JINSEI STORIES
滞仏日記「ママ友3人+父ちゃんで規制後初のランチ会」 Posted on 2020/10/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ママ友のソフィから、イザベル、マリアンヌと食事をするのだけど、来ない、と朝方、息子が登校した直後、誘われた。ま、とくに用事もなかったので、ウイ、と返事をしておいた。
ソフィ―とイザベルはよく知っているけど、マリアンヌはあまりよくわからない。
多分、息子が小学校の低学年の頃に同じクラスだった女の子のお母さんだと思う、ほぼ面識ゼロのような人だったけど、暇だし、出かけてみた。
イザベルがよく行くというボンマルシェ・デパート前の老舗のカフェだった。
メトロを上がったところで3人はすでにぼくを待っていた。マリアンヌに自己紹介をして、それから昔ばなし、まだうちの子が小学校に入学したばかりの頃の担任の話しで盛り上がった。
共通の知り合いのおかげで、仲間に認めて貰えたような感じとなった。
といっても、ぼくは、ウイ、ウイ、と返事をするばかり、女性たちは道すがら、すでにマシンガントークがさく裂中…。
こういうところは日本もフランスも変わらない。ぼくは時々、そうだね、と相槌を入れ物分かりのいい紳士の雰囲気を醸し出す。
カフェの入り口で、店主が出てきて、
「さあさ、みなさん、昨夜から法律が変わりました。こちらのノートに代表者の名前と電話番号を書いてください」
ぼくは知っていたけど三人は知らなかったみたいだ。
今日、来客した人の中からコロナ陽性感染者が出た場合、この連絡網を通して、政府から連絡が入る仕組みになっている。
「凄い世界になったわね」
「ええ、上からのお達しですからしょうがないですね」
と店主が言った。
「家に帰って調子悪くなり、病院に行って検査で陽性と判断されると、それまでの行動が全て政府に通達され、行動を共にした皆さんに連絡がいき、濃厚接触者として近くの検査場へ強制的に送り込まれるという仕組みです。でも、こうでもしないと感染者が減りませんし、ご協力ください」
健康相のような口ぶりで店主が言ったので、一同から笑いが起きた。
飲み物や料理を注文した途端、ママ友トークは再び炸裂した。
パリジェンヌはクールだけど、みんな背筋を伸ばしながら、口だけは動いている。
古今東西、女子会とはこういうものである。感染しないように、ぼくは遠ざかる。
ぼくが黙っていると、ソフィが「どうなの? 最近、息子君? 元気?」と聞いてきた。
相変わらずと言いつつも、一昨日あの子が不意に切り出してきた「ロックダウン不要論」について語ると、それは本当にそうよね、とマリアンヌがすぐさま同意した。
「私はここに来るのに国会駅から乗ったんだけど、駅構内のホームでバーの店主やギャルソンたちがテーブルを並べてパフォーマンス・デモやってた。テレビカメラも数台入ってたから、ニュースになるのでしょうね」
「なんだって?」とイザベル。
「つまり、バーがダメで、地下鉄はいいのか? って騒いでいたのよ」
なるほど、そうよね、と一同が頷いた。
「自分たちにチャンスは与えてくれないのかって? 客の多くは真面目な客で言えばわかるし、きちんとルールを作れば守るのだけど、頭ごなしに閉鎖って言われると反発しか出ないし、俺たちにどうしろって言うんだよ。政府がまずやり方を示してくれたら客と共有して騒がない飲み方を模索するんだけど、いきなり閉鎖されたら店を閉めるしかないじゃないかって、怒ってた」
「気持ちはわかるけど、それは大半の市民の声じゃない。ならば自分たちで危機感持って今まで何もやってなかったことへの言い訳はどうなの? 一度あれだけのロックダウンやったフランスで、感染者数が過去最大になっていて、毎晩、バーで人が集まって盛り上がってたらさ、感染者増えるの当たり前じゃない、うちの近所のバーは深夜3時まで毎晩どんちゃん騒ぎよ、あれじゃ、うつるでしょ? 犠牲っての、言い過ぎだわ。自分たちからアクション起こしていれば政府も規制かけなかったんじゃないの?」と今度はイザベルが持論を展開した。
「まあね」とマリアンヌが同意する。
「でも、ロックダウンは意味がないのも事実だわよね。ロックダウンが解除されたら、また、能天気な若者が街へ繰り出し、どんちゃん騒ぎ、で、感染者数は元通り、これ繰り返しているうちに国が亡びるかも…」
とマリアンヌが言うと、ソフィが冷静な口調で、結構、核心的な意見を言い出した。
「あのね、うちの娘の意見なんだけど、今朝、言われて、そのことをずっと考えているところ、一理あるなって思ったから」
「なになに」と身を乗り出して、マリアンヌ。
「私たちはいったいどれだけお年寄りを助けようと思っているかってことよねって、言われたの?」
「へ、どういうこと」とイザベル。
「私も最初よく分からなかった。でも、あの子が続けて、ようは、バーを閉めたり、若者に酒を飲ませないようにしたり、みんなが外を歩く時もマスクをつけないとならないのは、お年寄りを守るためだからよって」
「なるほど…」とマリアンヌ。
「そうだけど…」とイザベル
「こんなにいろいろな法令や規則が次から次に出されるけど、それはつまり、高齢化した人や介護が必要な人、持病を持っている人たちをリスクから守るためでしょ? 結局は…。だって、無症状の人がほとんど、若者はインフルエンザよりも軽症で終わってしまう。ほぼ、全ての人は無症状。なのに、毎週100万検査もやっていて、そりゃあ、感染者バンバン出るでしょ? 風邪が流行するのと一緒なのに、政府がここまで神経質になるのは、結局、実害は高齢者、介護の必要な体の不自由な人、或いは持病を持っている人たちということになるでしょ? その人たちを守るために、じゃあ、若者がどこまで協力をするのかって話しじゃないのママ、と言われたのよ」
「ああ、本当にその通りね」とマリアンヌが言った。
「一昨日、KENZOも犠牲者になった。そういうことでしょ? 彼らの世代の人たちを若い世代が真剣に守ろうと思うかどうかが、問われてる。フランスだけじゃない。今、この世界でよ」とイザベルが言った。
いま、Covid-19の感染力は物凄い勢いで増したけど、逆に致死率は減少傾向にあり、弱毒化しているような気もする。実際、今は、感染者数は春を上回っているけれど、ぜんぜん春のような死者数ではない。そして、亡くなっている方々はほぼ、高齢者の方々だ。残り少ない時間なのに、マスクをして、家から出られないお年寄りが増えている。でも、それを気にせず、パリの若者たちは毎晩深夜まで大騒ぎだ。政府がここにメスをいれるしかない、と選択するも間違いないだろうし、うちの16歳のようにそこだけをトカゲのしっぽ切りみたいにするのじゃなく、大事なのは教育だ、と訴えるのも一理ある。どちらにしても、ソフィの娘が言うように、市民はお年寄りを守れるのか、が今、問われているのだ。
話しがちょっと深刻になってしまって、少し、会話の速度が落ちた。メインの料理が届き、それぞれ食べることに夢中になったのもあった。ぼくは牛ハラミ(バベット)のステーキをレアで食べた。デザートを選ぶ頃になると、ママ友たちはコロナの話題から遠ざかり、最近、イケてる男優のゴシップで盛り上がった。ぼくにはあまり興味のない話しだったので、デザートはとらず、仕事を理由に席を離れることになった。
でも、いい気分転換になった。自分の分の勘定をしていると、遠くから、ソフィ―がぼくに手を振ってくれた。