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自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」 Posted on 2020/10/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、さあ、どうしたものか、と思いながら目が覚めた。
というのか、時差ぼけのせいもあり、変な時間に目が覚めて、菊池寛の小説を読んでいたら、おなかが空いたのだけど、自主隔離が始まったばかりなので、おまけに息子がいないので、何をしていいのか思いつかず、どうも調子が出ない。
家事をするのは家族がいるからで、自分のためなんかに掃除したり、料理をするということくらい空しいこともない。
主婦の方々のご苦労がよくわかる。
休める時に休めばいい、と出がけに息子に言われた。
心置きなくロックダウンしてきてよ、と送り出されたことを思い出し、腹が立った。
かっちーーーーん。
それでも、来年に出る新刊小説の校正直しとか、書かなければならないエッセイをやっつけていると、朝の9時くらいに栗原茂行から、
「わちし、昼少し前にそちらにお届けに参ります」
とラインが入った。
何を朝から間違いメールしやがって、と無視していたら、
「お弁当とかビールとか、約束の品をデリバリーします」
と続いた。
「なに? 弁当だって!」
これは、思わず飛び出した己の紛れもない心の雄叫びであった。

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」



そうなるとしげちゃんが天使のように思えてならなくなった。
自主隔離が始まってまだ二日目だというのに、弁当を届けに来る者が本当にありがたかった。
頭の中に日本の弁当の図というのが出来てしまい、それが離れなくなり、羽根を生やした弁当箱が頭上をぐるぐる旋回しやがって、午前中はもう一切仕事にならなかった。
日本の駅弁が好きで、新幹線に乗る時はデパ地下でお弁当を買ってから、乗り込むのが楽しみでしょうがなかった。
発射のベルが鳴って、新幹線が動き出す前に、完食してたっけ、えへへ。
よだれが出てきて、思い出しては椅子にもたれ掛かり、まだかなぁ、と言い続けた。
こんなことで幸せになれるだなんて、このコロナ禍に…るんるん。
ところがたかが3時間がなかなか待てない。
昼少し前、と書かれているしげちゃんからのメッセージを何度も読み直しながら、自主隔離が始まったばかりだったことを思い出し、打ちのめされた。
仕方ないから、腹筋をしたり、ギター弾いたり、菊池寛の文章を声に出して読んだりした。すると、12時少し前に、ドアベルが鳴った。
来た、と思って立ち上がったら、自分のブーツに躓いて、転んでしまったけど、痛みも感じる余裕さえなかった。
しげちゃん、早く、しげちゃん、早く…。小学生か、お前は。

ピンポン、となったが、自主隔離中だったことを思い出し、離れた場所から、マスクをして、入ってよーし、と告げた。
ドアが開き、しげちゃんが弁当を持って、立った。

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」



おお、袋は一つじゃない。
ぼくはリビングルームの扉の間から半分だけ顔を出して、それはなんだ? と質問をした。
「あ、文明堂のカステラとビールと亀戸の升本のお弁当です」
としげちゃんが告げた。
「升本にカステラかぁ。景気いいなぁ」
「違うんです。カステラはわちしが買ったんじゃなく、文明堂の社長さんが知り合いで、辻さんにどうしても差し入れしてくれ、と頼まれたんです」
「おおお」
顔の広い、しげちゃん。
「しげちゃん、ぼくは陰性だけど、今日はルールでお話しが出来ないので、そこにブツを置いてお引き取り願いたい。デリバリーありがと」
「もちろんです。大変ですが、頑張ってください。また、来週、来ます」
また、来る…。
この言葉があまりにハートフルで、父ちゃん涙があふれそうになった。
日本人は優しい。これは意地でも自主隔離万行しないわけにはいかない。まんぎょー。
「わちし、失礼します」
しげちゃんが去り、ドアが閉まった。
ぼくは周囲を見回した。
何か、下心のある時のぼくの動きである。
文明堂、升本のお弁当、ビール、なんだってぇ~。
やった!

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」



しかし、ここで、ぼくは一度自分を取り戻し、はやる気持ちを必死でおさえて、除菌シートを持ち出し、しげちゃんの立った場所、しげちゃんが触れたドアノブ、お弁当の袋の掴むところなどをキレイに消毒することを忘れなかった。
偉い。
こういう頂き物は何から手を付けていいのか悩むところである。
文明堂は22日まで持つみたいなのでとりあえず冷暗所に保管し、ビールは昼間だから冷蔵庫にしまい、お弁当を取り出してみた。
地震かな、と思ったが、自分の手が感動で震えているのであった。
ああ、落としそうだぁ、とかなんとか、独り言をつぶやきながら、弁当を開けてみた。ああ~、くらっくらっ眩暈がする。

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」

ということで米粒一つ残さず食べた。
小食なのだけど、こういう時、人間の食い意地というものが如実に出る。
何が美味かったを解説する前に中身が消え去っていて、最後の練り物を口に入れた時に大きな後悔をした。
うっそーォ、味わって食べたかった。



光陰矢の如しである。
しかし、今日は最初から贅沢をしてしまったので、ここから先の転がり落ちる生活が想像出来てしまったが、満腹になったので良しとし、昼寝をした。
なんだかわからないけれど、幸福なのだけど不可解な夢であった。
フランスが朝なので、深い眠りに落ちた。時差との闘いの始まりである。

午睡のあと、物凄く時間を長く感じた。
普段、昼食後は買い物に行って夜ごはんの準備とか、洗濯をするのだけど、外に出られないし、洗濯物もまだない。
コーヒーでも飲もうかな、と思ったけど、朝からもう4杯も飲んでいて、このままだと今週中にコーヒーの在庫が底をつく。
倹約倹約と自分に言い聞かせ、風呂もなかったバンド時代の生活を思い浮かべたりしながら、時間を潰した。あ、風呂、どうしていたんだろ~。
なぜかECHOESのAIRという曲を口ずさんでいたら、夜になった。
この辺は日記なので、時は流れた、にしてしまう。23時を回った。何か食べたほうがいいかな、と思い、トランクを漁った。
パリから持参をした食材が詰まっている。しかし、これに手をつけると没落は早い。
そこで空港までお迎えに来てくれたタイタンの小野寺さんに貰ったカップラーメンを食べることにした。
日清の江戸そばである。

自主隔離日記「めっちゃ退屈な自主隔離二日目、いきなりの瞬間天国」



お湯を入れて3分待った。生卵を入れ、フランスから持ってきた唐辛子の粉をふった。
昼に贅沢をしたので、質素にしてみたが、ちょっと待った、美味い。日本の味だ。
やっぱ、日本は何から何まで美味いのである。
そうか、しげちゃんは来週か、そりゃあ、そうだ、来週でもありがて~。
明日から自炊を始めよう。
自主隔離は22日で終わりになる。そこまでは外出せず、在留邦人の意地で頑張るのだ。
厚生労働省職員さんからもらった「COVID-19指定地域滞在歴あり」と印刷されたピンクの紙を壁にしっかりと貼って、気合をいれた。

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