JINSEI STORIES
自主隔離日記「厚生労働省に電話をしていろいろ質問してみた」 Posted on 2020/10/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は時差ぼけのせいで14時に目が覚めた。
ぜんぜん、調子が出ない。でも、何か食べないとならない。
昨日、頂いた文明堂のカステラとコーヒーを朝食がわりにするというなんとも贅沢な朝となった。
カステラは逆立ちしてもパリで食べられないので、在仏日本人の友人たちに写真を撮って送りつけた。
「羨ましい」という返信が相次いだ。
午前中、持ち込んだ食料をキッチンに並べ、隔離期間食料計画をたてることにした。
ぼくが持ち込んだ2週間自主隔離用のフランス食材はざっとこのようになる。
しかし、残念なことに肉類の持ち込みが禁止されているので、肉はない。
魚は日本の方が圧倒的にうまいので、ない。野菜は足が早いので、ない。
缶詰、瓶詰類が中心である。
しかし、毎日缶詰だけを食べ続けるのは辛い。
せめて野菜が調達できれば隔離をやり抜くことが出来るのだが…。
そこでダメもとで厚生労働省の担当部署に電話をかけることにした。
「あの、すいません。自主隔離をしている者ですが、ちょっとお聞きしたいことがあります。よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「実はパリから入り、現在自主隔離中です。2週間、一歩も出ないつもりでやってきたのですが、缶詰ばかり食べるのもどうかな、と思いました」
「はー」
「その、野菜とか肉とか魚とかも食べたいじゃないですか。2週間、缶詰と保存用のパンとかパスタだけでは健康を維持の面で、コロナに負けず劣らず、心配でして」
「ご自宅ですか?」
「いいえ、宿です」
「じゃあ、ご家族は傍にいないのですね」
「85歳の母が福岡に」
「ああ」
「人がいない真夜中とかに、コンビニまで買いに行けないものか、と。もちろん、マスクをして、完全防備で行きます」
「原則はご遠慮願いたいのですけど、法的な拘束力はありません」
「あ、ぼく、そういうの苦手なんです。ダメはダメ、いいならいい、という竹を割った性格なもので、よく面倒くさいと交際相手に言われます」
「…」
「困りますよね、そんなこと言われても」
「いえ、でも、はい、そうですね」
「ぼくは空港でPCR検査をして陰性でしたし、パリでも抗体検査をやり陰性です。それからロックダウンをパリで二か月経験しましたけど命のための行動、つまり買い物は一時間以内なら許可されていました。フランスのロックダウンよりも厳しい制限になるような気がしますが」
「ここは日本ですから」
「あ、そうですね。失礼しました」
「あのデリバリーで何かご注文されてはどうですか?」
と担当官さんが優しく言ってくださった。
「それが、特殊な宿側の事情があって、中に入るのが容易ではないんです」
「なるほど。ならばしょうがないですけど、人がいない時間、周囲との社会的距離を保つ、買うものを決めて最小限の時間で済ます、あとはご自身の判断で決めて行動してください」
おお、と思った。
「いいんですね?」
「いえ、そうは言っておりません、はい」
お答え難いことを聞いてる自分が申し訳なかった。でも、もう少し聞きたい。
「昨日のニュースで日本政府が外国人の入国をかなり緩和すると発表されましたね」
「あの、…。それは、ちょっと管轄が違うので」
「ああ、そうですよね、すいません。愚痴です」
どうも、マニュアルがあって、OK、とは言いにくいのだな、と相手の気持ちをおもんばかった父ちゃんだった。とっても優しい人で、文章に書くと冷たく感じるけど、口調は丁寧で温かい。これ以上しつこく聞きまくっては、申し訳なくなった。そこで最後に、ぼくは入国日を伝え、いつまで外に出られないか、を改めて聞いてみた。
「21日いっぱいは不要不急の外出は控えてください」
「わかりました。頑張ります。あの、自動販売機に水を買いに行ってもいいですか?」
「外ですよね?」
「外です」
「あの、判断はご自身でお願いします」
「すいません。しつこくしてごめんなさい。ぼく、ぜんぜん、悪い人間じゃないんです。2週間一歩も出ない決意でやってきました。水際対策、大事ですから。ともかく、余計なおしゃべりをしてすいません。頑張ります。ありがとうございました」
電話を切っても、やや、スッキリしなかった。
水を買ってきてくれ、とスタッフさんに頼むのもどうか、と思う。
自動販売機は宿の真ん前にある。
出て5秒だけど、自分で判断をしないとならない。
ああ、こういうの苦手なんだ。竹を割ったようなぼく、恋愛がうまくいかないのは、きっちりした性格過ぎるからかもしれない。
一人で生きて行く方が楽でいい、と自分に言い聞かせて、水道水を沸かし、白湯にして飲んだ。美味い。
夕方、夕食を食べる時間になった。
ぼくはロックダウンの時に息子に言った言葉を思い出した。
『いいか、ぼくらは火星に向かうミッションの途中にいるのだ。家から出られないのは宇宙船の中にいると思え。買い物に行くのは船外活動だ』と。
息子は納得していた。その言葉が再び役立った。
そうだ、これは、ぼくに与えられたミッションなのだ。ぼくはミッションをやり抜く日本の父ちゃんでありたい。
缶詰を眺め、今夜の献立を考えることにした。貴重な食糧だ、頑張ろう。ぼくが選んだ食材はこうなった。
ようはピザトーストを作ろうと思った。
でも、人生は短い、美味いものを食い尽くして死にたい。なので、自主隔離中とは思えない本格的ピザトーストを作ることにした。
ピザ用のパンを取り出し、上にアラビアータのソースを塗り、その上に、瓶詰のグリルされた赤ピーマンやドライトマト、ツナ、オリーブを置いてマヨネーズとガーリック・プードルをふりかけ、180度のオーブンで20分ほどグリルした。
出来上がったピザトーストに唐辛子プードルと粉チーズをふりかけ、完成となった。
「美味い! 美味すぎる!」
息子を悔しがらせようと思って、写真を送り付けてやった。すると、返信でピザの写真が送られてきた。
「今、ロマン君の家のバルコニーでイタリアのピザごちそうになってるけど、ぜんぜん、開放的で気分爽快、それに本物は美味しいよ」
とフランス語で返ってきた。しかも、笑っている犬のスタンプまで、が添えらえて…。
カッチーーーーーン。