JINSEI STORIES
自主隔離日記「今日からぼくの自主隔離生活が始まった。がんばれ父ちゃん」 Posted on 2020/10/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したが、やはり人が普段よりも少ない。いや、いない。普段はツアー客やら外国人で大混雑しているターミナル、コンコースも閑散としている。今年、2月のコロナが始まりだした時も減っていたが、それどころではなく、ガラガラだった。長い列が出来るコントロールの入り口には数人しか並んでない。ところがその先の荷物検査場を抜けるのに1時間かかった。普段はスルーパスに近いのにエックス線を通した荷物を、さらに開けて一人一人神経質にチェックしている。テロ予告でも出ているのか、と不安になるほど。構内売店・免税店には客ゼロ。まさに、これがコロナ戦争の目に見える状況なのか、と気が付いた。
ぼくらは日常が戻ってきたと思っていたけど、この光景を見る限り日常が程遠いことを思い知らされる。というのは観光地パリに外国人がいないということはそれだけ外貨が入ってこないということを意味しており、もしかしたら先ほどの信じられないくらい厳しい検査はユーロ、貴金属持ち出しのチェックだったのかもしれないと勘繰った。観光業は正直、お手上げの状態であろう。旅行業界、トランスポート業界、飲食・ホテル業界、ファッション業界、サッと見回しただけでもこれらの企業状態は厳しい。玄関がほぼ閉まっているのじゃ、国は回らない。ましてやここは欧州の大玄関なのだから。
今回搭乗した飛行機、ANAがパリ―東京就航30周年なのだそうで青いハッピ姿の地上係員の皆さんが張り切っていたけれど、ぼくの乗る便は別の便と間際に統合されたにもかかわらず地上係員と同じくらいしか乗客はいなかった。世界の主要空港は今現在どこも、このような状況なのであろう。去年の今ごろ、こんな世界が訪れるとは誰も想像していなかった。これで本当にオリンピックが出来るのか、心配になる。
それでも飛行機は離陸した。機内は3分に一度の頻度で、全ての空気が入れ替わる。そういう意味じゃ、飛行機の中が一番安全かもしれない。エンジン横から飛行中に空気を取り込み、3分毎に入れ替えて外に出しているのだという。日本の飛行機会社だから、なおさら、衛生面でも消毒が神経質に行われていて、安全な印象を覚えた。
羽田空港に到着すると係官の指示に従って、移動した。検査場というよりも使われていないコンコース、搭乗ゲートや待ち合わせの椅子が置かれているターミナルビル内のコンコースが解放されており、狭い場所に押し込まれるという印象はなかった。(前は狭い場所でやっていたので、知り合いが感染するよ、あれじゃあ、とぶつぶつ文句を言っていたが、今はそういう心配はない。飛行機が飛ばないのだから、スペースが有り余っている。逆に、離発着が増えた時、どうなるのか、心配にもなった。
最初の場所で概要説明の書かれた紙を渡され、次の部屋へ行く、部屋じゃなく、コンコース内の搭乗ゲート周辺をROOMと呼んでいるけど、たとえば概要説明書をもらった場所は143番登場ゲートで、142番登場ゲートで検体容器とラベルを受け取り、選挙ボックスのような場所にそれぞれ入って、検体採取(プラスティックの容器に唾を入れるのだけど、目の前に梅の写真が飾られていて、ご苦労を感じた)、今回は最新の唾液検査である。鼻の孔に綿棒を入れられるのを覚悟していたので、ちょっと安心をした。
141番登場ゲートに移動し、書類検査、最後の146番登場ゲートで、大学受験合格発表ボードのような場所に自分の番号が出たら「陰性」ということだ。あ、すぐに出た、「合格」。なんか、難関大学に合格したような嬉しさがこみ上げた(大げさな奴、でもそんな感じになる)。自分は神経質なので、誰よりも罹らないように生活を送っきたるので、息子いわく、パパが罹っていたら地球はおしまい、と笑われながら出かけた。しかもパリでも自費で抗体検査を受けていた。昨日のフランスのニュースで、世界の人口のすでに10分の1の人がはコロナに罹っているようだから、いつまで罹らないで逃げ切れるか、父ちゃんの戦いは続く。(インフルエンザも大昔に、一度罹ったか罹らなかったかくらいの記憶しかない)
※なんで、韓国語なのかな? もしかしたら、韓国からの便と一緒だったのか?
ともかく、どこもかしこもガラガラだったから、飛行機を降りて外に出られるまで1時間かからなかった。誘導や作業は丁寧で、文句の付けようがなかった。厚生労働省が主導した検査だが、現場は若い学生さんのような人たち、アルバイトさんなのか、でも、言葉遣いの丁寧ないい子たちだった。入国基準が緩和されるというニュースが流れていたので、到着便が急増したら、ここは再び長蛇の列になるのだろう。いったい、どう簡略化するのか、安全に水際対策をやり遂げられるのか、厚生労働省は頭を痛めていることであろう。そういう心配をしながら、外に出ると出口に、小野寺さんが立っていた。タイタンのぼくの担当をされている人、爆笑問題のお二人とは同級生なのだとか…。
いつもの宿に入る。前もって小野寺さんに二週間分の必要なもの、とくに水を頼んでいた、食材は生もの以外、パリから運び込んだ、2週間分。肉は持ち込めない法律なので、ほぼ缶詰という生活のはじまりだ。自主隔離と言っても自主なので、誰かがチェックしているわけじゃない。ラインを使って、時々、問診があるようだけど、正直、本人次第だという自主隔離である。検査場を出る時、食べ物を買いに行くことくらいは出来るんですか、と訊いたのだけど、その子は学生さんのようで曖昧な回答しか戻ってこなかった。自主隔離生活については用紙に書いてあります、という返事だったけど、具体的なことは書かれてない。厚生労働省に電話で聞いてみたいと思う。もちろん、法律をきちんと守りたいので、14日間、特別な理由がない限り、ぼくは外に出ない覚悟でやってきた。毎日、日記で、ぼくの思考的隔離生活をアップしていくのが楽しみで仕方がない。ぼくは引きこもりなので、2週間は苦じゃない。息子の世話をしないで済むだけ楽だ。
「ぼくも、パパがいない方がのびのびと生活できるから、ありがたい。料理も出来るし、友だちも呼べるし、暫く天国だ。お土産だけ頼むね」
かっちーーーーーーーーーん。
友だち、、、、ううう、心配だ!
ぼくは自炊が出来る人だからいいけど、料理の出来ない人、心に不安を抱える人、宿にコンロもない人などはどうなるのか?フランスのロックダウン時でさえ、命に係わる最低限の買い出し、水や食べ物の買い出しは許可されていたのだけに、その辺が気になる。ともかく、自主隔離生活が始まった。2週間、東京の空を見上げて過ごしてみたい。
※新世代賞、締め切りまじかです!! 応募ががんがん集まりだしています、迷わないで、ぜひ、今回、頑張ってください。