国で、フランスは6千万人の人口、並ぶんじゃなくて、比較にならないんだよ」
「なんでそんなことになってんの?」
「それがね、お医者さんがさっきテレビで言ってた、科学者も医者も、今、フランスで何が起こっているのか誰も分からないって。ただ、異常事態だって」
「じゃあ、オリンピック無理じゃん」
「オリンピック? 24年の?」
「来年の東京の」
息子は鼻で笑った。残念だけど、そんなの誰も考える余裕なんかないでしょ、と吐き捨てた。
「チェコでは第一波よりも今の方が多く亡くなってるんだ。フランスだって、同じだよ。ウイルスは結局、弱毒化なんかしてなかった。みんながマスク、消毒をやるようになって進行が少し緩やかになっただけなんだよ。死者数は変わらない。今日は165人亡くなられた」
「夜間外出禁止令は始まってまだ一週間だから、もう一週間様子みて、一日あたりの感染者が5万人を超えたら、まず、今21時の門限が19時からか17時になるだろうね。ぼくは17時だとふんでる。仏領ギアナがそれをやって成果を出したから、まずは門限を厳しくし、それで成果が出ない場合、ぼくの予想だけど、来月、パパが帰ってくる頃にロックダウンに突入。ただし、これもぼくの感だけど、学生だけは学校に行くという変則的なロックダウンになり、最低でも年内いっぱいは続くと思うよ」
「あの、で、パパはパリに帰れるの?」
「微妙だけど、パパはこっちで暮らしているから入国できる。あとは、飛行機が飛ぶかどうかだけだよね、問題は」
そうか、飛行機…。
「それはあくまでも、お前の予想だよね? カステックス首相がそう言ったの?」
「ぼくの予想だけど、あたるよ。首相のあの言い方はもう決めてると思う。いきなり言うとフランス人への衝撃が強すぎる。クリスマスなくなるんだもの、誰だって落ち込むでしょ。だから、いつものごとく、徐々に厳しくさせるってことだ。というのも偉いお医者さんがテレビで言ってたけど、ロックダウンしか、もう手がないんだって。集中治療室のベッド数が60%まで埋まったら医療崩壊になる。今、すでに50%超えている。東部フランスでは、ベッドがない病院もすでに出てきている。政府に切れるカードはコンフィヌマン(ロックダウン)しかない。それくらい、パパだって、わかるでしょ?」
なんだって! カッチーーーん、だ。
「人命と病院崩壊を防ぐにはロックダウンしかない。パパが戻って来れても、待ってるのはロックダウンという厳しい現実けだと思う。フランスはどっぷり暗いよ、テロもあったし」
なんだか、絶望的な気持ちになった。
春のロックダウンで心やられて、秋から冬にかけてまたロックダウンになったら、自主隔離も含めて、父ちゃんの2020年は隔離年として、自分史に記憶されることになるだろう。
或る意味、なかなか経験出来ることじゃないのだけれど…。
「わかった。じゃあな」
「パパ!」
「なに?」
「どう、元気にしているの?」
息子が珍しく優しい言葉をかけてきたので、
「普通」
と返しておいた。
電話を切った後、深夜、ぼくは外に出た。
シャバだ。
東京のアスファルトを踏みしめ、月に降り立ったアームストロング船長のような気分になった。
マスク、帽子、眼鏡、防水コートを羽織って、街へと繰り出した。
結構な人出だった。
しかし、すれ違う人は100%マスクを着けている。
義務化されているわけでもないのに、この真面目さ、やっぱり日本で感染爆発しないのは国民の衛生観念の高さによるものだな、と改めて思った。
24時間営業のスーパーに入った。足が震えて、挙動不審になった。お惣菜コーナーに行くと、煮物とかいろいろとあって、感動して、涙が出そうになった。
肉、野菜、魚、ワインを次々籠に放り込んでいった。
シャバの空気はうまかった。
路地の誰もいない交差点で、周囲を見回し、一瞬マスクを外して深呼吸をした。
ああ、東京の匂いだ。いいなあ。
シャバの匂いである。
ぼくは宿に戻り、最高の食材を使って、深夜だったが料理をはじめた。キッチンは裏切らない、である。